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江戸幕府は、どうして新政府軍に負けたのですか?
幕府軍が弱いのなら、黒船来航などの国際事情がなくとも、あっという間に政権がひっくり返っていたのでは?

仮にですけど、綱吉や吉宗など江戸中期に薩摩藩などが謀反を起こしたら、幕府軍は負けていたのでしょうか?

gooドクター

A 回答 (7件)

航海技術の向上により、欧米各国は極東地域の往来が楽になりました。


すると日本のうまみも格段に上がりました。
植民地化できれば言うことなしですが、開国をさせるだけでも魅力的な市場の誕生です。
しかし幕府は開国に反対。
だから鎖国対開国の構図が生まれたのです。
政権がひっくり返ったのは兵力と装備の差。
欧米の多くは開国を望むので、開国の勢力に武器が流れます。

江戸中期では対決の構図が生まれないので、「仮」が成立しません。
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江戸時代、平和な時代が続き「武」の政治から「文」の政治に移行しました。

つまり「戦国時代」などに比べ「大義名分」を重んじる政治が一般化したのです。「幕府」に従うのは「幕府の武力」にひれ伏すのではなく「幕府に反対する大義」がなかったからです。「黒船来航」の際諸大名に意見を聞いたり、異国と交流を始めるなど、それまでの国禁だと思われていたことが、簡単に変更されている様子を見た諸藩は、幕府にひれ伏さなくても良いのではと気が付いたのでしょう。つまりは「江戸幕府」は単に日本最大の「徳川藩」に格下げになったような意識だと思います。その時似た意義があると思われたのは「天皇」であったわけで、その結果偶然にも?孝明天皇は死んで「明治天皇」を担ぎ出すことができたわけです。つまりは「大義」をどこにするかが大きな問題だったわけです。
仮に江戸中期に「薩摩が反乱を起こしたら」ということは、面白い発想ですが、勝敗は周囲の大名が、どちらに「義(正しさ)」を見出すかで違ってきたと思います。江戸中期には、武力よりもそうした「正しさ」で行動する時代に唸っていたからです。そのあたりが南北朝と違う点で、そこに大きく影響しているのは「初期の日本式の資本主義」だと思いますが。ここでそれを説明したら、この数倍の量が必要です。
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江戸幕府は、どうして新政府軍に負けたのですか?


 ↑
1,長く続いた太平で、旗本が官僚化
 してしまった、というのが挙げられます。
 刀など抜いたことがない。
 それよりも学問だ。
 これでは武士ではありません。

 薩摩藩などは、刑死した罪人の死体を
 切り刻んで肝を練ったといいます。

2,鳥羽伏見で、慶喜が逃げ出した、という
 のも大きいです。
 あれでは部下は戦えません。




幕府軍が弱いのなら、黒船来航などの国際事情がなくとも、
あっという間に政権がひっくり返っていたのでは?
 ↑
何事にもきっかけが必要なのです。
黒船がきっかけになり、大老暗殺などが
あり、幕府って弱いんじゃねえの、
と実体が暴露されたのです。



仮にですけど、綱吉や吉宗など江戸中期に薩摩藩などが
謀反を起こしたら、幕府軍は負けていたのでしょうか?
 ↑
綱吉はとにかく、吉宗だったら
幕府が勝っていたでしょうね。
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諸説あるけど、決定的なものはないね。


①鳥羽伏見の戦いは、倒幕側も勝つ確信がなかった。
②武器の性能の違い、例えば小銃が元込めか先込めか、ということも挙げられるけど、決定的な要因になったかは分からない。
③もし江戸無血開城が実現せず血みどろの戦いに突入していたら・・・

あの池田屋の変の当事者、当の池田屋の当主のせがれ入江重三郎が維新後に語った言葉がある。
「あれから3年の間に幕府が転覆しこのような世の中になるなど予想もできないことでした」
これが薩長も含めて当時のほとんどの日本人の感想だっただろう。

いくつかの分岐点はある。
①第二次長州征伐に失敗し薩摩から見放されたこと
②薩長同盟が成立したこと
③公武合体に失敗し朝廷を最終的に薩長側に取られたこと
・・・

江戸中期に謀反を起こしても成功の見込みはない。
当時は時代を動かした原動力「黒船(外国の脅威)」はない。
起こしたところで賛同する藩はない。
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鳥羽伏見の戦いでは、最初は幕府軍が優勢だった。



ところが、「錦の御旗」が登場すると、一部の幕軍が「天皇には弓は引けぬ」と戦闘を中止してしまった。
そして、やはり天皇に対する忠誠心が強かった将軍慶喜も戦闘意欲を喪失し、幕軍を置いて江戸に逃げ出してしまった。挙句の果ては、決戦論の小栗を退け、帰順論の勝海舟にすべてを任せて引き籠ってしまった。
そのまま江戸無血開城に至った。

純軍事的には、慶喜さえ持ちこたえれば、最終的に幕軍が勝利したとしても不思議はなかっただろう。

しかし、幕府は日米修好条約締結に金銀交換レート条項に大失態を犯し、金を大量に国外流出させて日本経済をガタガタにしてしまった。
このために民心が幕府を離れ、「ええじゃないか」の大騒動まで発生していた。

その状況では、幕府が最終的勝利を得るのは無理だっただろう。とはいえ、戊辰戦争が長期化すれば、外国軍の介入→植民地化という最悪のシナリオもあり得たわけだから、その辺が阿吽の呼吸となって江戸無血開城に至ったということだろうか。

ちなみに、江戸中期は、幕府の威光が全国に行き渡っており、薩摩は財政的にも反乱できる力は持っていない。朝廷も幕末のように権威が復活していない。
当時の状況で薩摩などが反乱を起こしても、成功する可能性は限りなくゼロだ。
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慶喜将軍が大阪で(江戸へ幹部少数と)逃げたから。

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島原の乱のとき、武士VS百姓で、けっこう苦戦してます。

それを教訓にしてれば、弱体化はしてなかったかも。
一藩がクーデターを起こしても、他の藩を総動員と、藩主の家族を人質に取ってることで、幕末寸前まで、幕府の政権は磐石でした。

第二次幕長戦争の時は、負けたら長州が消滅するという危機感と、いやいや参戦させられた兵との差。
戊辰戦争からは、薩長=官軍の大義名分に戦わずして屈した。
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