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日本がなぜ無謀な大戦に突き進んでいったかというのは日本に原因があるという観点で語られることが多いですが、当時の日本の国力と国際的地位を考えると、無謀な戦争を自ら起こせるような立場では全くなく、戦争をせざるを得ないように追い込まれていったと考えるのが自然であり、開戦の決定打となったのはハル・ノートをはじめとするルーズベルト大統領の対日政策だと考えてよいでしょうか?
実際のところ、ルーズベルト大統領が筋金入りの反日主義者・人種差別主義者であったのは明らかですから。

A 回答 (9件)

アジアの植民地化競争において、欧州の列強である英仏蘭西に後れを取った米国のルーズベルトが目を付けたのが満州でした。

 ルーズベルトはおそらく自分の懐に入る莫大な利権の皮算用もしていたでしょう。 しかし、ご承知のように日本が満州国を建国し、ルーズベルトはまさにトンビに油揚げをさらわれた状態になり、なんとしても日本を叩き潰したいと憎悪を募らせました。 しかし、当時の米国内では厭戦気分が満ち溢れ、とても米国が欧州戦線に参戦したり、対日戦争を始める状況ではありませんでした。 それでルーズベルトが考えたのが、戦争を開始するときの米国の常とう手段である、相手を徹底的に追い詰めて、先に手を出させて10倍返しで叩き潰すという方法です。 米国の陸海軍のトップは日米開戦に反対でしたが、ルーズベルトは日本に先に手を出させるべく、米国内の日本資産凍結、石油の全面禁輸などで、日本を徹底的に追い詰めました。 その結果、日本は自衛のための戦争に走らざるを得なかったのです。 戦後1951年の5月3日からマッカーサーを証人としたアメリカ上院軍事外交合同委員会が開催されました。 主な議題は「マッカーサーの解任の是非」と「極東の軍事情勢」についてでしたが、日本についての質疑も行われました。 その中でマッカーサーは日本の戦争動機について「日本は侵略ではなく、安全保障の必要に迫られて、自衛のために戦争した。」と証言しています。 
一方、日本では近衛首相や、山本五十六も開戦には断固反対でした。 近衛は、「強い日本がアジアを安定させる」という考え方の「ストロング・ジャパン派」の代表のような外交官であった当時の駐日米大使であるジョセフ・グルーを通じて、ルーズベルトとの直接会談によって戦争を回避すべく、面談を申し込みましたが、とにかく日本を叩き潰したいルーズベルトは、ハナから相手にしませんでした。 そうしているうちに、開戦強行派の陸軍などの発言力がますます増していく中、開戦は不可避と判断した山本五十六は、開戦が不可避ならば、日本が大きな損害を受けないうちに早期敗戦に持ち込もうと考え、非常に困難な作戦と思われる真珠湾奇襲作戦を提案したのです。 陸軍は、ソ連をナチスと東西から挟み撃ちにする作戦や、東南アジアから西に進み、ナチスとイランあたりで合流すると言った、より合理的で効果的な作戦を考えていましたが、戦争が長期化することを恐れた山本五十六は、陸軍の考えを押しのけ、真珠湾奇襲作戦を強硬に主張したのです。 2度の米国駐在で数年の米国暮らしを経験しており、米国に親しい友人もいた山本五十六は、日本の国力が米国のそれにはるかに及ばないこと、JAP如きに不意打ちされれば、10倍返しで日本を叩き潰しに来るだろうと言うヤンキー魂も痛いほど熟知していました。 よって、米国に不意の一発を食らわせて、その後の強烈な反撃によって、日本を厭戦気分にさせ、即降伏で対米戦争を終結させようとしたのです。 ところが、日本軍は山本が考えた以上に士気が高く勇敢で、即降伏には至らず、結局日本はぼこぼこに打ちのめされるまで戦争を続けてしまったのです。
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はい。

その認識で間違い無いと思います。
基本、あの戦争はアメリカが、日本へ仕掛けた戦争です。
日本は迂闊にも、それに載せられました。
戦争の張本人はルーズベルトです。ルーズベルトは隠れユダヤでもある。

昭和天皇は山本の国葬が決定された際、侍従武官・山縣有光に「山本元帥を国葬にしなければならないのかね」と疑問を呈した。

【参考:「ユダヤは日本に何をしたか」渡部悌治著】
【参考:誰が第二次世界大戦を起こしたのか 渡辺惣樹著】
【参考:あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ著】
【参考:裏切られた自由(上)(下) ハーバート フーバー著】

《大戦までの重大事件と概要》
1936年11月25日 日独伊防共協定。
◇大東亜戦争の分岐点となる。連合国対枢軸国の骨子確定。
◇軍事協定でないと言い訳けし締結。
◇協定により国際金融機関から敵視され、河豚計画も頓挫。

1936年12月12日 中華民国西安。蔣介石拉致し国共合作。
◇ルーズベルトによる中国連合国側へ取込み完成。
◇蔣介石親日を破棄。米国より多額の資金援助を獲得。
◇宋美齢抗日演説活動で米国マスコミ反日一色。

1937年07月07日 盧溝橋事件。
1937年07月29日 通州事件。(日本人虐殺で世論激高)
1937年08月13日 第二次上海事変。
1937年12月06日 南京句容陥落。
◇日本の不拡大方針に拘らず事変拡大。
◇海軍の米内光正は上海派兵を強行主張。泥沼化させる。
◇ルーズベルト援蒋ルートで援助。

1939年09月01日 第二次世界大戦勃発。ドイツ軍ポーランド侵攻。
◇ルーズベルトが英国・フランスへ参戦を確約。
◇米国の約束を受け英国・フランスがポーランド支持を表明。
◇ポーランドはダンツィヒ編入要求強行拒否。ドイツ侵攻開始。

1939年08月23日 独ソ不侵略条約。平沼首相「複雑怪奇」声明総辞職
1939年09月15日 ノモンハン事件の終結。
1939年09月17日 ソ連ポーランド侵攻。
1940年09月27日 日独伊三国同盟
1941年06月22日 ドイツ軍のソ連侵攻。
◇スターリン連合国側となりルーズベルトはソ連支援。
◇ナチスドイツ快進撃。
◇何故かヒトラーはソ連を攻撃は3か所に分け攻撃。(第二次世界大戦の謎)

1941年12月08日 真珠湾攻撃
1941年12月08日 米国宣戦布告議決
◇海軍の山本五十六は全ての反対を押し切り、真珠湾攻撃を強行。(第二次世界大戦の謎)

《山本五十六の陰謀論》
山本五十六スパイ説、山本五十六フリーメーソン説。
花柳界ではもてていたが頻繁に通う、その金は何処から?
狸穴の芸娼妓へ毎日の様に通ったが、店の前をゾルゲは通っていた?
山本五十六は、厭戦気分の米国民を参戦させる為に、ルーズベルトの気持ちを忖度し真珠湾を攻撃した?
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日本の対米政策、対外政策が主因でしょう。


原因は、指導者の無知。
マスコミが軍、政府(指導層)の手先となって、
大衆を煽って、世論を誤誘導したことです。
指導者は、進む勇気より、退く勇気、
止める勇気、責任を取る勇気が必要です。
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アメリカは日本の大陸進出と南洋進出に不快感を抱いていた。



この不快感はこの時だけのものでなく、日露戦争真っ最中、日本が勝ち続けている時点ですでに「これでいいのか?」という社説が掲載されている。

それ以後、太平洋方面においては、アメリカは日本の膨張を止める方向で行動する。
ワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮会議、・・・

アメリカは当時モンロー主義でしかもフィリピンからの撤退も計画段階に入っていた。
アメリカは北東太平洋に直接の利害を持たない。

しかし、世界の第一等国アメリカの最も嫌うことは「現状変更」である。
それは現代中国への態度を見ても分かる。

それに加えアメリカの元には中国をはじめイギリス、オランダ、フランス、ソ連など日本に権益を脅かされている国が集まっていた。
アメリカは彼らの盟主的な立場にあり、彼らの意向を無視することはできなかった。

当初アメリカが要求したのは「中国大陸・南洋における他国権益の尊重」である。
ところが当時の日本は各セクションの主張を統一できない、制度上の欠陥を抱えていた。
たとえば陸軍参謀本部と外務省上層部では、主張することが全く違う。
それでいてそれらを統一することが、総理大臣にすらできなかった。
参謀総長と外務大臣と総理大臣はともに天皇から大権を委託された身分であり、「天皇の代理」という点で同格だからである。
もし総理大臣が参謀総長の意見をないがしろにしたり外務大臣を更迭したりしたら「天皇大権を侵害した」として最大級のスキャンダルになる。

結果、どのセクションにも配慮したいわゆる「玉虫色の見解」しか出せなかった。
「YesかNoか」のアメリカに受け入れられるわけがない。
こうしてアメリカの日本への不信感がますます大きくなってゆく。

ハルノートは、たぶんルーズベルト政権内における主導権争いである。
その直前、ルーズベルトは自らイギリスとの欧州戦線参戦協定を結んでしまい、ハルは蚊帳の外に置かれた気分になっていたらしい。
再び存在感を増すための起死回生策がハルノートだった、というものである。

もちろん他の説と同様、それを決定づける資料は存在しない。
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こんばんは!



そうですね…、それとルーズベルトは、ソ連のスターリンとズブズブの仲でしたので、日米戦を焚きつけられた側面もあります。当時のソ連は、ドイツと戦争をしていて苦戦していましたので、日本が「日ソ不可侵条約」を破って、ドイツと一緒に攻撃していたら、国が無くなる危機に瀕してました。それを回避する為にも、日本を封じ込めるのと、「日露戦争」の敗戦の復讐も兼ねていました。そのような訳で、米国の中枢にはコミンテルンのスパイが多数侵入して工作活動をしていました。その事をフーバー元大統領が回顧録で述べています。また、ソ連の対外工作は「ミトロヒン文書」でも明らかになっています。

それと、日本も戦争に引きずり込まれるのも当然という、問題を抱えていました。それは、当時日本が支配していた満洲で、ケシを栽培してアヘンを精製して販売し、外貨を稼いでいました。そのアヘン利権を英国・ソ連・米国が狙っていたのです。しかし、その利権を日本が独り占めにしていたので、戦争に引きずり込まれるのも時間の問題でした。

このアヘン利権に関しては、最近スタンフォード大学フーバー研究所の西鋭夫教授が公開された公文書を分析して発表しています。
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ルーズベルト大統領の対日政策だと考えてよいでしょうか?


 ↑
そうです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。




実際のところ、ルーズベルト大統領が筋金入りの反日主義者・
人種差別主義者であったのは明らかですから。
 ↑
フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、
「有色人種への差別が格別に強かった」と、
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した
英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。

キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから
打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、
さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、
それによって立派な文明をこの地に生み出していく。
ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
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元を糺せば、日露戦争に遡る。


日本は米国に講和の仲介を頼み、それで日露戦争が終結したわけだが、その時に日本は、米国など欧米列強にも経済的に開放すると約束している。

しかし、、戦いが終わると「満州は日本人の血で勝ち取ったものだ」と、国会議員に転進していた元満州軍総参謀長の児玉源太郎などが国会で力説し、結果的に日本は米国との約束を破ってしまった。

米英から観れば、その後も日本は、満州事変から日中戦争に突き進み、中国への野心を隠そうとしなかった。
決定打となったのは、南部仏印進駐だ。これは日本にしてみれば、米国の対日経済制裁に対抗し、米英の東南アジア植民地侵攻の構えを見せたわけだ。

日本政府にとっては単なる恫喝だったが、米英側は、これで日本軍機の航空圏内にシンガポールも入り、インドネシア・パレンバン油田を狙った軍事的準備行動と受け取った。

このあたりまで来ると、ある意味、誤解が誤解を生んでエスカレートしていったようなものだ。

私はルーズベルトが日本に開戦させるように企んでいた可能性は高いと思うが、疑問の余地はある。少なくとも、日本が犠牲者であったとは思わない。戦争の責任は日本と米英双方にあるはずだ。
しかし、経緯はどうあれ、日本が先に手を出したことだけは間違いない。当時の日本の政治的指導層の力量不足は覆い難く、彼らが最大の戦争責任を負うべきものと思う。
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米国だけのせいには、できません。



ハル・ノートの内容を良く吟味すると、日本が中国との実質的な戦争状態を止めて中国本土から撤退して、満州まで引けば、許容されるような事が書かれてある。(加藤陽子『戦争まで』)

それを暴走した陸軍が、一歩も引かないみたいな事を言いだしたから、日本への締め付けが厳しくなった。

そして結局の所、開戦して先制攻撃したのは日本であったのだから、直接的な原因としては日本の先制攻撃であるし、間接的な原因としても日本が中国との戦争を泥沼化させていたから、という事になる。
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その通りです。


しかし真珠湾攻撃に向けて山本五十六が無理無理推し進めたのが最悪。暗号が全て読まれていて、重要な戦艦は全て真珠湾から居なくなっていた。
米国ではなく、ドイツと協力してロシアを攻めていれば勝てたかも!
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