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光明皇太后(女性)の庇護を受け、光明=仲麻呂体制で大納言まで昇進している男性ですね。皇太后が崩御した後も、上昇志向が強い男性でしたので、自らの地位安定のためではないでしょうか?
権力への固執が非常酷く孝謙天皇(女性)とは権力を巡る不破が続き、孝謙天皇の恋人(男性)とも対立し、謀反(藤原仲麻呂の乱)を起こしたり、淳仁天皇即位にも藤原仲麻呂が暗躍しています。

質問者からの補足コメント

  • 淳仁天皇の妃は、藤原仲麻呂が自分の長男の妻(夫が先立ち未亡人)を天皇の妃にさせています。

      補足日時:2021/04/17 22:07
gooドクター

A 回答 (2件)

>自らの地位安定のためではないでしょうか?



そりゃそうでしょう。今まで光明皇后に引き立てられ、孝謙天皇の治世前半には孝謙天皇とも非常にうまくいっていたのですよ。

孝謙天皇が淳仁天皇に譲位した天平宝字2年(758年)後も実質的な権力は上皇であった孝謙天皇が持ち続け,宝字4年(760年)1月には仲麻呂は臣下の最高クラスである太政大臣に任命されています。

ですが孝謙天皇(上皇)は宝字5年(761年)自分の病気を治癒してくれた道鏡を寵愛するようになります。そりゃ臣下としての最高の権力者でしたから。上皇の寵愛が自分からはなれ新参者の道鏡にいけば、なんとしても挽回したいところです。ですので淳仁天皇を通じて道鏡を除くように進言(762年)するのですが、上皇が激怒して、淳仁・仲麻呂との不仲が決定的になります。そして763年には仲麻呂の一族が要職から排除されはじめます。

で764年9月についに仲麻呂が反乱を起こします。ですが結果は仲麻呂の敗死となり、上皇は10月に淳仁天皇を廃して重祚します。

ただ、最近の説では、孝謙天皇と道鏡との間には男女関係はなかったとする説が有力です。実際に道鏡は孝徳天皇崩御後は左遷はされたものの、処罰はされていません。
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孝謙天皇に恋人はいません。


道鏡とはそういう関係ではありません。
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この回答へのお礼

事実婚の関係でしたよね。

お礼日時:2021/04/18 00:27

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