プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

大化の改新で、蘇我氏は中臣鎌足と中大兄皇子によって倒されましたが、蘇我氏が倒された理由は何ですか?

A 回答 (3件)

古代天皇の男系皇統は、雄略天皇を最後の頂点にして乱れ、応神天皇五世孫と云う継体天皇に継承させざるを得ない状況となる。


天皇の政治的・軍事的権威失墜だ。そして大伴氏による外戚政治が始まる。

そして欽明天皇の代となって、送り込んだ複数の妃が何人も皇子を産むことで外戚の地位を固めた蘇我氏が台頭し、隋唐帝国の誕生で半島情勢が風雲急を告げだした頃に実権を握った。

そして中大兄と鎌足が乙巳の変を成功させ、再び、政治的・軍事的権威を天皇家に取り戻した。
要するに、半島情勢の危機という国難に対し、豪族のひとつでしかない外戚中心では求心力を欠いて防衛が危ぶまれるという危機感から、天皇中心の豪族を廃した中央集権国家で対応しようという話だろう。

似たような例で云えば、摂関政治の行き詰まりに危機感を抱いた院政の開始が、天皇家vs外戚大貴族としてあげられる。
また、国難への対処という意味では、欧米列強の植民地主義に危機感を抱いた朝廷+勤皇派vs江戸幕府・佐幕派を例として挙げられると思う。

要するに、国内外の危機に対して、天皇中心の中央集権的体制で行くのか、幕府や中央大貴族・大豪族中心の分国封建体制で行くのか、という政治・外交方針を巡る権力の争奪戦が、乙巳の変と大化の改新の実相だろう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど!ありがとうございます!!

お礼日時:2021/03/05 12:23

No.1回答者: Tacosanさんに一票です。


乙巳の変の後に、行った大化の改新での政策は、松本清張は
全部、蘇我氏のパクリだと言ってます。
蘇我入鹿が従兄弟の山背大兄王(厩戸皇子の嫡子)を殺した事が、
引き金になったようです。
蘇我一族は仏教導入など、国際的な視野を持て、いたようです。
古事記より前に、日本史編纂の為に情報を集めていた形跡が有るのですが、
父親の蘇我蝦夷が自害する時に、屋敷に火を放ってので消失してしまい、
確認するすべが無くなってしまいました。
    • good
    • 1

乙巳の変で滅ぼされたのは蘇我氏の直系だけで, 傍系は残ってるし後に重用された人もいるよ.



で本題としては
蘇我氏が「うっとうしい」から
ということらしいけど, どこがどう「うっとうしい」のかはいろんな説があるらしいね.
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!