
「色即是空 空即是色」の仏教哲学の「空」のことです。
仏教哲学を少々学ぶものとして、私なりの認識は持っておりますが、実は経典、宗派、あるいは学者によってその解釈に大きな違いがあると思います。
私自身の解釈が、自分の中でまとまっていて深く腑に落ちているかと言えば、正直言ってそうとは言い切れない。
ですから、仏教に詳しい方の多いここで、様々ご意見を頂戴したい。なお、根拠となる経典、宗派、持論であるとか、差支えなければ、教えていただければ幸いです。
また、西洋哲学、物理学等との相対の話も面白いと思っております。

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A 回答 (56件中1~10件)
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No.59
- 回答日時:
空の理解は、諸仏の智慧の理解とは、同じでは無いという事です。
諸仏の智慧は、衆生の苦に対する二つと無い完璧な答えです。
一方で空の理解は、理を知ることとか、現象理解に近い。
なので、空の理解によって、人が仏になる事はありません。
空を理解しても、慈悲喜捨の人になるわけではありません。
一方で、慈悲喜捨の人は空の何たるかも知っています。
空の理解者は、方法論だけは知っているが、決定打を欠いている様なものです。
諸仏の智慧は、方法としても完璧であり、しかも苦に対して決定的であります。それを知ったなら、一切の争いを超える。
公案の起源は、久しく解脱者が居ない時代に、誰がどこまで知っているかを見極めるために編み出されたと聞きます。しかしながら、解脱とは自覚であって他人に認定してもらう必要のない事です。ただ、研鑽になるだろうという事で、公案は案出され、受け継がれてきたのだろうと思われます。
No.58
- 回答日時:
続きです
「空」とは何らかの物理状態にあるが観測出来ない状態だと述べました。
とするなら「空」とは「観測し得る状態(空)が一切存在しない状態」と言えます。
よって「空」とは我=私を排除しその先全ての存在を排除した世界です。我=私を含め全ての存在を排除してもなお残る物理的な世界です。「空」とは精神世界ではないのです。
と述べた次第で「空」とは決して「無の状態(世界)」ではないでしょう
No.57
- 回答日時:
色即是空を物理的に解釈すると
色がその瞬間に空となる
空即是色を物理的に解釈すると
空がその瞬間に色となる
でしょう。
色と空の使い分けを物理的に解釈するなら
色は観測できる状態
空は観測できない状態
となるでしょう
それを踏まえて
量子(素粒子)には観測方法に応じて波動状態と物質状態のいずれかの状態を取る事ができる。この事から量子(素粒子)は観測する前は波動状態・物質状態の2つの異なる状態どちらも取れる状態にあると言う事が導き出されました。これを「二重性」と言います。
波動状態・物質状態どちらも観測出来る状態でそれを上記に当てはめるならばどちらも「色」となります。
波動状態・物質状態を直接目視出来るかどうかで区別すると
波動状態は直接目視出来ない状態
物質状態は直接目視出来る状態
となります
直接目視出来る・出来ないを「色」に置き換えると
直接目視出来ない状態→無色
直接目視出出来る状態→有色
となります。
次に観測する前の波動状態と物質状態の両方の状態が取れる状態について
上記の状態がどのような状態なのか?を知るには上記の状態を観測しなければなりませんが観測した時点で観測する前の状態ではなくなります。という事は観測する前の状態を観測することは出来ない。となります。それ即ち「空」となります
つまり「空」とは何らかの物理状態ではあるが観測出来ない状態という事です。
以上を踏まえ「色即是空・空即是色」を量子物理学に当てはめると
空即是色とは
観測される前の観測出来ない状態を観測したその瞬間に観測出来る状態になる
色即是空とは
観測をやめたその瞬間に観測出来る状態から観測出来ない状態となる
これを図式で表すと
観測する
↗ 「色(無色=波動状態)」
「空」
↘ 「色(有色=物質状態)」
観測やめる
「色(無色=波動状態)」 ↘
「空」
「色(有色=物質状態)」 ↗
となります
No.56
- 回答日時:
般若心経での空ならば、般若=知彗、心経=心の経典が前提だと思います。
色即是空とは、
この世界は、諸行無常なので常に変化している。色(現実)=空(有と無が同時にある)
そして、私達自身も新陳代謝によって一定ではない。
空即是色とは、
現実は今しか存在しない。過去とは、光が映し出す記憶である。未来とは、記憶から導き出した想像です。
でも、私達は今を認識できない、私達の五感では、過去しか認識できない。
私達が今だと信じているのは、過去の先入感(煩悩)から導いた色(現実)なのである。
お釈迦様は、悟られた。
知彗(直観を含む知恵)と縁起(原因と結果)によって、私達は世界を観ていることを。
一度、先入感(煩悩)を捨てなさい、そうすれば、新たな知彗と縁起によって心は生まれ変わる。(心も空であるから)
あなたの心は自由である。飛んでいる鳥のように。
☆量子力学では、
人が五感で認識して初めて有か無かを判断できる。
(回転しているコインが表か裏かどちらであるかという事)
このことから、現実は空(有と無が同時にある)ことを現している。
人間の認識では、光も粒と波という状態が同時にあることを示している。
人は時間を運動力学(時間=距離÷速度)として捉えるか、熱力学(状態の変化)として捉える。
現実は宇宙はエントロピー増大則によって膨張して混沌に向かっているとすると、どちらも正しい。
No.55
- 回答日時:
>「空」を解く?それは「悟り」=「感覚的認識」と言ってよいのでしょうか?
解いたところが空であると言う事です。その時、知ったことの無い感覚(かつて味わったことのない特殊な感覚)が励起します。
その感覚は言うなれば、写真や映像で覚りの境地を見るようなものです。
声に出すとするなら、例えば、おぉ、、これかっ!!というような、非常にはっきりとした感覚があるでしょう。(ここでは敢えて”これ”という指示語を使いましたが、指示していた対象が解けた時に、指示するのが”空”です。)
これだけ聞くと、空を理解することは良い事のように思われると思います。しかし、危惧もあるのが現実です。
例えば風光明媚な、しかも人の手で汚れていない、かつて見たこともない見事な景勝地の写真や映像を見るとしましょう。その映像を見て、実際に自分もそこに行きたいと思えれば、それを見たことは道を歩むきっかけや糧となります。しかし、その写真や映像の絵に没入(執著)して、実際に一歩も動けなくなってしまい、その場所に行く機会を損じてしまえばその映像を見たことは本末転倒です。
TVを見るだけ、話を聴くだけで、実際にその地に行った気になってしまって、そこへ行くそもそもの動機を失ってしまえば、道の歩みは停止します。
実際に道を歩む事とは、自分は一歩も動かず覚りの境地の写真を眺めることではありません。実質は功徳を積むこと、徳行を為すことです。そしてこれらは空の理解とは関係がありません。完成された徳行は空性を帯びていると言えますが、それは徳行を完成したときに自動的に備わる性質です。完成していないのに、見かけだけ空性を帯びさせたようなことで誤魔化してしまうと、それはかえって虚妄を生み出してしまう。
そういうわけで、空の理解を先ず目指すことは、修行者にとっては微妙だと言わなければなりません。結婚という目的無しに、花嫁修業が成立しないようなものです。
しかし、分かっている人は、空の理解が最終目的ではないことを心に知って居るので、空を理解しても、空に執著を起すことなく、歩みを止めることなく、道の本質本義を知って、自身の抱く究極の目的を果たすことでしょう。実際、空の何たるかを知るのは、その時でも別に構わない。
結婚生活における諸々の所作や仕事を、実際の結婚生活の中で覚えてもO.Kだし、その方が健康的と言うか、何ら問題のあることでは無いと言えるでしょう。
それでも空が知りたいという方は、空の理解に縁起を持つ方である可能性が高いです。
追伸:
公案は、
どうしてもいけなければ、あきらめる。
どうしてもいけなければ、どうもしない。
どうしてもいけなければ、抜け道を探す。
どうしてもいけなければ、誤魔化す。
どうしてもいけなければ、当たって砕ける。
どうしてもいけなければ、死ぬまでやる
どうしてもいけなければ、前提を覆す
どうしてもいけなければ、工夫する
どうしてもいけなければ、、、etc
これらのような、虚妄に翻弄された答えによっては決してその道は開けません。
どうしてもいけなければ、、、という八方ふさがりの状態において、その状況のすべてを受け止めて、しかもその局面を打開する”正しい道””真っ当な道”を見出さねばならない。
ニャンポコさんの事だから、公案の解答に理由を求める事でしょう。それも、正当な理由を求めると思います。その姿勢は正しい姿勢です。
公案の答えは、実は荒唐無稽なことを言っているのではないからです。
ただし、世にはよく出来た公案と、そうでないポンコツがあるようです。偽経があるようなものですが、正しく道を歩む人はポンコツ公案さえも道しるべと為すことが出来るでしょう。
公案というものは、空を理解するために深く考えさせるもの、つまり、空を悟った先輩が、後進を導くためのもの、ということであると理解しました。
キサラギさんが悟ったものとは何だろうか?
いわゆる涅槃に至るための一つの道標といえる、ということなら同意できます。
仏の悟りとは、西洋哲学の「存在」を感覚的に認識することと言えると思っています。それは、空観によって理解できるものだが、理解が即悟りではないということですよね?
No.54
- 回答日時:
自分が立てたQAスレッドは自分だけのものではないかと。
回答者自身が考えるためのものでもある。
いやそんなことない、自分の脳みそと同様にスレッドも自分のものだと。
そういう固まった部分に新しく{ }を作って考えを広げていくのが{空}ではないでしょうか。
またこの回答も{やれやれ}扱いされるのかな。
あなたに{くう}が出来ますように。
backup
https://note.com/shouga/n/nf44a80cd38c2
No.53
- 回答日時:
> つまり、「即」が理解できれば、分かるのではないかと思うのですが、どう思われますか?
鋭い。その通りです。ニャンポコさんには譬え話は必要ありませんでしたね^_^
空を理解する時は瞬間的に理解します。即刻です。
=(イコール)に注目しているのも素晴らしい。
問題の本質を捉えている人は、解く準備が出来ている人です。
僕は空を知る前は、ニャンポコさん程には鋭くなかった。ニャンポコさんが解けないはずはない。
僕が解けたのは、ただ、それが知りたいと本気で思っていたその一点に尽きると思います。それが空であるとは、事前には知らなかった。
ニャンポコさんは、空の理解と終局の真実は別のところにあると考えて、できれば空のことについても知っておきたいと思っているのかも知れない。そうであるなら、それもまた道理に適った事です。空の理解は終局の真実ではなく、どちらかと言えば智慧の副次的な位置付けにある。だがそれでも、空に執著を起こさない限りは、それは有用に働く。例えばそれは花嫁修行のようなものです。花嫁修行をしなくとも結婚はできるが、しておくに越した事はない。
あえて言うなら、花嫁修行で身につける様な事はできて当然のことと言える。それでも婚姻は縁と決心によって結ばれるものであり、たとえ空の理解がなくとも、智慧を知る事はでき得る。
あ、また譬え話を(笑)
以前、ひん曲がった刀の公案がありましたね。答えを聞いても理解できませんでした。まだ、「公案」そのものをよく理解していません。
「空」を解く?それは「悟り」=「感覚的認識」と言ってよいのでしょうか?
私は「空」というものを哲学的には2/3くらい理解していると思っています。しかし、感覚的な認識には全く至っていないのは明白です。
キサラギさんが、どう説いたのか知りたいのは山々ですが、そう簡単に伝わるものでもないのでしょう。
No.51
- 回答日時:
法身一大観念態
吾人が現に写象する処の世界の天体の星宿より、乃至、山河大地動植物等に至るまでの森羅万象の相と顕れてをる物と、また一方に外界の万象を写象する処の主観なる心との二面を為してをるが、客観界の一切万象は主観の心がなければ写象することが出来ぬ。
客観と認める物と、また吾人の主観の心とは、それが一大根元がなくてはならぬ。この根元を法身の一大観念と云う。
法身自体は主観客観の相対的でなく、之を統一する処の絶対的観念態である。それが世界の相対的の方面には、物象心象の二現象と為るも、本質は同一観念態の相対的現象と云わざるべからず。故にこの一大観念も、物心二象の本源なりと云うことを得。
吾人の主観なる心も、客観なる物象も、元は同一法身の絶対観念態の分類現とす。故にこの物心二象の本質同一なりとの理を明かす為に、四種の観を以てす。
今、華厳法界観の會色帰空観等の四観を物心即一観に転用せば、
(一)會色(物)帰心観
客観の万物の本質は心なのである。万象は主観の心に帰す。主観の心と客観の物象とは同一本質である。氷炭相容れざる如きもので無い。向こうに見える山河大地等の物象は、自己の観念が客観化して現じた相である。実は自己心の相を、向こうに見ているのである。向こうの物それ自体は何であるかは、物の象と現れたのは、自己の観念の相である。
若し自己の心が無ければ、外界の相は如何なる象相なるかは、認識することが出来ぬ。故にすべて客観の相なるものは必ず主観の心に帰すべきものである。
(ニ)色心不二観
主観の心相と客観の色相とは実は本質一体である。但し衆生が相対の見地よりして、内観を主観と云い外観を客観と見る。見よ自己が頭より脚下に至るまで、外部より見れば全体物質のみである。然るに同一の自己を内観すれば全体精神である。故に物色と心象とは本来一体の両面より、色と心とに相対的に観てをる故に実は色心不二である。
(三)物心無碍観
客観の物の相と主観の心の象とは、元同一本質の物なるが故に相互に礙へるものでない。吾人の観念は山河大地の内にも徹して碍げず。試みに瞑想観念して観給へ。吾人の観念は大地の中にも徹照して毫も妨げず。されば吾人の観念中の万物とも云い、万物内存の観念とも云い得らる。吾人の主観も法界に周偏して遺すことなく、客観の万物も宇宙に偏在して余す所無し。然も相互に障碍せず。同質異現なり。これを物心無碍観と云う。
(四)物心無奇観
宇宙は本来絶対観念にて、宇宙自体は絶対にて主観とか客観とかの相対的なものに非ず。但し相対的に規定せられたる衆生は、客観の物象と主観の心象と見てをる。人間は自分から主観とか客観とか両面に分けて見てをるけれども、絶対者自身より見れば主観とも客観とも別々に分別して居らぬ。絶対である。これを物心無奇観と云う。
《以上、講談社版・無辺光 39頁~41頁》
☆ 例に依って山崎弁栄(べんねい)上人の“言葉”を写し取ってみました。ニャンポコさんは、上人から真理を学ぶべき人の一人、ではないかと思ったからです。
果たして、相性は?
☆ 客観の相は自身の心の相を見ているのだ、と云うところが意味深ですね。
☆ また此処に、空観を読み取れませんでしょうか?
山崎弁栄師、(1859~1920年)浄土宗の僧。
彼は仏教だけでなく、西洋哲学をもよく勉強したのではないかと思います。
これは、空観と言うよりも認識論だと思います。カントの哲学によく似ていると思います。
師の哲学をキチンと理解するには喧々諤々やらないと、なかなか難しそうです。
No.50
- 回答日時:
「存在」とは何だ?
空である。
例えば、折り紙で鶴を折ったとしましょう。
この鶴は何ですか?と問う人がいて、折り紙です。と答えました。更に、この折り紙は何ですか?と問う者が居たら、彼は"折り紙"を理解していることになるでしょうか?
存在を解けば空が露見する。空を解いても空のままです。その意味で、色即是空であるが、空即是色とは言い切れない。言えなくも無いが、色即是空を理解するよりも空即是色を理解することの方が難しい。
折り鶴を解くのは誰にでもできるけれど、鶴を折るのは折り方を知っていなければ難しいようなものです。
ところで、火を消したなら、更に火を消す事はできない。
悩みが尽きたなら、そこが不滅の安らぎ(ニルヴァーナ)です。
存在への執著を離れ、全ては空であると観じる事は、解脱に近づく小さからぬ一歩であるでしょう。
存在は「空」である、と。
折り紙で折った鶴に例えれば、折られた鶴が「色」であり、折り紙が「空」である、と。
「色即是空」ー即とは仏教では二者がそのまま同等で差別のないこと、を表すので、「色」=「空」となります。
しかし、科学的、社会常識的に考えると「=」ではない。では「=」とはどういうことなのか?
「空即是色」も同じことで、つまり、「即」が理解できれば、分かるのではないかと思うのですが、どう思われますか?
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