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鎌倉時代、元久2年(1205年)宇都宮頼綱は出家して蓮生となった、と吾妻鏡にありますが、8月16日に出家すると決めて即日蓮生となっています。そんなに簡単に出家となるのでしょうか。髻を切るにしても何の宗派のどこのお寺のどの僧侶によるのか。
宇都宮頼綱は、その3年後に、摂津国勝尾寺に法然を訪ねてそこで師事しています。そこで正式に法然から蓮生を授かったのではないでしょうか。知っている方教えてください。

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A 回答 (1件)

wikiには、次のように書かれています。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD …
元久2年(1205年) 
8月17日、頼綱は宇都宮を発って鎌倉に向かい、8月19日に鎌倉に到着、北条得宗家に面会を求めるが一度は拒絶される。そこで一族の結城朝光を介して献髪し陳謝の意を表して実信房蓮生(じっしんぼうれんじょう)と号し、京嵯峨野の小倉山麓に庵を設けて隠遁したと云われる。
   ~~~~ この記載では、寺院や僧は「改名」には関係ないようです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yamy1265/kyoto-45.html
1205年に謀反の嫌疑を受け、「蓮生」と号したのち、上京し、法然上人に帰依する。
その後罪を問われなかった頼綱は、熊谷直実の勧めで法然に帰依。
   ~~~~ 法然との関係は、「後」
法然上人没後に出家したいう。
   ~~~~ いつでしょうね
https://kyotofukoh.jp/report524.html
1230年、宇都宮頼綱が往生院に土地を寄進する  ~~~「頼綱」
建長年中(1249-1255)、証空に帰依した実信房蓮生(宇都宮頼綱)により華台廟(三昧院華台廟、多宝塔、観仏三昧院)が建てられ証空が葬られる。
   ~~~~ 証空が「実信房蓮生」を建長に受戒したのかも


後白河や清盛についても、剃髪と受戒は、結構簡単に行われているので、もうこの時代には、有力者は、寺でも特別扱いするのが、一種の常識になっていたのではないでしょうか。
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