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坂本龍馬さんは何故、暗殺されたんでしょうか?わかりました方は回答をお願いします。

A 回答 (5件)

これって幕末最大の謎のひとつなんで、分かった方なんてそう相違ないと思うんだけどね。

最近主流の説だと、消去法で薩長の誰かが邪魔になってやった。

 竜馬は幕府をなくして大名の合議制による国家を作ろうとし、大政奉還後はその流れが主流になりつつあった。龍馬はただの脱藩浪人ではなく、この合議制国家実現のフィクサーみたいな立場になっていた(なぜかはよくわからない)。大名の合議制になると徳川家もその一員、勢力規模からしたらかなり上の地位に残る。だから佐幕派としてはそれなりに納得できる形。むしろ龍馬は佐幕派にとって邪魔ではなく、徳川家存続には必要不可欠の人物であって殺す理由なんぞ全くない。死んだら困る。
 ところがあくまで武力討幕による徳川家排除を図る薩長としてはこの合議制国家ってのは想定外。せっかく徳川に代わって政権を牛耳ることが見えてきたのに…。ということで、こちらにとって竜馬は邪魔者。生きてたら困る。ということで、殺す動機は佐幕派にはなく、薩長側にはある。

 これに加え、そもそも暗殺は隠れ家の近江屋で行われ、竜馬は座ったまま前頭部を横なぎに切られている。これは暗殺者が竜馬の前に座っていた可能性が高いということ。立っていたら上から袈裟切りになるはずだしね。とすると暗殺者は竜馬が警戒心なく対面で座れるような人物。討幕派であるはずはない。
 
 あくまで仮説のひとつだけどね。
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この回答へのお礼

ありがとう

詳しく教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2021/03/06 22:45

他の回答にあるグラバーは、長崎のグラバー邸で有名なそのグラバーさんです。

グラバーは龍馬より5才くらい年下だったかな、それで龍馬がグラバーに最初に会った頃はグラバーが20代前半で、その時にはすでに大金持ちなわけで、グラバーに憧れたのが龍馬の行動原理だと私は思っています。
色々な回答がありますが、やはりどちらかと言えば討幕派に属していることになりますから、幕府体制のまま開国してやっていこうと考える佐幕派からは敵になったのでしょう。

私たちはその後に起こったことをすでに知っていますから、その知識を元に考えてしまう事がよくありますが、その当時の人々は将来がどうなるかなど分かるわけないので、そのような考え方は見当外れなものにしかなりません。
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この回答へのお礼

ありがとう

教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2021/03/06 22:44

こんにちは!



>坂本龍馬さんは何故、暗殺されたんでしょうか?

そうですね…、諸説ありますが、坂本龍馬をバックアップしていたのは、トーマス・グラバーという英国の商社マンです。彼はジャーディン・マセソン商会(第一次アヘン戦争の影の仕掛人)長崎代理店の支店長であり、後にロイズ保険やオリエンタル銀行の日本支店の代理人にもなっています。

つまり、グラバーは倒幕側の武器商人としてサポートしていました。彼らの狙いは、日本内戦で儲けることでした。

その為、龍馬は彼らの思惑通りに日本を駆け回っていました。成果は「江戸無血開城」と徳川慶喜の「大政奉還」で、江戸幕府の幕を下ろし明治新政府へと移行します。

つまり龍馬は裏事情を知り過ぎてしまったという事ですねぇ。明治新政府には邪魔な存在になってしまった。近江屋事件で、龍馬と中岡慎太郎が暗殺されましたが、中岡慎太郎が斬られても少しの間生きていましたが、犯人の事は黙して語らず、亡くなりました。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をいくら読み込んでも、暗殺された経緯までは分かりません。歴史は、「金の流れ」を掴む事で真相が見えてきます。
最近では、『パナマ文書』でタックスヘイブンやマネーロンダリングの実態が明かされ、有名なメガバンクの関与が暴露され、世界的なスキャンダルになりました。
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この回答へのお礼

ありがとう

教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2021/03/06 22:45

紀州藩の船にいろは丸を衝突させ、賠償金として、7万両を、


脅し取った、ごろつきだったからです。
1980年に沈んだ、いろは丸が見つかり調査したが、積み荷は空で、
坂本龍馬が主張した、鉄砲を大量に積んでいた事が嘘だと解りました。
紀州藩から7万両が支払われた、8日後に暗殺されてます。
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この回答へのお礼

ありがとう

教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2021/03/06 22:46

彼は自由人で佐幕にも倒幕にも組していない。

だから、頭の固い原理的な佐幕派、討幕派の双方から睨まれていた。

彼は自由人だから脱藩して自由な浪人の立場を選んだ。
そして幕臣でありながら、幕臣と云う立場から離れた自由な発想を持っていた勝海舟に心酔して、勝手に海舟の用心棒的な役割で海舟と行動を共にした。
幕府の海軍操練所を立ち上げた海舟に従っていたが、操練所が廃されると、幕臣としての責任を捨てられなかった海舟と袂を分かち、ある意味、本当は海舟がやりたかったかもしれないことを龍馬はやりだした。

すなわち、操練所があった神戸から、やむなく江戸にもどった海舟に対し、彼は京都や長崎を拠点にして、薩長同盟を仲介し、幕府に潰されそうになっていた長州を助けた。
その意図は、旧態依然な幕藩体制をぶっ壊し、平和裏に日本をまとめ上げようという、直後の大政奉還と新政府樹立に向けた、正しく海舟が描いていた理想のビジョンに基づいた行動だった。

だから、長州を助けた次の行動は、幕府勢力を助けるために、母国の土佐を動かして大政奉還の実現のために動くことだった。

このような行動は、原理的討幕派にとっては、倒幕に力を貸しながら、幕府も救済する裏切り者に映り、原理的佐幕派にとっては、幕府を潰そうとしている反逆者に映る。

実際には原理的佐幕派のテロリストに殺されたようだが、原理的討幕派に暗殺されてもおかしくない状況だった。
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この回答へのお礼

ありがとう

詳しく教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2021/03/06 22:46

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