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完璧にやった、丁寧にやった時ほど、適当にやった時の結果を下回る。

そんな経験ありませんか?むしろそんな経験ばっかで丁寧にやること、完璧にやることを諦めることありませんか?

私はまたそれで心が折れました。

A 回答 (2件)

>完璧にやった、丁寧にやった時ほど、適当にやった時の結果を下回る。



「結果」の内容が不明。
ヒント:仕上がり と 他者のそれへの評価


「完璧」のレベルが不明。
本当に完璧や丁寧だったのか不明。
適当で100点中99点取れるなら、適当のほうが効率的。
凡人ほど、それらの差は小さい。
というか、凡人はその「丁寧さ」すら大したことはない。
仕上がりに関系の無い「丁寧さ」さは無駄なこだわり。

それで心が折れているなら、それは自分の力量を自覚できない者が、勝手に能力以上を求めて絶望しているだけ。


熟練とは手間と効果の高度な調和。
(そして天才とは、無限の手間で無限の効果を出せる者)
そんな高度な仕事ほど、見抜くにも熟練や才能が要る。
一方で無能ほど無駄な作業量を努力と称して誇る。
「完璧にやった、丁寧にやった時ほど、適当に」の回答画像2
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主様の気持ちは痛いほど良く判ります。

仕事や学業の評価はそういうものです。学業でも仕事でもカリキュラムと共に時間の制限があり、いい加減でも速いと良い評価になる時があります。私もその口で、特に仕事では時間がある事は少なく、全てが急ぎで、丁寧にやれる事はほとんどありません。私も心が折れたまま何十年と仕事をしています。仕事は、首にならない程度のレベルでしか出来得ない、というのも悲しい事実です。
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この回答へのお礼

生きるってやっぱりそういうことですよね。
共感してもらえて救われました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/04/27 03:32

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