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幼少期から全てのことを頑張り、勉強も音楽や部活様々なことで1番をとっていました。
有名な大学にも入学できました。(すごいのは私ではなく、大学です)
いつも真面目に、どんな人にも優しく、家族も大切に、と頑張ることだけをしてきました。

高校生までは、気を失ったりストレスからの病気になっても何も辛いと思わず、本当に平気で周りに頑張りすぎだと心配されるほどでした。

ですが、大学生になって少しすると何も頑張れなくなりました。頑張れないどころか悲しくて毎日泣いてしまったり、ずっと無気力で何もできず苦しくて辛くて堪らなくなってしまいました。
現在4月から4回生で就活真只中です。正直何かをしたいとも思えず、このまま社会に出て、毎日元気に働ける自信がありません。
みなさんならどうしますか?
休学や、何か別の方法を選択しますでしょうか?

非常に敏感なためお手柔らかにお願い致します…

gooドクター

A 回答 (5件)

嘗ての自分みたいな人だなーと思って読みました。

長めに書きます。あなたの参考になるかどうかは分かりませんけど、私自身が書きたいと思うことを書いてみたくなったので。

>大学生になって少しすると何も頑張れなくなりました。頑張れないどころか悲しくて毎日泣いてしまったり、ずっと無気力で何もできず苦しくて辛くて堪らなくなってしまいました。

それが本音でしょうね。本来の自我が、とうとう限界に来たのでしょう。

>みなさんならどうしますか?
>休学や、何か別の方法を選択しますでしょうか?

自分も大学であなたのようになりました。

自分は大学2年から3年に進級する時点で相当限界になり、進級に必要な単位を落としまくってたので自動的に留年になりましたが、留年したからといって自分の無気力は改善しないと本能的に分かってもいて、そのタイミングで退学しようとしました。

ただ、親や先生や同級生は「今はちょっとつかれているだけだろう。少し休ませたら、またすぐ元気な人に戻るにちがいない」と判断して、私の退学届を不受理しました。

私も、もはや無気力すぎて周りの強い促しに抵抗する元気も全然出せなかったので、周りの言いなりで休学措置になりました。

半年休学して、その間はバイトをしていました。
何もしないで家で寝ていることや、メンタルクリニックに通院することなどは、親が意地でも許しませんでしたし、自分も「働きバチ」みたいな生き方を延々していたせいで、休むってどういうことか全然わかっていなかったので、せめてアルバイトぐらいはしなきゃだめだろうな、みたいなかんじで、いくつもバイトを掛け持ちしたりもしました。

そういう風にして元気になったのかというと、イヤ全然。何をしてもむなしく、ただただ死にたいだけでした。

でも表向きは一応アルバイトに通えて、自分もそこが一つの居場所のようにはなったので、それなりに明るい感じのこともあり、休学が功を奏して回復しているようにも親や周囲には感じられたようです。

だから半年後にはまた、周りの決めた通りに復学することになりました。

一応、まだ無理だと抵抗もしたのですが、一笑に伏されたり、甘えるな、と叱られたりして、自分も自分の気持ちを分かっている人が身近にいるとは全然思えず、また「みんなの言いなりロボ」になったのです。

で、「それ」を私は3回ぐらい、繰り返しました。
留年→休学→復学→留年→休学→復学→留年、みたいになったということです。

留年しても最終的には卒業単位を満たせば卒業資格が取れたのですが、最終的には「自分の意志」で、中退を選びました。わざと、ある単位を意図的に落として、退学したということです。

それを意図的に落としていることは傍目に明白だったので、何でこの期に及んでそんな態度を取るのか、お前の為に周りがどんなに心配して尽力したか分かってんのか、この恩知らず!と、かなり非難されたり、何を考えているのか?と困惑されたりもしました。

が、長く時間がかかりすぎたとはいえ、「退学する」という自己主張を実行できたのは、それまでの長い人生で、傍目にどう見えていようとも基本は「受け身」で、親や周囲の気持ちを優先しつづける「優等生」を延々しつづけていた私にとっては、非常に大事なことだったと思っています。

ただ、大学を何年も留年休学してそのうえ中退となれば、世間に出た時に就職先はないです。自分も、敢えて退学を選ぶぐらいの心境だったので、世間一般が推奨する「就職」なんてくそくらえだとも思っていて、フリーターを長年やりました。

いろいろな仕事を経験して、たまにはボランティアも経験しながら、色々な境遇の人かんがえの人に出会えたことは私の財産で、なにものにもかえられません。フリーターでも、稼ぎはそこそこ出るようにもなりました。

しかし、そうしながらも、根本的な「元凶」である実家に住み続け、親の作る食事を食べ、親の家に寝泊まりして、基本の衣食住を親に掴まれて「やしなってもらってる」ことは捨てられませんでしたので、結局、ずーっと親に支配されつづけていた。といえます。

精神科や心療内科にかかることもなかったです。親がそれを強く禁止しつづけていたからです。

そうこうするうち、私はひょんなことで就職できたのですが、会社勤めをしている時期また、心身が大幅に不調になってしまいました。今度こそダメだと自分もわかりました。でもどうしたらいいかはわからず、一足飛びの自殺ばかり考え、自傷症状も出始めました。

そこで当時の勤務先の上司が私の勤務態度の変化を見て「仕事を一旦休職し、精神科に行き、きちんと療養するほうがいい。若いからまた復帰できるし、早めに治療しないと余計に悪くなる」と丁寧に穏やかに諭してくれました。

おかげで、私は今度は「精神科に行くロボ」になることができました。

親も、私が精神科に行かせてと泣いて土下座しても決して許さなかったのですが、「上司がそういう風に言った」というと、それだったらしかたないなあみたいに、素直に承諾しました。

その後は精神病院に通うだけでは済まなくなり、入院も経験しましたし、実家もようやく出て(でもそれも「見かねた恋人や周囲の人たちが必死で実家から私を引きずり出してくれた」と言った方が良く、自分の意志力で実家を出たわけではなかったです)、なかなかハードな人生になりました。

不幸中の幸いと言うべきか、私は仕事が出来なくなり、精神障碍者と言われる立場になってようやく、私は悲しいとか怒ってるとか怖いとか嫌だとか、疲れたとか辛いとか、死にたいとか、そういうネガティブな心境を「真剣に」必死でまわりに訴えるようになりました。

それは本来、幼児が行うことです。幼児の時、私はそれをずーっと我慢し抑圧してもいたので、素直に本音を出す機会がなかなかなく、とくに「悲しい」とか「怒ってる」とかは、自分でも本当によくわからなかったのです。

当時お付き合いした恋人がそのことを真剣に心配して、「怒り」や「悲しみ」というものが誰にでもあり、それは人間の正常な喜怒哀楽のひとつで、それがないなんておかしい、ちゃんと全部の気持ちを外に出すべきだと真剣に言って、私にそれを教えました。

精神科医もまた私に「あなたは稀に見る優等生ロボだ。それこそが病気であり、優等生でありつづけることを止めないといけないんだよ」と強く言いました。そしてわたしに、怒ることや拒否すること、サボったり怠けたり何もしないでいること、嫌いな人に嫌いということなどなどを、診察室の中で、色々なテクニカルな対話や実践を通して、丁寧に教えようとしました。

そこで初めて、自分はロボットではなくて、普通の感情を持つ健全な人間になれたのだ。と思っています。

でも私のロボットぶりは根深く、精神科医も私を怒らせることについては、途中で匙を投げたほどです。私は「解離」という症状が幼いころからどうやら慢性化していて、心の中で怒りを抑圧するのが超人的に上手かったようです。

でも怒らない人間なんて、いませんよね。

だから、そのように長年溜め込まれた深く大きく長い怒りの感情は、その数年後には「交代人格」という形をとって、しっかり出てきましたけどね。

私は恋人やその他の友人知人にその都度、恵まれてもいましたので、かれらのおかげで、あるていどは社会的な生活や交流を続けることもできていました。

優等生である私の表層が周りの人を安心させ、時には周りの人を助ける側に廻れることもあったので、周りとある程度上手くやれたのは、病気のおかげだった。ということにもなりそうです。

シビアに言えば、そのような人間関係の充実ぶりは「解離」という症状を悪化させ、根深い愛着障害やその他の本音をうまく自覚できなくなる一因であり続けた。ということです。

本当に自分が恢復し始めたのは、数年前、恋人とも別れ、親とも縁を切り、友人も全員遠ざけ、自分は一人で自分と向き合うしかない、誰が私を嫌おうと失望しようと、私が私を理解して認めて愛してあげないと、人生は何もはじまらないんだ、と覚悟を決めた後の話です。

とても怖くみじめで寂しい数年間を送りました。でもその数年間こそが私を本当に癒して恢復させてくれました。今も治りきっているとは思っていませんが、相当治ったと思います。

あなたはもっと早く、自分の本音に気が付き、自分の喜怒哀楽に気が付いて、自分の内側が満たされる人生を送ることが出来ますように、心からお祈りします。

真面目に言いますが、周りの期待に延々おこたえしつづけてしまった人は、それを辞めるにあたり、一時的には深い孤独や孤立の時期、混乱の時期がどうしても必要になるのだと思います。覚せい剤や麻薬の中毒から抜けるとき、禁断症状にかなり苦しむと言いますが、たぶん似たようなものです。周りの期待や要求という麻薬を断つには、自分宛に何らかの要求や期待を少しでもかけてくる人々とは、決して関わりを持つべきじゃないのです。私は経験的にそう感じています。

様々な療法も投薬もカウンセリングも経験しましたが、そんなものは根本的な改善回復の役に立ってません(少しのつっかえ棒や、そのつどの一瞬の安定を得るためには、そういうモノを利用するのも賢明だと思います)。

あなたが孤独を選ぶ時期、選ばざるを得なくなる時期がいつになるか、どのくらいの期間になるかは私にはわかりませんが、そのとき決して死なないで下さい。そこが本当に運命の分かれ道になるところです。そこを通り抜けると、本当の意味で「明るい自分の人生」が歩めるようになるとおもいます。
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この回答へのお礼

返信がかなり遅れて申し訳ございません。

先日病院に行ってきました。


仰っている孤独、のこと少しわかるような気がします。留学経験があるのですが、その時1人でじーっと自分と向き合い、孤独ながらに何か抜け出せるような感覚がありました。(コロナですぐに帰国になりましたが。)
何年後になるかはわかりませんが、孤独をもう一度選んでみようと思います。

生きてて良かったと思えるように生きます。生きたいと思えるようになろうと思います。


とても心のこもった文章をありがとうございました。
何度も読み返して、まだ読み足りないため写真を撮って置いています。
同じ気持ちの方にご回答いただけて、少し気持ちが楽になりました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2021/04/25 18:42

俺がその状況なら単位次第だが1年か半年ぐらい休学して、4月復学して就活終わらして9月卒業するかな。

学費も半分で済むし。実質2年猶予できるからね。
休学、半年卒業に関しては学生窓口なんかで職員にしっかり確認した方がいい。
んでその間、まずは休んで療養して元気でてきたら、好きなバイトしながら寝る、食う、遊ぶ。旅行いく。あと、好きな趣味やスポーツをガチでやりまくるかな。そして、興味湧いた気になった本とか読みまくりたい。そういうことしながら色んな人と話す。色んな価値観から何か見えてくるかもだし。あとまぁ親とか説得すんの大変かもしれんけど、まずは自分の健康第一やからね。

自分を一番最初に守れるのってまずは自分なんだよね。ムリすんなよ。生きてりゃ何とかなる。
ご参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

休学の件、検討してみます。
今は何かできる状態ではないので、少し休めたら何か始めたいです。
生きてればなんとかなりますよね。そう信じて生きます。
大した返信が出来ず、申し訳ありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/02 16:40

燃え尽き症候群っは?


大学院に進んでその間疲れをとっては?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仰る通りかもしれません。
文系であることと、大学院へ行くお金が用意できそうにありません。
少し周囲と異なる選択をしてみるのも手かもしれませんね。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/02 16:38

今までたくさん頑張ってこられたのですね!


ひと休みして良いって体が言ってるんじゃないでしょうか?
大学に通ったことがないので、休学などはわかりませんが。

なにもしないでのんびりぼーっと過ごして、だんだんと好きなことをやったりするのが良いと思います☆

もともと頑張る力があるんだから、休んでも大丈夫ですよ☆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

頑張っていない自分をまだ許せなくて、ぼーっとしようと思っても頭の中で色んなことを考えてしまいます。
しかし、たまには休むことも大切ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/02 16:36

日本一周して見聞を広めれば解決。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日本一周…いつかしてみたいですが今はできそうにないです

お礼日時:2021/04/02 16:35

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