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古代の事実につき、例えば高校教科書では日本書紀の他には文献史料が無いことを前提とし、その記述をそのまま信じているように書いています。磐井の乱、聖徳太子、乙巳の変の頃には大陸との交流もそれなりにあり、文字を書く人はそれほど少数ではないと思います。
 広範囲に探せば何らかの文献史料が残っているのではないでしょうか。帝紀など日本書紀が拠ったと思われるもの以外に、舎人親王等の目に触れていないもので検証しない限りは、片手落ちの方法で歴史記述しているとの感が拭えないのですが如何でしょうか。
 後代に偽作された文献史料も多いのでしょうが、これら眉唾ものでなく、埋もれた文献史料を地道に探す努力は学界でなされているのでしょうか。

gooドクター

A 回答 (13件中1~10件)

> 今までに出てきている文献史料が全てではなく、埋もれているものがまだあるかもしれない。

しかし、埋もれているのだ、と理解いたしました。
> 仰せのような木簡があれば、と考えております。もっと言えば、ないのが不思議のような感覚でおりますが、皆さんのご回答で未だに埋もれている、とも思うようになりました。

素人ですが、木簡などはないと思います。
https://www.nabunken.go.jp/org/tojo/woods.html
「木簡の発見記録は江戸時代にもあり(秋田県小ヶ田埋没家屋。『菅江真澄全集』九)、現物の伝わるものとしては、昭和初期の秋田県払田柵跡や三重県柚井遺跡で見つかった木簡の例がありますが、本格的な研究の始まりは、1961年(昭和36)1月の平城宮跡最初の木簡の発見がきっかけになりました(復元された第一次大極殿の北側に奈良時代後半に設けられた役所〈推定大膳職〉のゴミ穴SK219)。  
 以後半世紀、木簡出土事例は全国各都道府県に広がり、年代も630年代頃から近代にまで及んでいます。」
最古の木簡よりも100年前のものがあるとは思えないです。そもそも、納税・徴収・伝票・帳簿・連絡・指示命令などの用件のために木簡が造られたのであれば、磐井に限らず、当時の九州にそのようなものがあるとは思えないです。見つかっている最古の文書は、7世紀前半の法華義疏らしいです。
6世紀前半に、文字で何かを記するという行為が、日本であったとは思えないです。 8世紀に制作された古事記でも、「耳に度れば口に誦み、耳に拂るれば心に勒しき。すなはち、阿禮に勅語して」(目訓ロ拂耳勒心即勅語阿禮令誦習)と記載して、当時の人々が「そりゃそうだろう」と納得するくらい、《口伝え・口承が基本だった》という基本認識があるのだと思います。

「帝皇日繼及先代舊辭」が書き物としてあったという説もあるらしいですが、口承こそが正統・正当で神聖と思われていた時代に、誰が誰向けに記載したのか、文字を書き読むことができたのは誰かを考えれば、先祖功績や血統継承を文字で書くことがあったとは思えないです。
8世紀の日本書紀に、7世紀前半の記載の中に天皇記、国記の記載がありますが、文書のようなものは現時点(8世紀)では、伝承されていないことの正当化の理由付けを目的に7世紀前半の事件がらみのことして作文されたと理解した方が自然です。 もしも、天皇記、帝皇日繼及先代舊辭、国記があったとして、(なんで蘇我本家にあることに記載したのかが疑問ですが、なくなったことを正当化するためか?)、それが大事であれば、近江遷都やいろいろの制度を作った政権が、採録天皇記を造ったり、国記を大事に伝える手立てをとるのが、事件経験をしていれば当然でしょう。 最初から、「7世紀前半の記載の中に天皇記、国記」は、作り話でしょう。

磐井の乱、武蔵国造の乱に関しては、「この6世紀の後で、地方豪族との服属関係ができた。それまでは、交流や経済取引、勢力の大小強弱はあっても、それぞれ地方の独立勢力だった」という見方が、現在のメインの見方のようです。
みやけの成立も、磐井が服属したというか、貢納を制度化したことに始まるようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私としては6世紀であっても、それなりに人口があり、中には文字を書いている人がおり、文字史料となるものがどこかに眠っているのではないか、という気持ちが消えません。でも、今、見つかっていないのなら、今は無いのと同じことですね。ご丁寧に有難うございました。

お礼日時:2021/03/19 09:55

聖徳太子を利加彌多弗利に当てるなら許されるが、


阿毎多利思比孤に当てるのは不賛成。
当時、推古女帝代で
おかしいという学者ありき。
天皇というか王は通常男しかいないと思い込んで、
隋が勝手に伝えたもの。
いわば天皇の普通名詞で解釈したほうがいい。

倭奴國もヤマトの國とよむべき。

奴國という小国はただの出店。
使者は大和まで出向いたでしょう。

九州とかあちこち、様々な國に当てる邪馬台国探しは無意味。
ご当地ソングで郷土に誘致したいだけ。

惑わされて悪戯に歴史を混乱させるなかれ。

3国志も後で遡って書いたもの。
編者は来日していない。使者の昔話を聞いただけ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご注意、気を付けます。

お礼日時:2021/03/19 09:55

古代というか、天皇陵も含めて


文献に合わせて被葬者埋葬場所探しは江戸時代の元禄の綱吉の頃に始まり明治~昭和と続く。

だから、無理に捏造やいい加減な推定で当てた偽物陵が多いです。

古墳の前に行って、これがこの人物のお墓かなどと看板見ても、
眉につばつけましょう。

当てにならぬもの多し。

平城天皇陵とか古代でないものでも
実は前方後円墳の前方部だったので比定にミスアリとなってしまった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

注意いたします。

お礼日時:2021/03/10 13:02

朝鮮の歴史研究者の方々は三韓のその頃の記述も読んでおられるのでしようね。

日本書紀の記述と矛盾するようなことは書いてないのでしょうか。あるいは何にも書いてないのでしょうか。

これについては入り組んでいます。

朝鮮史というのは3国史記(新羅本紀・百済本紀・高句麗本紀)
3国遺事

新羅は朝鮮統一を成し遂げ、
日本を唐と組んで朝鮮半島から追い払ったが、
新羅はその後、起こった高麗に降参、軍門に下り、
国が亡くなる。

その後に新羅・百済・高句麗の歴史はこうだったと語りなおすために
遡って歴史が作られた。それが3国史記と3国遺事。

実は朝鮮の史書はほかにもいくつかあったが、
戦争でほとんど焼かれており、日本書紀はその断片を採集して、
いくつか収録していますね。一にいわくで沢山でてくる。

でも引用年代が干支を二回りずらした位置に入れるとか、
実際に時代を治政した天皇とは違う天皇の所にいれるなど、
順番を変えています。これは意図的な紀年延長手段で

いうなれば、事件の起きた順番とはことなる順番で
記しなおしたということになります。
さらに天皇の年齢も著しく延長。

だから紀元2600年は大ウソ。

ここでは長くなるので細かくは省略。自分で年表を作って調べなおすことを
勧めておきます。 岩波古典文学大系の日本書紀
などを読むと出てきます。

古事記とは日本書紀はかなり年数干支で対立。

一度年代は古事記に合わせて日本書紀は登場人物の配置転換必要。

高句麗本紀の編者はたぶんよほど日本が嫌いだったのか、
日本・倭国の記事が一つも出てこない。多分消したのでしょう。
日本書紀は高麗がやたら出て来るのに高句麗本紀には全く日本の記事がない。

新羅本紀・百済本紀は日本倭国との交流・戦争・人質・交易・その他いろんな記事登場。3国遺事も同様ね。



まあ私があまり述べると、種明かしになるし、
誰かの模倣と思われるとまずいのでこの辺りにしておきます。

倭国という名前で日本は新羅をかなり昔から攻めていた。
神功皇后どころか、もっともっと古い時代から朝鮮侵略のために侵攻していた。
卑弥呼のほかに卑弥乎という口偏のない女王も出て来るね。

ああ、私は口が軽い。余り述べ過ぎたと後悔。これでも述べすぎ。
古史古伝は妄信せず、扱い慎重に。偽書なのは間違いない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

3国史記には私が知りたい乙巳の変や磐井の乱などについては記述がないようですね(Wikipediaをはじめとするネットでの知識のみですが)。これらを記述している外国史料はないものでしょうか。

お礼日時:2021/03/10 13:01

日本書紀は年代サバヨミ資料。


天皇は百歳大王はいないはずだから、年代を古事記を中心に組み替えて
外国倭傳(中国資料・朝鮮史)なども参考にして取り入れる。
邪馬台国問題は大和に決着。

本朝皇胤紹運録・皇代記・古史古伝などにも挑戦しましょう。
古史古伝はただ日本書紀に年代合わせて日本書紀を見ながら書いたこと確実の物もあるので、

年代はサバ読んでいるものもあることを自覚しようね。

天皇も含めて100才を超える人は絶対いない。

武内宿禰300歳は大ウソ。数世に事績分解必要。

超古代というか神代の神様史・神話も面白いね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。外国のものの記事は、日本書紀が材料にしたものとは違う材料で書いているのでしょうね。特に乙巳の変は、日本書紀の記述の通りのことが起きたなら、三韓の文献史料に何らかの記述があってしかるべき事件と思えます。朝鮮の歴史研究者の方々は三韓のその頃の記述も読んでおられるのでしようね。日本書紀の記述と矛盾するようなことは書いてないのでしょうか。あるいは何にも書いてないのでしょうか。

お礼日時:2021/03/06 21:03

no3です。


古代史は「文献学」「考古学」などいろいろな方面からアプローチされ、しかも日本の場合特別な古墳については中ささせないので(大山古墳など)考古学の面で日本御古代史研究はとても遅れています。さらに、右翼や天皇崇拝者たちが異常なまでに古墳調査に反対する上に、事実を捻じ曲げるので、質問者の方のような疑問が出るのでしょう。でも最近では「長屋王邸宅跡」から出土した木簡によって、新たな発見もあり、そうした事が教科書や一般の歴史書に記載される日も近いと思います。
高校の教科書ということで言えば、教員用の指導書があり、教科書の記述をフォローする内容や資料が書かれており、そうした事を参考にして授業をしている教員もいますが、指導書の記述はとても細かく、それを全て授業で使ったら大学の基礎教養のレベルの授業になってしまいます。従ってそうした事をする教師はほとんどいませんが、国立大二次の記述対策の生徒の質問に答えるのに利用することはあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうです、仰せのような木簡があれば、と考えております。もっと言えば、ないのが不思議のような感覚でおりますが、皆さんのご回答で未だに埋もれている、とも思うようになりました。

お礼日時:2021/03/06 20:53

>広範囲に探せば何らかの文献史料が残っているのではないでしょうか


現状では探すのは無理でしょう。
応仁の乱を始め、幾多の戦乱で神社、仏閣は焼かれているので、
残ってないでしょうし、宮内庁が古墳の調査を許しませんから。
それと、オリンピックには惜しみになく金を使いますが、発掘調査の
予算は微々たる物です。
さらに、予算を増額すれば、軍国主義の復活と騒ぎ立てる御仁がいます。

放送大学で古代・中世史の講義が公開されてます。
https://v.ouj.ac.jp/view/ouj/#/navi/vod?ca=806
教材は中古本がアマゾンで購入出来ます、潜りの?聴講生を、
されては如何でしょうか…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

放送大学の番組はかつてビデオに取って見ております。ご親切にありがとうございます。

お礼日時:2021/03/06 20:48

質問文等を見る限りどうやら質問者様はプロの学者が「古事記や日本書紀があるのだから御令嬢他の史料は必要ない」みたいに考えているように思われているようですが、常識から言ってもそんな事はあり得ません。

そもそも既存の史料で歴史の詳細が何もかも分かっているわけではありませんから、新しい史料の登場は学者にとって大歓迎の事です。ただ「拾い上げる努力をしていない」とすればそれは前述のように「拾い上げる方法がない(∵出て来るのを待つしかない)」と言うだけの事だと思います。「新しい史料が発見されて定説が覆る」と言うのはしばしば起こり得る事ですし、近年話題になった例を挙げれば真田丸に関する新しい史料が発見されて「真田丸はどんな要塞か」に関する認識が改められた事があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

今までに出てきている文献史料が全てではなく、埋もれているものがまだあるかもしれない。しかし、埋もれているのだ、と理解いたしました。

お礼日時:2021/03/06 20:50

記紀はホツマツタエを文献史料にしていると考えられます。

よってこの国を紐解くにあたって文献史料にするならホツマツタエがいいと言えます。


江戸時代までしか遡れない、日本書紀と暦が同じ、日本書紀を写した、など色々と取って付けたような根拠のホツマ、神代文字否定説がありますが、どれも本当に公平な判断ではないことが調べればわかります。

ヲシテとは別に阿比留草文字(あひるくび)という名の神代文字も各地の神社において神璽や守符、奉納文などに用いられている神代文字があります。

神代文字は伊勢神宮に奉納され、今に至るまで、伊勢神宮に大事に保管されています。奉納者としては、藤原鎌足や稗田阿礼、和気清麻呂、菅原道真、平将門、源義経、木曽義仲、後醍醐天皇といった歴史上名高い人物で占められています。また「古事記」をまとめた太安麻呂や「日本書紀」の編集者・舎人親王なども名を連ねています。

また、高皇産霊家の山岳信仰の山の英彦山には、英彦山神宮の元宮の高住神社がありますが、ここには、阿比留草(あひるくび)文字の版木が残されています。

あとカタカムナ文字も、楢崎さんと仰る通り、中国道教の老子達の間に広く伝えられていました。

偽書だと都合が良いのは誰ですか?
記紀を書き換えたのは?

まぁ、結論を申しますと自分の直感を信じてて下さい
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ホツマツタエというものが日本書紀のもとになっているならば、私の疑問の答えにはならないような気がします。日本書紀とは関係のないところに、日本書紀の頃の話を書いたものがないのだろうか、と思っているわけです。

お礼日時:2021/03/06 20:46

> 古代の事実につき、例えば高校教科書では日本書紀の他には文献史料が無いことを前提とし、その記述をそのまま信じているように書いています。



No.3さんが回答しているように、日本書紀の記述をそのまま信じているように書いている高校教科書などないです。 文献資料としてあげることができるのは、数少ないし、個々の記述を取り上げていたら、授業時間におさまらないし、大半の生徒には何のことか分からなくなります。
「日本書紀のみを文献史料にしていることで、」の回答画像4
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

資料のコピペのお手間までして下さり感謝です。教科書が日本書紀の記述を信じてはいないということはそうだと思い、日本書紀以外の信ずるに足る文献史料が無ければ、教科書の書きぶりが現状であるのも納得できます。私には日本書紀や日本書紀が拠った資料以外に無いことが不思議なのです。当時、渡来人などはそれなりに各地にもいたのではないでしょうか。中央で大事件があったらそのことを記述した人がいて、しかも少しでも残っていても良さそうに思うのですが。

お礼日時:2021/03/06 20:43

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