プロが教えるわが家の防犯対策術!



どんな分野においても、一流になる人は「真剣」であると思います。

日本のプロ野球のレベルは高く、身体能力や才能に恵まれた人が集まってきます。その中で、一級の記録を残す人は、運もありましょうが真剣さが違うのだと思ってきました。

そこには、たかが野球、たかが将棋、たかが絵、などという心はなく、その世界へ心身ともにのめりこみ切っているように思えます。

さて、この人間の「真剣」という心はどこから生まれるのでしょうか?また、何者なのでしょうか?逆に真剣になれない人は何故そうなのか?などなど、真剣と言うことについて思うところを教えてください。

gooドクター

A 回答 (17件中1~10件)

一言でいうと「孤独」という言葉です。


本物の地獄?を味わう?ってことですか。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2021/04/10 14:16

確かに!


真剣同士だからこそ到達できる景色

(*゜Q゜*)観てみたい

勝負事って好きな性格なんですけど
純粋に勝負てな感覚よりも
勝負事を楽しめる環境や状況てなのに
喜びを覚えるほうなんで
勝ち負けなんかを、ワチャワチャ馬鹿話し合う喜びは!
たくさんあるんだけど!

ワチャワチャできる喜びってのが
ワシなりの生き様なんかも知れないですね

ワシもあと何十年生きてるのかわからないけど

ニャンポコリンさんの言われる

真剣に成れる喜びてのは
遭遇できるのか?
( ̄~ ̄;)ちと考えてみますね

相手が居ないと慣れなくて
相手が居てることだけで喜べちゃうのが
( ^∀^)(笑)仕方ないですもんね
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この回答へのお礼

矢吹ジョーと力石徹、力石が勝って死んじゃったんだけど、どっちも勝つために頑張り、勝ったら嬉しいのだが、一番楽しいのは戦っている時でしょう。

人との勝負ってそういうもので、底が浅いと言える。

事を成す、というのは自分や社会との闘いであり、深いものです。思いっきり真剣になっていいもんだと思う。

お礼日時:2021/04/10 14:15

真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。


やっつける意味だよ。
やっつけなくっちゃいられない意味だよ。
人間全体が活動する意味だよ。
口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。
頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。
安心する。
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この回答へのお礼

あなたの言葉でいうと、どうなりますか?

お礼日時:2021/04/03 02:04

No.8、No.11です。



> 一時間とか数時間しかもたない真剣さなんて、真剣な人生態度などではないと、経験的に思います。

言葉の使い方の違いかもしれませんが、「真剣な人生」というのは、なんだろうと思ってしまいます。 「真剣な態度」とか「真剣に取り組んでいる」とかならばわかります。 いま、この場合、「真剣」というのは、他のことに気をとられていない、他のことを考えていない、他のことをやっていない、あることにのみ持っている力や精神、脳活動のすべてを投入して取り組んでいるという状況をさしているつもりです。 単に「集中している」という程度ではないのが「真剣」です。 

> ずっと継続できないようでは、まず挫折すると思います。集中力、というのならわかりますが。

真剣な状態は、なかなか1時間も持たないように思います。 1時間以内に、頚を回したり、伸びをしたり、腕や手を振ったり、呼吸を整え直したり、身体や神経をゆるめ、真剣状態を一時開放することが多いと思います。 それは、破綻や断絶を避けるためにやっていることだと思います。 格闘技や団体戦でも、休止時間を設けたりしますし、休止・休憩を取る方式をとっても、戦い・試合は数時間で終わることが多いです。
たぶん 生死に関わっていても、状況はさほど変わらないでしょう。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~sannbiki/gundam349.htm

> また、嗜癖という言葉があり、ワーカホリックなどといって、仕事を頑張りすぎる人を病的に扱うような認識がありますが、これは多分に自分には到底出来ないゆえのやっかみがあるであろうと思います。

もしかすると、嗜癖やワークホリック、依存という言葉には、それを否定的に捉える価値観が含まれているのかもしれませんが、そういう否定的価値観の部分を除いて、「ある行動を頻繁に繰り返すだけではなく、そうした行動をしないでいるとイラついたり、落ち着きが失われたりし、その行動ができる状態になると落ち着き、気分も良くなる」ということだと、心理学でいうオペラント行動の強化子が、練習や修行、勉学、研究、詩作、演奏、読経、詠唱、労働、投資、経営、ダンス、走行、登攀、潜水、ヨガ、ストレッチ、整理整頓、掃除、世話などの"行為・状態"なのでしょう。
たぶん、そうした"行為・状態"になるとオキシトシンなどが分泌されルのだろうと思います。 邁進と言えば肯定的、嗜癖と言えば否定的なのは、ただの価値観や評価の違いで、内実は同じだと思います。
盗癖やアル中、色情狂、噂話・悪口・おしゃべり好き・遊び好きというから悪い印象が強くなるだけで、実態としては生真面目と大きな違いがないでしょう。
社会的評価の視点はハズして観るようにしてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

真剣という言葉の定義はどうあれ、何かあるとすぐ冷めてしまうような気まぐれと、あることについて、モチベーションを恒常的に保持できる精神とを、区別するべきだと思います。それを目指すために。

また、科学的、物質的な分析は出来るでしょうが、それはひとつの現れにすぎないと言えるでしょう。

お礼日時:2021/04/10 14:01

真剣てな事を、違う角度で考えてみましたよ



(  ̄▽ ̄)にっこり

どんな角度かと言うのとかなりズレてるから覚悟して読み飛ばしてみてくださいね

人間って悩みを持つのが当たり前のはなしであって

悩みから苦しみやツラサなんかに移行しやすいんですけど

現代社会の悩みの大元って、大概お金で解決できる事柄がおおくて
希に、お金がありすぎて違う問題が起きる場合なんかもあるけど
注釈・・・元総理の鳩山さんをはじめ有名女優の息子さんとか、貧困ビジネスでひと山あてた某有名企業の息子さんとかね
それでも、基本的には悩みは金で解決出来ることが多くて、金ってものが何かしらの問題を解決させたり!何かしらの評価を現したりもしてますもんね

でね、王さんのホームランをたくさん打ちたいてな悩みは

お金で解決出来ないなやみだったから
真剣を振り回してみて

たまたま、悩みが解決されただけで
誰でも真剣を振り回したからといって、ホームランがたくさん打てる訳ではないですもんね
話を王さんから戻して
この生きていく上での悩みって基本的にお金で解決できないと、社会として成立しない・国家として機能しないってのは
絶対的な事実であって
お金で悩みが解決しなきゃ、誰もお金を使わなくなりますもんね
でも、そんなにたくさんお金を持ってる人って日本だと全体の1割もいてないような気にはなるんですけどね

たくさんお金を持ってる人が増えると、またお金の価値が下がって
国家としての機能が低下してしまうから
農民は生かさず・殺さずの精神がいかされてて
西洋の歴史なんかだと、農作業てのはかなりの重労働だったらしく
奴隷てな身分のさらに下に農奴てな考え方もあったみたいですもんね

現代だと奴隷制度は廃止されて当然であって!誰もが市民てな事柄になってるけど

管理経済てのか、経済の実情てのかを考えてみたら

市民にたくさんの金を渡さないのが、国家として成立しやすいてのは事実ですもんね

金がたくさんほしいなら、社会で上手に立ち回れ!みたいな感じなのか?
社会で真剣に立ち回れなのか?

ここら辺が謎なんですけどね

話をもっと個人単位に近づけて考えてみると!

誰でも、生きていく上で悩みを持ってて
その悩みを解決するために、真剣になることはあって

真剣だと理解してもらうためには
結果が出なきゃ他人には理解されない

結果が出ないと遊んでるとか、サボってるみたいな成果主義が浸透してしまってるのか?
それか、他人の気持ちや感情を読み取る能力が乏しくなって、相手が真剣かふざけてるのか?判断が出来なくなってしまったのか?

例をだすなら、恋愛関係での脈アリですか?みたいな質問や!
職場ないでの人間関係の悩み難かも!

相手の気持ちを汲み取るよりも、自分自身の感情や理屈を先行させてますもんね

毒親とかニートや生活保護なんかの質問でも
似たような事柄なんかを思ってしまって

お金で解決出来ない悩みを真剣に悩んでるてのは、ごくごく希なケースなんかも知れないですね

王さんみたいな悩みや!いまだ世に発見されてない新技術の開発なんかも!

でねお金で解決されないケースを個人単位で考えてみると!

自分自身が満たされてるのか?満たされてない無いのか?

注釈・・・満たされるてのは、お金であったり!愛情であったり!物質的な事や精神的な事まで多岐にわたるので、満たされるてな表現でとどめますね
生き方や考え方なんてなところに行き着いてしまい

満たされてないから、真剣に思い悩み、ツラくて苦しくなる!

何故か真剣から苦しみが生まれてしまうんですけどね

満たされることがないように、世の中って出来ているはずで、たとえ満たされたとしても更に満たされたくなるような世の中でもあるんだけど

それでも悩みてのは尽きる事がなくて
何かしら悩んでしまいやすい人は
自分自身の真剣で自分自身を傷めてしまってますもんね

なら、真剣に楽しめば
真剣から苦しみが発生することもなく
自分自身を傷めてしまう事も少なくなりそうで
他人から理解されないからといって
自分自身の持ってる真剣てなのを、捨てる必要性はないですもんね

相変わらず、とりとめのない乱文なんですけど

読んで貰えたら幸いですよ
(  ̄▽ ̄)にっこり

追記
ワシって苦しむような真剣は捨て去って
楽しめる真剣は、まだなんとか握りしめてるのかも知れないですね

わかりやすくいうと、貧乏武士が太刀を質屋に預けたかんじなのかも?
代わりに竹光を差してる感じなんだけど
竹光すら質屋に預けないといけないのかもね( ^∀^)(笑)
それと
ニャンポコリンさんの
お仕事忙しいそうなので、御無理なさらぬよう御自愛くださいね
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この回答へのお礼

わしやけどさんは、ずれているんじゃなくて、変わっているんです(笑)。
ビリヤードで人があまり思いつかないようなラインを読んでいるような。鋭いと思うことが多いです。

頑張りすぎたり、真面目すぎて苦しむことが、バカバカしいという時代ですが、これは超間違いだと思います。

他の回答にありましたように、真剣勝負の楽しさを捨てるなんて、あまりにも勿体ない。
真剣さがない人生なんて、老人かお公家さんの生き方ですよ。

その真剣さが人を傷付けるみたいなことをいう人がいますが、おかしな話です。
結局それもやっかみですよ。

人に向けちゃいけないけど、真剣振り回して構わないんじゃない?

お礼日時:2021/04/02 20:40

君は学問も僕より出来る。


頭も僕より好い。
僕は君を尊敬している。
尊敬しているから救いに来た

「救いに……」
と顔を上げた時、宗近君は鼻の先にいた。
顔を押しつけるようにして云う。――

こう云う危あやうい時に、生れつきを敲直して置かないと、生涯不安でしまうよ。
いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。
ここだよ、小野さん、真面目になるのは。
世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。
皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。
真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。
真面目になった後あとは心持がいいものだよ。
君にそう云う経験があるかい

 小野さんは首を垂れた。

なければ、一つなって見たまえ、今だ。
こんな事は生涯に二度とは来ない。
この機をはずすと、もう駄目だ。
生涯真面目の味を知らずに死んでしまう。
死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。
人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上ってくる。
人間らしい気持がしてくる。
――法螺じゃない。
自分で経験して見ないうちは分らない。
僕はこの通り学問もない、勉強もしない、落第もする、ごろごろしている。
それでも君より平気だ。
うちの妹なんぞは神経が鈍いからだと思っている。
なるほど神経も鈍いだろう。
――しかしそう無神経なら今日でも、こうやって車で馳けつけやしない。
そうじゃないか、小野さん

 宗近君はにこりと笑った。小野さんは笑わなかった。

僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。
時々真面目になるからさ。
なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。
真面目になれるほど、自信力の出る事はない。
真面目になれるほど、腰が据る事はない。
真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。
天地の前に自分が儼存していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。
真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。
やっつける意味だよ。
やっつけなくっちゃいられない意味だよ。
人間全体が活動する意味だよ。
口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。
頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。
安心する。
実を云うと僕の妹も昨日きのう真面目になった。
甲野も昨日真面目になった。
僕は昨日も、今日も真面目だ。
君もこの際一度真面目になれ。
人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。
世の中が助かる。
――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね

「いえ、分ったです」
「真面目だよ」
「真面目に分ったです」
「そんなら好い」
「ありがたいです」
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この回答へのお礼

漱石ですか…

流石というか、昔の文学者は凄いね。

するっていうと、真面目って何だ?

お礼日時:2021/04/02 20:09

No.8です。



> アカデミックな回答を頂きました。

アカデミックな回答をしたつもりはないです。 
真剣というのは、ごく一般的には、せいぜい一時間以内しかもたない、プロの競技者や生死をかけている人でも、連続6時間真剣にやるのは、無理ではないかと思います。 途中に息抜きや休憩、あるいは流した状態でやらないと、真剣な状態を続けるのは無理でしょう。 プロの将棋でも、持ち時間中に休むというか、真剣ではないときを作っているのだと、私は思います。
ですが、棋士でも、王貞治でも、アガサクリスティでも、ジョブズでも、ベートベンでも、篤農家や畜産や、ケーキづくり、杜氏、板前でも、たぶん、相当の人数が、大げさに表現すれば、明けても暮れても……ばかりを考え、いろいろの工夫と自制に年月を費やしているのだと思います。 
受験生が数ヶ月~数年頑張るというようなのとはレベルが違っていて、ひたすら十数年、数十年と、明けても暮れても……ばかりとなります。(当然、夜間は眠ったり、近所付き合い、冠婚葬祭、家内でのあれこれ、夫婦や親子のあれこれで、数日間は……から離れていることもあります)
このような長期間にわたる執着は、研究者や専門家、プロの人にのみ生じることではなく、ギャンブル依存、アルコール依存、女遊び・男あさり・色情狂い、詐欺や盗癖などでもおきます。
https://mainichi.jp/articles/20201119/k00/00m/04 …

> 王貞治氏自身が「これはもう、スポーツではなく、武芸の修行である」と言っているように、もはや、これは志向ではなく執念をもった「求道」ということではないかと思うのです。

http://www.shionuma-ryojun.com/jp/profile/
このようなのを「求道」と呼ぶこともあるのでしょうが、8代目桂文楽の方が「求道」にもっと近いように思います。王も求道なのかもしれませんが、王がそうなら大鵬は求道でしょう。ただ、本人が「めざす・みち」と思っていたのかどうかは、長期間の執着とは別のことだと思います。 それに、「みち」というのは怪しいイメージだと思います。 たぶん、王も、下のサイトのようなイメージでは、みち・道・求道を考えてはいないと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93_(%E5%93% …
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B1%82%E9%8 …

同じことを頻繁に繰り返し実行し、それがその人の人生の相当部分の際だった特徴にみえるような執着は、たぶん 60歳人口の5%くらい(20人に1人くらい)にはみえる傾向だと思います。 経験の積み重ねが大きく成果の多生に関係しそうな職業をしている人だけに対象を絞れば、60歳人口の20%くらい(5人に1人くらい)にはみえる傾向だと思います。 自分が意識的に追求したつもりではなくても、酒好き、博打好き、盗み癖、サボり癖のような癖、習癖、病癖も、基本的に同じものだと思います。
人間は、生まれてからいろいろの経験で身につけてしまう癖が、その人物に際だった特徴をもたらしていて、それを「学習」と言うらしいです。 社会的に良いとされることかのか、やってはいけないこととされているのかは、関係なく、どちらも「学習」です。 本人が、自分で困っていることでも、自分の良いところと思っていることでも、どちらも「学習」です。
どうして、「学習してしまうのか」というと、そのようにやると気分が良いからです。 やることが嫌な気分になるのならばやりません。
滝行、座禅、巡礼、回峰、キツい基礎訓練、激しい訓練、疲労し汗だくになり呼吸も苦しく精神も極端に緊張させることにさえも、「やると気分良い」ことを経験で知っているのです。 探索、検討、熟慮の繰り返しで、「やれた、やってるー」というのが気分良いのです。 ダンスや演奏をしていると大変だけれども、気分良いのと同じです。

それが、オペラント行動を支える脳内の仕組みにあるのです。 その仕組みを上手く動かして「イイ気分だ」という経験を初期に得られない状態で終わると、オペラント行動が強化されず、自発的に頑張ってしまうような執着行動が起きないだけでしょう。
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この回答へのお礼

一時間とか数時間しかもたない真剣さなんて、真剣な人生態度などではないと、経験的に思います。
ずっと継続できないようでは、まず挫折すると思います。集中力、というのならわかりますが。

また、嗜癖という言葉があり、ワーカホリックなどといって、仕事を頑張りすぎる人を病的に扱うような認識がありますが、これは多分に自分には到底出来ないゆえのやっかみがあるであろうと思います。

お礼日時:2021/04/02 19:59

深い哲学を保つ人格者に影響を受けて


「真剣」という心は生まれるのでないでしょうか

愚痴や言い訳ばかりの大人の影響を受けると
「真剣」という心は生まれないのではないでしょうか
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この回答へのお礼

子供のころの影響というものは、即、教育になるでしょう、良きにつけ悪しきにつけ。

まあ、縁や運というものも強くあります。だからこそ、人にはいいと思うものを薦めたくなります。また、自身にとっては、人の諫言には注意深く耳を傾けるべきだと戒めています。

お礼日時:2021/03/28 19:41

自分の良心に対して真剣に成れればいいですねえ



自分の命や人生に対して真剣に成れると良いと思います。

ヤケクソや傍迷惑は良くないですねえ。

ギリギリまで真剣に考えられたら良いと思います。
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この回答へのお礼

>自分の良心に対して真剣に成れればいいですねえ

自分の命や人生に対して真剣に成れると良いと思います

その通りですね。

お礼日時:2021/03/28 19:34

> この人間の「真剣」



《この》の特定がやっかいです。 《ある人が真剣な状況》は、いろいろの場面でおきます。 心身ともにあることに集中するのは、危険の回避とか、細かい作業をする場合もおきます。 当人が金や名誉・恥辱が懸かっていると感じている場合にも心身とも真剣になります。

《一級の記録を残す人の真剣さ》というのは、高所から転落しそうな場合の真剣さ・化粧をしているときの真剣さ・面接試験での真剣さ・子を出産するときの真剣さ・ゲームやネットをやっているときの真剣さとは違っているように思います。 私のイメージでは、《一級の記録を残す人の真剣さ》というのは、《志向性に基づく行為を日常的に繰り返していて、その変動があまりない》ということであって、心身ともに集中しているのとは別だと思います。
もちろん、野球でも、サッカーでも、ピアノ演奏、彫刻、陶芸、囲碁、詩作、ダンス、遺伝子研究、天文研究、調理、商売(事業)、いろいろの分野で大きな成功し、その分野では著名という人はいます。しかし、懸命にやれば誰でも成功し著明になるのではないのは間違いないです。 懸命になることと、真剣になること、集中することと、それなりに優れた成果をえることとは、別です。 「たかが」と自分自身が強く思い続けていたら、《志向性に基づく行為を日常的に繰り返していて、その変動があまりない》ということにはなりにくいでしょう。 志向性を持ち続けることと、その志向していることについて「たかが」と感じていることとは親和性がないです。


同じことに志向性を持ち続けるのはどうしてか

ある種のことにオペラント行動を頻繁に繰り返し、長い期間変わらないのは、基本的には次の生理です。
https://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository …
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%85%B9%E5%81%B4% …
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98% …
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この回答へのお礼

アカデミックな回答を頂きました。

学問的な理解はすぐにできそうもありませんが、学者ではない一般人の感覚で返答させていただきます。

「この人間の真剣さ」ということについて私は、「人が非常に高いモチベーションを持って何かにのめり込み切る」と、曖昧乍ら定義しています。
これは、一般大衆的な、論理的な帰結ではなく、経験的な帰結からのものであります。

それは「志向性」というものを超えていると考えています。王貞治氏自身が「これはもう、スポーツではなく、武芸の修行である」と言っているように、もはや、これは志向ではなく執念をもった「求道」ということではないかと思うのです。

「求道」なんていう言葉は、学問的ではないですが(笑)、これが一番適切に表現する言葉であると思います。
この求道という心は、おそらくですが、深層心理、潜在意識の深いところにあるものではないだろうか、と考えています。

深層心理とか潜在意識が科学的にどこまで解明が進んでいるのか知りませんが、モチベーションというものも、集中というものも、そこに含まれていると考えるしかないと思っています。

リンクは後でゆっくり読んでみます。

お礼日時:2021/03/28 19:31

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