真珠湾攻撃の後,アメリカが日本に本格的に宣戦布告をしたと思います。

その時,またはその後終戦まで,イタリア,ドイツの動きはどうだったのですか?
単純に,日本にとって敵だったのか,味方となって支援したのか,どちらでもないのか知りたいのです。よろしくおねがいします。

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A 回答 (4件)

>単純に,日本にとって敵だったのか,味方となって支援したのか,どちらでもないのか



イタリア、ドイツの2カ国とは、同盟関係にありました。

そう言う意味では味方ではあるんですが、取り立ててピンチであるから物資の支援をしたとか、そう言うことは無いです。利害が一致(アメリカに対するけん制、アメリカが仮想敵国)したから同盟を結んだだけです。

それでも、これら3国のうち、現在戦っている国以外の第三国から攻撃を受けた場合は、互いに政治的、軍事的に援助し合うことになっていました。
そして、同盟の関係上、日本がアメリカに宣戦したので、必然的に独伊も宣戦布告することになりました。

ドイツはドイツで、日本は日本で、それぞれの戦争をしていたので、実際の協力関係は余り見られなかったと思います。

しかし日本は、ドイツの戦果にかなり影響を受け、独ソ戦が始まった時は、日本もソ連との戦争に備えて満州に兵を集結させたり、ドイツがフランスを破った時は、日本は北部フランス領インドシナ(北ベトナム)に侵攻したりしました。
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この回答へのお礼

とても分かりやすい説明,ありがとうございます。

利害が一致しているというだけだったんですねえ。あまり助け合ったような様子はなかったので,今までよく知りませんだした。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/02/23 04:21

アメリカは当初から第2次世界大戦に参戦する意志を持っていました。


しかしその名目が掴めなかったのでジリジリしていました。 実際宣戦布告前にドイツの潜水艦を攻撃もしています。
そこえ真珠湾攻撃が行われたので幸運にも参戦の大義名分ができ、しかも実際には日本の暗号を解読して事前に知っていたのにそれを隠して不意打ちであるとして「リメンバー パールハーバー」をスローガンにしたのです。

ドイツ、イタリアは三国同盟に基づき当然日本側に参戦しアメリカに宣戦布告しました。
しかし地理的に離れていたので潜水艦による連絡で軍事情報や新兵器の供給くらいしかすることが出来ませんでした。
ジェット機などはこうして入手したのです。 ただドイツの技術は優秀で日本の能力では実現出来るものが少なかったので(ロケット技術など)実効は乏しかったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

すごく参考になりました。
なるほど,一応,日本の味方..になはったのですね。あまり,共同で戦かったような印象がなくて,よくわかりませんでした。
なぜ,その印象が薄かったのかも,分かりました。
理由までありがとうございます。初めて知りましたよ。
参考になりました。

お礼日時:2005/02/22 23:36

日本のアメリカとの開戦後、ドイツイタリアもアメリカに対して宣戦布告しています。


(アメリカの狙いはドイツへの開戦だったので日本が填ったって話もあります)

大戦中も、日本からドイツに対して潜水艦での技術の提供や取得もしています。

ただ共同戦線のようなものはしていませんね
Uボートでの商戦攻撃は間接支援にはなってるとは思いますが・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

えっ,ドイツもイタリアも戦線布告したのですか・・?なるほど!!って無知ですいません。商戦攻撃というと,武器や弾薬の提供による支援..というかんじでしょうか?

お礼日時:2005/02/22 23:31

世界恐慌によって日独伊の後発資本主義国は、対外侵略よる領土拡大(ファシズム)をとり、国際連盟を脱退。

1937年日独伊三国防共協定、1940年日独伊三国軍事同盟を締結。1941年真珠湾攻撃と確かこのような流れだったと思います。
協定、同盟とあるので協力関係はあったのではと思います。

蛇足ですがイタリア軍は弱く軍事的役割は低かったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね,同盟があるので,協力関係はあったのでしょうね。いろいろ調べてみたいと思っています。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/02/22 23:28

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Qなぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

Aベストアンサー

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました...続きを読む

Qベトナム戦争における米国の宣戦布告の実際

米国の年代の人と話すとすぐに真珠湾奇襲(スニーカーアタック)のことで日本はずるいとなります、ではベトナム戦争では米国ではいつベトナムへどのような手段で宣戦布告したんでしょうか? もし仏国の代理戦争なら正義の戦争代理人は宣戦布告が不要なのでしょうか?

Aベストアンサー

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。
ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
アメリカは軍事顧問団と称してアメリカ軍を送り込みテコいれしましたが南ベトナムに解放戦線が結成され腐敗や弾圧がひどかった南ベトナム政府に反抗して内戦状態になりました。

アメリカは強力に軍事援助を行い南ベトナム解放戦線を制圧しそうになりこれを見た北ベトナムが祖国統一のため介入したのがベトナム戦争なのです。

従ってアメリカには宣戦布告する大義名分はありません。 たまたま派遣していたアメリカ軍が危険に陥りそれを救済するためズルズルと巻き込まれてしまっただけです。 このような状態で宣戦布告を行えば激しく非難していた日本の日中戦争と同じ立場になり国際的非難をあびます。
あくまで内戦として処理するしかなかったのです。

国際法では正式に戦争は宣戦布告を相互に行う事で国際的に認められる事に成っています。
ベトナム戦争はどこも宣戦布告を行った国はありませんので国際法上は内戦に成ります。

フランスの植民地であったベトナムで独立戦争が始まり北ベトナム人民民主主義共和国が勝利して独立を果たしましたが、共産主義国が拡大することを嫌ったアメリカが介入し南ベトナム民主義共和国を作りベトナムを南北に分割したのです。
アメリカは軍事顧問団と称してアメリカ軍を送り込みテコいれしましたが南ベトナムに解放戦線が...続きを読む

Q真珠湾攻撃について

真珠湾攻撃について学校で習ったのは日本が闇討ちをしたと教えられましたが、米国側は事前に真珠湾攻撃の事を知っていたと言うのは事実ですか?事実だとしたら何故、日本が奇襲攻撃をしたと教えられるのですか?

Aベストアンサー

回答は出てると思いますが、蛇足を。
奇襲とは、相手が防御体勢を取ってない場合で、取ってる場合は強襲となります。

トラトラトラの電文は、攻撃開始前に淵田指揮官から打たれています。米軍が防御体勢を整えているかどうかが、大きな問題となるからです。勿論、攻撃の順番も変わります。奇襲の場合は、雷撃、急降下爆撃、水平爆撃の順ですが、強襲の場合は、急降下爆撃を先に行い、相手の対空砲火の鎮圧、基地機能の麻痺させることになるわけです。
ですから、トラトラトラでは、どれだけ相手に被害与えたかは、艦隊も大本営も解かってませんでした。
ただ、当時の航空搭乗員の技量を考えると、奇襲だとかなりの戦果が期待できることは確かでしたが。

フィリピンの航空基地は、真珠湾の攻撃報告を聞いて、戦闘機が上空に上がって迎撃体制を整えてましたが、台南基地が、霧のため離陸できず、かなり遅れてしまいました。
米軍機は日本軍が来ないので、給油のため着陸した頃に日本機が現れ、地上で撃破されてしまったと言うのが事実です。

どうも、米軍は開戦を覚悟していたようで、フィリピンには、漁船に砲を1門積んだ偵察艇をしきりに動かして、これを日本軍が先に攻撃するのを期待してたようです。
しかし、真珠湾にあれだけの航空機で空襲されることは、予想外で、痛すぎる出血となったことは確かです。

回答は出てると思いますが、蛇足を。
奇襲とは、相手が防御体勢を取ってない場合で、取ってる場合は強襲となります。

トラトラトラの電文は、攻撃開始前に淵田指揮官から打たれています。米軍が防御体勢を整えているかどうかが、大きな問題となるからです。勿論、攻撃の順番も変わります。奇襲の場合は、雷撃、急降下爆撃、水平爆撃の順ですが、強襲の場合は、急降下爆撃を先に行い、相手の対空砲火の鎮圧、基地機能の麻痺させることになるわけです。
ですから、トラトラトラでは、どれだけ相手に被害与えた...続きを読む

Q米国が宣戦布告なしに始めたドミニカ戦争について

 こんにちは。
 どなたか歴史に詳しい方、教えて下さい。
 アメリカは日本の真珠湾攻撃のことを、宣戦布告なしに開始したとして非難することが多いですが、先日、藤原正彦先生の「国家の品格」という本を読んでいたら、「1916年の対ドミニカ戦争でアメリカは、宣戦布告なしに奇襲、占領しています」と書いてありました。
 アメリカがドミニカに対し宣戦布告しなかったのが意図的なことか事故によるものかは分かりませんが、かりにそれが事故によって宣戦布告ができなかった(あるいは遅れた)のであったとしても、日本の真珠湾攻撃と同じことをしているアメリカが日本のことを非難する資格はないように思えます。
そこで、ドミニカ戦争開戦の経緯(特に宣戦布告がなかったこと)について詳細をご存知の方がいられたら教えて頂けますでしょうか。あるいは、そのことがよく分かる書籍やサイトなどを紹介して頂けると幸いです。
 どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

・日本の真珠湾攻撃と同じことをしているアメリカ

 まったく違います。真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争は、日本からみてもアメリカから見ても戦争であり、それゆえ宣戦布告の時期が問題になります、(日露戦争の後に、戦争開始の要件に事前の宣戦布告が国際法上、規定された。)
 「1916年の対ドミニカ戦争」は、アメリカからは、戦争でなく(義和団の乱、満州事変、真珠湾奇襲以前の日華事変と同じく、)国際紛争解決の手段、あるいは国際警察行動としての事変・出兵であり、最後まで宣戦布告していません。
 戦争でないものに、「1916年の対ドミニカ戦争でアメリカは、宣戦布告なしに奇襲、占領しています」といっても、無意味です。


 なお20世紀に入ってから、アメリカが戦争に参加したのは
第一次世界大戦と第二次世界大戦だけです(宣戦布告したという意味)。
あとは、
国際紛争解決の手段、あるいは国際警察行動としての事変・出兵
国連憲章に基づく平和強制行動、集団自衛安保行動、最大の防御行動
なんだそうな^_^;


※1845年ハイチより独立してドミニカ共和国となり、ペドロ・サンタナ将軍が初代大統領に就任した。 しかし、相次ぐ隣国ハイチとの戦争に耐えられなくなると、保守派の利害を代表したサンタナは1861年に再度スペインに併合を申し入れ、自身はサント・ドミンゴ総督に就任した。しかし、この屈辱的な措置はドミニカ国民を激怒させ、ハイチ人と結んだドミニカ人自由派がスペイン人に対する独立戦争を激化させ、結局1865年に独立を再び果たした。しかしハイチの脅威は大きく今度は二度に渡ってアメリカ合衆国への併合を求め、グラント合衆国大統領も乗り気だったものの、合衆国上院に拒否された。1875年にようやくハイチとの平和条約が結ばれ、独立国家としての道を歩むことになった。
1882年からウリセス・ウーロー大統領が独裁を開始した。ウーローは、大統領としては拙劣な政策を積み重ね、政権末期の外債はとても一国では支払えない程の膨大なものとなっていた。
1916年から1924年まではアメリカ海兵隊に軍事占領される。1906年ドミニカ共和国は、ウーロー大統領後の混乱収拾と列強に対する債務返済のため、アメリカ合衆国が50年にわたりドミニカ共和国の関税徴収を行う代わりに債務返済の保証をするという提案を受け入れ、事実上の保護国となった。この時期ハイチも対仏賠償や各国への債務が返せず財政難と混乱が続いた。第一次世界大戦時、両国の内政混乱に付け込みドイツ帝国が手を伸ばすのを避けるため、アメリカ軍は1915年にはハイチに、1916年にはドミニカ共和国に出兵して両国を占領した。両国は米軍支配下で債務を返済し、経済基盤や政治を改善し大規模農業を導入し、有力者(カウディージョ)の私兵や軍閥に代えて強力で統一された警察や国軍を作るが、これが後に両国の軍部独裁の種となる。

・日本の真珠湾攻撃と同じことをしているアメリカ

 まったく違います。真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争は、日本からみてもアメリカから見ても戦争であり、それゆえ宣戦布告の時期が問題になります、(日露戦争の後に、戦争開始の要件に事前の宣戦布告が国際法上、規定された。)
 「1916年の対ドミニカ戦争」は、アメリカからは、戦争でなく(義和団の乱、満州事変、真珠湾奇襲以前の日華事変と同じく、)国際紛争解決の手段、あるいは国際警察行動としての事変・出兵であり、最後まで宣戦布告していま...続きを読む

Q真珠湾奇襲攻撃

連合艦隊は、真珠湾奇襲時、真珠湾に米空母がいないことを知っていたのですか。
確かホノルル領事館員の回想録だったと思うのですが、また書名を思い出せないのですが、著者の領事館員は毎日小高い山の上から真珠湾に停泊している米艦船の様子を調べて東京に連絡していた、という話を読んだ記憶があります。
また、この本には、真珠湾攻撃の数日前に東京からの指示で極秘文書を焼却したと書いてありました。
米空母が停泊していたか否かについて、連合艦隊は事前に把握していたかどうか、教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

知るすべは、なかった。
吉川予備役海軍少尉が駐ホノルル・日本領事館員森村正と称し、
連日、真珠湾の港内の様子を暗号電文で知らせた、最後の
12月6日の電文には、空母が入港しているとは書かれていなかった。
が、当時近海にいたハルゼーの機動部隊は、急行すれば
日曜には入港できる位置にいた。
(なお、この暗号電文は、外務省から海軍省・軍令部・
瀬戸内海の連合艦隊旗艦上の司令部には伝達されたが、
南雲機動部隊には、連絡されなかった。
機動部隊が、空母がいないことを知ったのは、
第一次攻撃隊からの報告による。)

Q太平洋戦争開戦時のイギリスへの宣戦布告について

太平洋戦争開戦時、在米日本大使館が、暗号の翻訳とタイプに手間取り、
日米の外交を断絶する文書をハル国務長官に渡すのが、
予定の時刻より1時間遅れてしまった事は有名ですが、
イギリスに対してはどうだったのでしょうか。

同じ方法、つまり在英日本大使館から文書を手交したのでしょうか。
(あるいはラジオでの宣戦布告や在日イギリス大使への通知?)

また、マレー侵攻は真珠湾攻撃より早かったのですから、
宣戦布告はその時刻に間に合ったのでしょうか。

ご存知の方がおりましたら、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 ハル国務長官に手交された「対米覚書」が「開戦に関する条約」第1条に定められた宣戦布告及び最後通牒のいずれの要件も満たしていないことは、すでに書かれているとおりです。ただ、「日本の同盟国であるドイツが英国と開戦した時点で、日英間も事実上交戦状態に入っていました」という意見は噴飯もので、悪い冗談というより他はありません。

 さて、「対米覚書」が宣戦布告としての効果を持たず、しかも開戦前に手交しようとして結局失敗したとは言え、一応日本はアメリカに対してはこのような形での事前通告を試みてはいました。
 しかし、イギリスに対してはなんの通告も行われないまま戦闘行動に突入しています。(日本軍がマレー半島に上陸してイギリス軍と交戦状態に入ったのは真珠湾攻撃の1時間半前でした。)
 これについては以下のような解釈が試みられています。
 すなわち、太平洋戦争の開戦判断自体に「イギリスはまもなくドイツによって打倒される」という観測があり、対英戦については完勝が見込まれていた。(参謀本部が1941.9.6に作成した「帝国国策遂行要領ニ関スル御前会議ニ於ケル質疑応答資料」による)一方、アメリカに対しては誰も米本土を占領して戦争を終えられるとは思っておらず、「開戦初期に大打撃を与えて継戦意欲を喪失させ、和平」というシナリオを描いていたので、米国世論を刺激しないために完全無警告攻撃でなく、対米覚書によって事前通告のようなことをして配慮しようとした…というものです。
 アメリカとの間には長々と日米交渉が繰り広げられる一方で、イギリスとの間には特に何も無かったのは、イギリスはまもなく舞台から消えるという判断があったわけですが、ドイツはすでに対ソ戦に全力を注ぎ込んでおり、この誤判断が日本を危険な対米英戦に踏み切らせることになったわけです。

 太平洋戦争開戦経緯については、
・日本外交史<23>日米交渉(鹿島研究所出版会)
・真珠湾奇襲論争(講談社)
などを読まれるといいと思います。

 ハル国務長官に手交された「対米覚書」が「開戦に関する条約」第1条に定められた宣戦布告及び最後通牒のいずれの要件も満たしていないことは、すでに書かれているとおりです。ただ、「日本の同盟国であるドイツが英国と開戦した時点で、日英間も事実上交戦状態に入っていました」という意見は噴飯もので、悪い冗談というより他はありません。

 さて、「対米覚書」が宣戦布告としての効果を持たず、しかも開戦前に手交しようとして結局失敗したとは言え、一応日本はアメリカに対してはこのような形での事前通...続きを読む

Q真珠湾攻撃 戦闘機隊の訓練

真珠湾攻撃 戦闘機隊の訓練

 真珠湾攻撃に向けて、鹿児島湾を真珠湾に見立てて訓練を行ったというのは有名な話ですが、それを調べてゆくと、「艦攻隊の雷撃」の話を扱った書籍やウェブサイトばかりで戦闘機隊や艦爆隊がどこで訓練をしたのか、どのような訓練をしたのかという資料がなかなか見つかりません。特に戦闘機隊について訓練場所・訓練内容等の詳しい事が分かれば教えてください。

Aベストアンサー

 雷撃隊の鹿児島湾での訓練が有名なのは、ご存知の通り浅海面での雷撃ってのが前代未聞の攻撃法であったため、侵入方法や魚雷投下タイミングなど、真珠湾に似ている地形でのシミュレーションが必要不可欠だったからですよね。要はこのときの雷撃は非常に特殊性があったと。
 それに対して戦闘機隊や爆撃隊は基本的に地形なんぞは関係ありませんので、極めて普通の訓練で事足りたはずです。燃料のことを考えれば自分の基地の上空が一番いいわけですので、そのあたりでやっていたようですね。また戦闘機の訓練については航法・発着艦・戦闘が中心だと思いますが、戦闘については模擬空戦が盛んに行われていたようですよ。
 訓練場所がどうのこうのってのは、民間機が頻繁に飛び交う時代の影響だと思います。ましてや当時は軍に優先権がありましたので、訓練空域なんかは比較的自由だったみたいですね。

Q対米宣戦布告の文書を探しています

1945年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃に際し、日本の宣戦布告は攻撃開始後にアメリカに伝えられました。宣戦布告の全文書を日本語で読みたいと探しましたが、見つかりませんでした。このようなサイトはあるのでしょうか?

Aベストアンサー

 ちょっと意地悪な言い方をすると、
   >日本の宣戦布告は攻撃開始後にアメリカに伝えられました。

 これは、おそらく真珠湾前に米国政府に渡そうとした「帝国政府ノ対米通牒覚書」の事を指しているのだと思いますが、これは宣戦布告では有りません。

 下記のリンク先の資料(資料9)をダウンロードしてみていただければ分るとは思いますが、簡単に言うと「アメリカとは話し合いで解決しようと頑張ってきたけど、解決しそうに無いので交渉はやめます」とだけ書いてあります。
 (最後の辺り)
   http://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index05.html
 
 TOPページ( http://www.jacar.go.jp/nichibei/index2.html )から閲覧プラグインがダウンロード出来ます。

 なお、本当の宣戦布告「開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)」はそもそも、真珠湾攻撃後に御前会議を開催し、発せられています。
 (宣戦を布告する事は、明治憲法下では天皇のみが行う事の出来る大権である為、昭和天皇の裁可が無い、先の「帝国政府ノ対米通牒覚書」は宣戦布告文とは言えません。)
  http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9C%8B%E5%8F%8A%E8%8B%B1%E5%9C%8B%E3%83%8B%E5%B0%8D%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%AE%A3%E6%88%B0%E3%83%8E%E8%A9%94%E6%9B%B8

 なお、日清・日露戦争でも宣戦の布告は開戦後に行われましたが諸外国からは特に非難は有りませんでした。
 (宣戦布告とは当該国との戦闘になった事を諸外国及び国内に通知し、交戦国と成った国以外は、中立国として当該戦争に関与しない事を要求する行為です。日本の場合は国内向けアピールの要素が強いのですが…。)

 その為、宣戦布告無く戦闘が開始される事は、珍しくなく(というか宣戦布告してから戦いを開始する方が稀)アメリカなどは、第二次大戦後に行った戦闘行為は宣戦布告無く突然攻撃を開始する事が殆どでした。
 (例 イラクなど)

 まあ交渉打ち切り通知が遅れた事が失態であるのは事実ですが…。

 日清戦争の時も同様に遅れたのですが、小村寿太郎(日露戦争の時の日本側の全権)が独断で公使館の国旗を降ろして北京を退去する事によって、交渉中止・国交断絶を清国に対して示しました。
 (明治と昭和の外交官の差でしょうか…。)

 ちょっと意地悪な言い方をすると、
   >日本の宣戦布告は攻撃開始後にアメリカに伝えられました。

 これは、おそらく真珠湾前に米国政府に渡そうとした「帝国政府ノ対米通牒覚書」の事を指しているのだと思いますが、これは宣戦布告では有りません。

 下記のリンク先の資料(資料9)をダウンロードしてみていただければ分るとは思いますが、簡単に言うと「アメリカとは話し合いで解決しようと頑張ってきたけど、解決しそうに無いので交渉はやめます」とだけ書いてあります。
 (最後の辺り)
   h...続きを読む

Qもしも、真珠湾攻撃をしなかったら・・・

太平洋戦争の発端は真珠湾攻撃と聞いています。
それでは、日本が真珠湾攻撃をしなかったら、日本はどのようになったのでしようか。
何が理由で、大国と戦争をしたのですか。

Aベストアンサー

 大東亜戦争(国際法上に於ける正式名称・East Asia War)の発端は真珠湾攻撃ではありません。ワシントンDC及びロンドンで米英蘭に対して日本が宣戦布告したのが発端です。
 この宣戦布告に基づいて真珠湾・フィリピン・マレーシアに同時攻撃を行いました。続いてインドネシアへの攻撃が行われます。
 もし真珠湾攻撃をしなかったらですが、米国太平洋艦隊が無傷だっただけのことです。米国国民が対日戦に賛同するかは微妙です。フィリピンを巡る戦いのために米国国民が2年も3年も戦争を支持するとは思えません。

> 何が理由で、大国と戦争をしたのですか
中国との戦争を止めるためです。米英が国民党政府をバックアップしていたのが判っていましたのでその供給元を戦争に引きずり出して彼らのアジアに対する影響力を排除しない限り安定がないと思ったから戦争したのです。

Qトルコが親日国だとしたら何故世界大戦で日本に宣戦布告したのでしょうか?

トルコは親日国だという人がいますが、それに対してトルコは世界大戦時に日本に宣戦布告したり、枢軸国が負けそうな時に連合国に加担したので親日国じゃない、トルコが親日国だというのはネトウヨのくだらない幻想だという意見を耳にした事があります。

まあ、近年の日本はトルコ風呂、江頭、柏崎の英雄像などトルコ人の神経を逆なでする事をしているので最近の日本がトルコの恨みを買っても仕方がないと思いますが、戦時中のトルコが日本に宣戦布告をしているとしたら、そういった日本の非礼以前の問題としてトルコは日本の事をそこまで好きではないのでしょうか?

NHKの特番でも、トルコの人間は誰も100年以上前のエルトゥールルなんて覚えちゃいないって言ってたそうですし、トルコが親日国だなんてやはり右傾化した日本人の幻想なのでしょうか。

Aベストアンサー

第一次世界大戦での敗戦後、苦難の末ようやく独立を手に入れたトルコは、第二次世界大戦においては、連合国・枢軸国双方から参戦するよう、数々の圧力や懐柔を受けてきたにもかかわらず、ぎりぎりまで中立を維持してきました。

しかし、枢軸国側の敗北がほぼ決定的になってきた1945年2月に行われたヤルタ会談の席上、米英ソの首脳は、1945年3月1日までに枢軸国側に対して参戦した国だけが、戦後成立する国際連合の原加盟国となりえる旨合意しました。

戦後の国際社会における孤立を恐れるトルコは、国連原加盟国になることを希望することもあり、1945年2月23日の段階にいたってはじめて対独・対日宣戦布告を行いました。しかし、日・独とは何ら戦火を交えることなく終戦に至りました。

なお、トルコと同じように、国連の原加盟国になるため、枢軸国側に宣戦布告した国としては、サウジアラビア、エジプト、シリア、レバノン、アルゼンチン、パラグアイ、ペルー、ウルグアイがあります。

以上のように、トルコの対日宣戦はあくまで形式的なものであり、日本に対する否定的な意図があって行われたものではありません。

実際、私は10年ほど前に2年間ほどイスタンブールで生活する機会を得ましたが、トルコ人は皆日本人に親切で、いまだに恩義を感じています。おそらく10年前と現在でも事情は大きく変わっていないと思います。

なお、以上のことを含め、トルコの近代史について詳細がお知りになりたいのであれば、「現代トルコの政治と外交」(松谷浩尚著、勁草書房)をお勧め致します。

第一次世界大戦での敗戦後、苦難の末ようやく独立を手に入れたトルコは、第二次世界大戦においては、連合国・枢軸国双方から参戦するよう、数々の圧力や懐柔を受けてきたにもかかわらず、ぎりぎりまで中立を維持してきました。

しかし、枢軸国側の敗北がほぼ決定的になってきた1945年2月に行われたヤルタ会談の席上、米英ソの首脳は、1945年3月1日までに枢軸国側に対して参戦した国だけが、戦後成立する国際連合の原加盟国となりえる旨合意しました。

戦後の国際社会における孤立を恐れるトルコは、国連原加...続きを読む


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