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日蓮宗のご本尊さまは、阿弥陀様とか観音様とかの仏様ではなく、「南無妙法蓮華経」という文字を書いた掛け軸なので、それに向かってお経を唱えるのは、なんだか違和感があるのですが、そんな文字がご本尊様になり得るのでしょうか?

gooドクター

A 回答 (9件)

日蓮大聖人は 「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり(=仏は文字によって人々を救われるのである)」 と言っています。


 また 「所詮修多羅と云うも文字なり文字は是れ三世諸仏の気命(いのち)なりと天台釈し給へり(=つまるところ、経といっても文字である。 『文字は三世の諸仏の命の源である』 と天台大師は釈されている)」 とも述べられています。
 さらに 「滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり(=釈尊が亡くなって、すでに滅んでしまった仏の声がかえって形を現して文字となって人々に利益を与えるのである)」 とも仰せです。

絵や彫刻などでは、それを拝した時に受け止め方が違ってきてしまう。 どうしても目に見える “表現” のほうにとらわれがちで、表現が象徴している “真理” に思いを致すのを妨げることもありがちです

絵や彫刻などでは、永遠にして普遍的な法を表現するのは困難です。
 本尊が、万人に対して 「永遠の法」 即 「永遠の仏」 を顕し、弘めるために、像ではなく文字で表現されたことに深い意義があるのです

文字は、「心」 へ、「因」 へと導きます。 これに対して、絵・像は、「果」 に執着させる傾向がある、と言えます。

本尊の説明は非常に難しく、当方も軽々に語れません
日蓮大聖人の「観心本尊抄」や「本尊問答鈔」があります
日蓮の講義を書き留めた「御義口伝」なんかは、南無妙法蓮華経の説明から入ります
是非、購読してみてください
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この回答へのお礼

奥の深いお話し、ありがとうございました。
勉強してみます。

お礼日時:2021/03/01 13:01

日蓮宗、創価学会、刷り込まれている、習字の掛け軸ありがたくもなんもない、阿保や!

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仏教の根源までさかのぼらなければならない。



あるブッダの弟子が病気に苦しんでいた。
その弟子はこう考えた。
「師匠の像を刻みそれを毎日さすれば神通力で苦しみが除かれるだろう」

そのことを伝え聞いたブッダがその弟子を見舞ってこういった。
「像を刻んだところで何の利益もない。それより仏法を会得しなさい」

仏教には諸宗派があるが、どの本尊だろうとしょせんそういうことである。
教義の具現化ー象徴ーでしかないのである。

仏教には「自灯明法灯明」という言葉があるが、それに照らして解釈すれば
「本尊になりうるかどうかは自分で決めろ」
ということになる。
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この回答へのお礼

>教義の具現化ー象徴ーでしかないのである

⇒ なるほど。

お礼日時:2021/03/01 12:58

あのね、、、日蓮系の宗派には、大きく分けて二つあります。



・身延派⇒日蓮宗。
日蓮の弟子、日向が身延の地頭、波木井実長とつるんで、身延の山に勝手な教義を持ちこんで、本尊を乱造してしまった。もちろんそれはでたらめな宗派になってしまい、功徳は一切ない。日本の8割の日蓮系の寺は身延派。

・富士大石寺派⇒日蓮正宗。
日蓮から直接、相承を受けた日興が開いた宗派。乱れた身延の山を降り、富士山麓の大石ヶ原に大石寺を築いたのが始まり。日蓮の正統は日蓮正宗に受け継がれる。弘安二年の大御本尊も現在、富士大石寺にある。

これを踏まえた上で、、、、ここからが本題。




>そんな文字がご本尊様になり得るのでしょうか?


この中央に書かれている『南無妙法蓮華経』とは何ぞや、、、という事です。

もともと、日蓮が建長五年四月二十八日に、この『南無妙法蓮華経』を建て自身の宗派を開いた時には、曼荼羅に書かれた御本尊というものは無かったのです。日蓮は、『南無妙法蓮華経』という題目をもって本尊としたが、曼荼羅には認めなかった。

この曼荼羅御本尊というものが、“形”として現れたのは、文永八年九月十二日の『竜の口法難』の翌日、相模の国の依知(現在の神奈川県厚木市)の本間六郎左衛門の館に着かれ後に書かれたのが初めてである。

その後、『佐渡流罪』で佐渡に送られてから、数多く曼荼羅御本尊を認めはじめます。
その後、晩年に『熱原の法難』が起きた際、楠の板に現わした御本尊を『本門の本尊』(弘安二年十月十二日)と言います。

そもそも、この『南無妙法蓮華経』とは何ぞやと言えば、法華経に書かれた衆生をして成仏する『法』の事であり、久遠元初の仏の名前です。
妙法蓮華経仏です。そこに南無(帰命)していく事で、我々衆生生命に内在する『仏の生命』が開いていくという原理です。(ここが大事)

この『南無妙法蓮華経』を、御本山として我々が目に見える形で世の中に現わされたのが、末法の御本仏である日蓮大聖人なのです。
そして、日蓮大聖人自らがこの御本尊を『本門の本尊』とされています。
この御本尊を模して、曼荼羅としたものが家庭にある御本尊となるのです。



付録:大曼荼羅一覧

http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitir …
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2021/03/01 16:34

南無妙法蓮華経というのは、妙法蓮華経という経典に帰依しますということなのです。

これはそもそもの妙法蓮華経に、この経典を守護する者は功徳があると書かれてあるのですよ。

ですので経典に帰依するということを表すために「南無妙法蓮華経」と文字に書いて、それを本尊として拝むということです。

いろいろなものを功徳があるとして有り難がるのが宗教といえるのでしょう。
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NO3追記


したがって、ご本尊様、というものはないはずです。
創価学会当たりの信者では、ご本尊という人もいるかもしれません、そんな人は真の?、仏教信者ではなく、宗教団体の信者です。
たぶんあなたが、そう思い込んで言っているだけでは?。
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蓮華経、というお経です、釈迦の教えをすべて記録している?。


そのお経を唱える、もちろん門前の小僧のお経は内容を理解していません、
内容を理解して唱えるのであれば、何に向かう必要もありません。
自身に言い聞かせるだけでよいのです。
仏教信者の原点は、釈迦の教えを学び、それを実行することです。
>南無妙法蓮華経」という文字を書いた掛け軸
それがありがたいのではなく、内容がありがたいのです、掛け軸はその象徴として飾っているだけ。
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なり得ます。

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鰯の頭も信心から

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