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現代もそうですが、江戸時代ごろでも、
・日本は徳川幕府で各地にお殿様がいて支配
・昔は遊郭があった
りしていましたが、ヨーロッパでも、お城があり、その地域を支配する王様などがいました。

現在見たいに情報が入りやすいと同じようになるのかな、と思うのですが、同じころに日本を含めた各地で同じような支配、風俗があったのはなぜでしょうか?

A 回答 (8件)

三大欲と言われる食欲、性欲、睡眠欲で考えても、食事処や岡場所、宿ができるのは必然。

仕組みができると、階層構造支配化させて効率化、権威化させるか、それに意味がなく並列化させるかといった区分も当然できてくる。

地域を治める豪族がいるのは、初期においては全国を治める豪族にまでは至らず、力が拮抗したから。国の概念ができる=範囲の固定、だから、その中で、もしくは外国勢力の金や血筋血縁関係を使って支配範囲を広げるやつも出てくる。

武器も鈍器、刃物や弓ぐらいだと、どこの民族でも地域でも共通概念。それを発明という概念まで戻れば石器時代まで遡るから言及はしないけど、それらの武器から守る鎧は阿呆ではない限り、どこの民族だって発明する。

なので、設問の例に挙げられた共通項は中世の人間にとって常識だっただけです。服は着るけど服飾は国によって違うとか、管理売春機能はどこでもあるけど制度や仕来たりは国によって違うとか、どこでも城は作るけど築城技術や様式は異なります。
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全く同じ、とは言いませんが、社会制度は基本的に、原始時代の集落生活→古代の緩い王政や共和制→中世の絶対君主制→近代の民主政治と言う変革があったとされています。



で、世界的にみると「すべての地域でこれが起きた」わけではありません。
たとえば日本でもアイヌは江戸時代末期まで狩猟を中心とした原始時代に近い集落での生活でしたし、アフリカやアマゾンなども植民地化されるまで部族社会中心の地域がほとんどでした。

つまり質問者様が思っているような変化を経たのは実は「ヨーロッパとアジアの一部」だけで、ここに共通するのは「かなり高度な農耕社会」があった、ということなのです。

農耕社会というのは、階級差を作りだします。つまり支配者・平民・奴隷という階級差です。

特に支配階級の発現は大きな特徴でこれは「翌年の種を守る必要があったから」です。
分かりやすく言うと「今年の収穫は不作で、全員分はない」というときに「種もみを食べればいいじゃないか!」という意見がでてくるわけですが、それを食べてしまうと「種まきする種がなくなって、翌年は全員餓死」になるので強力な権力で種を守るわけです。

なので、全員分の食料が無い以上「奴隷には食料を与えず餓死するのはしょうがない、平民でも蓄えが無いものが餓死するのはしょうがない、支配者階級まで死なない程度に頑張ろう」ということになるわけで、これが段々と絶対君主制になっていくのです。

で、農耕民族社会に変化があったのは1世紀から2世紀の間と5世紀前後、そして10世紀と14世紀だとすでに分かっています。

この時代になにがおきたかというと
・1世紀から2世紀
ヨーロッパではローマ皇帝という独裁者体制が生まれ、キリスト教がすぐ後に起こった。2世紀後半にはローマが東西に分割された(つまり西ヨーロッパの寒冷化が進んだ地域と、東の暖かい地域の経済格差が広がり過ぎた)
 日本では2世紀になってから倭国大乱が起きている

・5世紀前後
西ローマはゴート族の侵入によって崩壊(食料難に喘いだゴート族は文明があり、農業生産高が比較的高いローマ地域を略奪した)
またローマ教皇のシステムが高度に成立し、中央集権的な権力をもつようになった
日本は大和朝廷が成立したとされる

また中東も影響を受け、イスラム教が成立し、イスラム教に基く高度な絶対君主制が始まった

・10世紀
暖かく農業生産の落ち込みが少なったイスラム社会が地中海に侵入し、スペインなどを支配した。
 ヨーロッパは神聖ローマ帝国ができ、教皇と皇帝の対立が深まった
日本は平安時代が終わり鎌倉武家政権ができていく

・14世紀
ヨーロッパで疫病が大流行
室町幕府から戦国時代へつながっていく

他にもヨーロッパと日本で共通しているものに「家紋」があります。家紋が発達したのはヨーロッパと日本だけ、つまり「支配階級の家系維持が重要で、その旗印の下で領地争いをした」ということです。

農耕民族は「支配者階級が種もみを管理すること」がもっとも重要な要素でしたから、日本とヨーロッパは寒冷化に伴って農業生産がきびしくなり、土地の支配権を巡った争いが多発したことから、似たような社会制度や似たような支配形態になっていったのです。
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> 同じころに  日本を含めた各地で同じような支配、風俗があった



徳川幕府というと、江戸時代 1603年3月24日の幕府、1867年11月9日の大政奉還くらいを、ヨーロッパで考えると、日本の各藩が一国一城制のような城はないです。 
王制はヨーロッパに当時ありましたが、日本の幕藩体制の殿様とは状況がずいぶん違います。
日本と西ヨーロッパ、中近東、中国、アメリカ大陸で、「同じような支配、風俗があった」ということはないと思います。
もっと以前の中世ヨーロッパの城と、その後の宮殿とはちょっと違う。
https://traveloop.jp/archives/5828
「どこの地域も同じようなことをしていたのは」の回答画像7
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基本は同じだけど



日本でも、アイヌ民族って
同じような文化じゃなかったよ


ヨーロッパだと
中東なんかとの考え方の違いが
かなり激しくて

王族が支配してた
てのは
単純に王侯社会で
日本の大名てなのも、辿れば
天皇家から分家した
源氏と平家が基本的だと言われてますね

王侯が何故に統治できたのか?

そりゃ
集団を纏めるリーダーって必要になるから
そのリーダーが王様になりやすいのは事実だけど

王権政治に反対して
フランスなんかだと、民主革命
ロシアだと社会主義革命なんてなのも
起きたもんね

同じような文化や風習、風俗が目につくのは
環境に適応した体系が選ばれるだけであって

モンゴルなんかだと
遊牧民てな文化だから
農耕民族とはかけ離れた、風土や風習だよ

王族はいたけど、日本やヨーロッパみたいな感じより
もっと激しい戦闘民族だったみたいだしね

日本に居てた
アイヌ民族なんかだと
話す言葉は持ってたけど
言葉を書き記す文字はなかったみたいで
必要性がなかったから
文字が産まれなかったとかね

南米なんかのインカ帝国だったかな
あそこも文字がなかったみたいで
さらには
他人を、疑うてな意識も
ヨーロッパに比べると低くて

人を疑う能力、騙す能力に、たけてたスペインにあっさりと滅亡されてしまっまよ

南米なんかだと
温暖な気候と争い事がすくなかったから
疑うとか、騙すとか
そういった必要性が乏しかったのかもね

ヨーロッパって、国家間での争いの絶えない歴史だったから
人を疑ったり、人を騙したり
などなど
生き抜くための必要性が発生したのかも?

アフリカ諸国なんかも、温厚な人が多くて
争いが少なかったから
ヨーロッパの諸国に、あっさりと駆逐
されていったのは
植民地の歴史を調べたらわかるはなしで

Σ(゜Д゜)話がズレだしたから

回答

戦争の歴史の多い国は、風土や風習が似てくるとは思いますよ

戦争の少ない穏和な地域だと
お城や宮殿みたいなものも
あまり必要性がなかったかも?

似たようになるのは
それが便利で必要性があったから

てな回答にさせてもらいますね
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今起きている事実を自分で確認しないで従っているから。


 権威、権力者が言っている事が本当に正しいのか
周りで起きている事がおかしいとさえ思えないで従って生きて来た。
 一人一人が望む事を信じて、楽しく生きる。


 今ある情報が本当に正しいの、何故そこに情報があるの、

 必ず発信者がいる、発信したいものを選んで発信している、その情報が何故正しいと思うのか。

 日本のメインストリームメディアは中国共産党に許可されているものだけ、
 誰かの利権絡み、
 
自分から正しい情報を得ていく事が未来に繋がる
今世界で起きている事実を知ると不安が和らぎます。

 権威に屈しないで反骨精神で戦う。
 一人一人の声が支配者にとって一番恐れている事です。
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良いと思えば皆がパクる。


パクリは中国の専売特許ではない。
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人間の欲望はみんな同じです、そして、その欲望を満たそうとするから、またその欲望で稼ごうとしている輩がいるので、同じ構図が出来上がります。

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人間が遺伝子レベルで均一であり、


地球環境も物理的レベルで均一だからです。

生理的欲求に差はなく、個性は小さな差でしかありません。
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