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普通に日本語で言えばいいのにわざわざ分かりにくいカタカナ用語を使う人は何の為ですか?

A 回答 (35件中1~10件)

>普通に日本語で言えばいいのにわざわざ分かりにくいカタカナ用語を使う人



こういう方は昔からお見かけしますね。

一緒に外国語を学びましょうと言うのかと考えてみたこともありましたけど、どうもそれより、自己顕示欲の現れではという印象の方が強いです。

大事なのは、なにより意思疎通のはずで、社会に定着していない言葉を使うことで、意思相通が阻害されるからです。
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話し言葉では同時に様々な表現を用いることは難しいと思うので、何か一つの表現を用いるときは、




【そう表現する方が伝わる人向けの表現を使っている】


という受け取り方をしています。例えば、今の若い人が使う略語は、私のような中年男性には伝わらなくてもいいし、知らなくても困らないけど、同世代には使える表現だから若者同士で使っている、とか。


どうしても日本国民全員に伝えなければならない場合は、一つの表現で伝わらなければ、様々な表現で表す必要はあると思いますけど。街中の標識のように、さまざまな言語で表現するとか。




ただ、政治家に関しては、国会議員でも都知事でも、どの国民が聞いても理解しやすい言葉を選んでほしいとは思います。「東京アラート」はどうなったのか?とか、表現の役目を終えたのかな?と思ったり。



私の場合、カタカナ語よりは【略語】の方が気になります。「まんぼう」という言葉がテレビから聞こえた時には、最初から略さずにきちんと言うべきと思いましたし。早口でもいいから正確に伝えてほしいと。



また、数字を正確に読まずに後半を省略することも気になったりします。例えば、2021という数字があったとき、「2000ほどの…」と言っていると正確に言ってほしいな、と。数の意味によっては、全く関係ない想像をしてしまうので。
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アウフヘーベンとか、パラダイムとか日本語で説明出来ない概念があるねん

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専門用語を使う人に囲まれて過ごしたら、そうなってしまうかも。

海外留学したらアメリカ人っぽくなって帰ってくる人みたいに
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格好良いと思っている人(オポチュニティとか)、直截的表現を暈したいと思っている人(エビデンスとか)等、色々いるとは思いますが、ある一線を越えると癖になってしまうのでしょうね。



片仮名どころか部分的に英単語を使う人は、英語表現に対する劣等感さえ感じます。いわゆる「ルー【マニア】語」ですね。その癖、イギリス語でもアメリカ語で使わない表現とか、失礼なレベルでの使い方をします。もはや、英単語を「てをには」で繋げているだけ。
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人それぞれ、カタカナの方が伝わりやすいと思って言ったのでしょうが・・空振りしたまでのことです。

僻んだり、責めたりしないでやってください。
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カタカナ語がカッコイイと思っている人が居ます。


TVタレントの中にも、
平気で間違ったカタカナ言葉を使っている人が居ます。
原語をカタカナに変えたのであれば、がまんできますが、
原語にないカタカナ語を平然と使う事は、
恥ずかしい事と思っています。

TVニュースでも本来の意味と異なる、
日本独自の意味?で使っているカタカナ語がありますが、
言い様の無い違和感がのこります。
知らない言葉は辞書でも引いて使うべきと思っています。
言葉は重要なコミュニケーションの手段です。
不詳の言葉を使う際には、自ら検証したら良いのにと思っています。
受け手とは共通の言葉で話すべきと思っています。
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あ, そういうば.



あなたのいう「日本語」「カタカナ用語」の正確な区別を書いてくださいな. たとえば「紀元 7世紀ごろに中国語から取り入れた言葉」は「日本語」なの? 「煙草」は「日本語」? 「金平糖」は?
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昔寿司屋で、さび抜きの注文を内部同士で客に聞こえる状態で伝えるのに「ノーマスタード」と言っていたのを聞いたことあります。


単に、恰好をつけている、と思い込んでいるだけ。
※ワサビ、は学名も「ワサビ」らしい、ならばノーワサビで十分なんです。
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日本語の特性として、外来語を受け入れやすいと言うことがあります。

古くは中国・朝鮮語、中世の頃はスペイン・ポルトガル・オランダ語。明治以降は英語を中心とした欧米語。しかもそうした言葉は支配者階級や上層階級から広がってきたため、とても小さな閉鎖的集団で使われる傾向がありました。そのため今でも「外来語を使う」ことが上層階級や「賢い人間」と勘違いしている都知事もいます。ただ現在は外国と触れ合うことは特権階級の証でもないですし、むしろ横文字言葉の多用は「日本語力の欠如」とみられるようになってきました。「LGBT」など外国の特有な運動は仕方がないかもしれませんが(それでも、その意味を日本語にできると思いますが)やたらとカタカナ用語を使うのはどうかと思います。ことばが「そこにいる人達の意味の共有が第一目標である」ということを忘れているのではないかと思ったりします。そうはいうものの、日本語の特性として外来語は今後とも多用されると思います。
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