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真実は、あることに関して(人間が関与することなく)「在る」のですか?(すなわち、万人とって唯一の内容である)
あるいは
真実は、あることに関して人間が「創り上げる」ものですか?(すなわち、場合によって万人が各々の真実を創らざるを得ない)

gooドクター

A 回答 (15件中1~10件)

P櫃さんおはようございます。


 真実はあることに関して人間が創り上げるものです。
 『全く同じものが同時に別の空間に存在することはありえるでしょうか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9296003.htmlのNo.14さんが良かったです。適当に要約します。
 ものは2つあります。同じものが同時に別の場所にあります。同じとはもののあらゆる性質が同じということです。ものの場所もものの性質です。2つのものはものの場所が異なります。2つのものは同じではありません。同じものが同時に別の場所にあると矛盾します。
 1つのものがあります。1つのものが同時に2つの場所にあります。同時に別の場所にあるものは別の2つのものです。箱Aと箱Bの中に電子を2つ入れるやりかたは箱Aに2つ入れるか箱Bに2つ入れるか箱Aと箱Bに1つずつ入れるかの3通りです。でたらめにやればこれら3通りが等確率で起こります。2つの電子は区別がつきません。同じものが同時に別の場所にあります。2つの電子があるということを1つの関数が表します。同じ情報を書き写して複数の場所に同時に置きます。鉛筆の芯の粉と紙は情報ではありません。情報はものではありません。
 『言葉の構造と情報の構造』http://ppnetwork.c.ooco.jp/prod0924.htmさんが良かったです。引用は「語られたことと話し手との関係が消え, 誰がそう語ったのか, いつ語ったのかは隠れ, あたかも「桜の花が咲く」事実を客観的に表現しているようにも, あるいは「桜の花(というのは)咲く(ものだ)」といった概念的意味を表現しているようにも, 表現, つまり情報が変わってしまったのである。」です。
 『数学の扱っている対象は実在するのですか?それとも、純然たる創造の産物ですか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11349945.html?order …のNo.5さんの主張は虚数は自然数と全く同じ意味で集合の集合に付された性質です。良かったです。適当に要約します。
 この世の中に同じ人間が二人いません。甲さんと乙さんは違う人間です。我々は彼らを人という言葉で一括りにします。違っているものを同じ言葉で一括りにするには次のようにします。甲さんと乙さんの違った部分を一つ一つそぎ落とします。すべてそぎ落としたあとで何か残った共通なものを認めて同じとします。同じものどもを同じ言葉で一括りに概念にします。
 甲さんは女性で乙さんは男性だとします。第二次性徴で現れた特徴の部分は無視します。甲さんは金髪で乙さんは禿げています。髪の毛の違いは無視します。肌の色の違いも無視します。1つ1つその性質をそぎ落とします。頭をもち首をもち胴体をもち手を二本もち二本の足をもち直立して歩行するという共通性が残ります。身体の障害は無視します。ともに言葉を話すという共通性も残ります。甲さんとは違った偶然に手に入れた性質を徹底的にそぎ落としてもなお共通した性質が残ります。その共通した性質を持った集合は概念です。集合に符号を付けて置くと便利です。符号の付け方はどんな付け方をしても良いです。日本人はこの集合にひとという符号をつけます。漢民族は人という符号をつけます。英国人は human という符号を付けます。それぞれ全く違った符号をつけています。
 そぎ落とした後に共通した性質がある場合にそれらを同じものと認める行為は抽象することです。人とは抽象した結果認識された概念です。そぎ落とされた後に残っている性質以外の性質を持っていないものはあらないです。人はあらないです。そぎ落とされた後に残っている性質を共通した性質として持っているものの集合はあります。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 16:09
「真実は、あることに関して(人間が関与する」の回答画像14
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 18:01

『我々は、宇宙と言う、時間と空間が「在る」「存在している」ところにいる。

』と言うのは、人間が関与することなく「在る」、「真実」なのでは無いでしょうか。
そうした意味で「我々は宇宙にいる」と言う「真実」は、『人間が「創り上げる」もの』では無く、その様に理解し認識する事象だと言えるでしょう。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

真空を「無(む)」だと言う人がいますが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はあります。従って、真空は、「無(む)」ではありません。

時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しません。この一方だけでは「存在」は成立しないのです。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立します。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在し、「空間」が存在しているからなのです。

時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事なのです。
ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧きます。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来ます。
それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも知れません。
こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。
母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とあります。「はじめに」とは、時間を指す言葉です。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在し、これらが存在できる「空間」がある事を意味しています。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べているのです。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいないのです。これらは既に存在していたのです。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていません。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると、宇宙と神は同じです。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 16:05

parkさん


ちょいとお借りしますねm(._.)m

bragelloneさん、
突っ込みに感謝(^人^)

必要性ての事柄が、ある意味!真理てななかにある!【ある意味】には

bragelloneさんの言われるよえに、主観が備わるからこそ

ある意味ですね
(  ̄▽ ̄)にっこり

これが、個としての必要性と、集団としての必要性では

違ってきたりしますもんね

集団てのは集団を維持するために
個人の必要性よりも、集団の必要性を優先したりしますもんね

地球や宇宙てな大きな空間も、人類てのが必要性があるから
存在を認めてる可能性もあって

大きな循環の中には組み込まれてる事柄すべて必要性と捉えた時に

必要性は真理てな言葉で済むはずなんですけど


真理も真実も不必要てな話は
万物は流転してるだけで、必要性なんてものは存在しない、真理なども存在しない


なんてな考え方に対しての、防御壁てな感じでもありますよ

どちらかを選択するべき話でもないので

ある意味てなのをつけてるのは
欲張りなワシの考え方ですね

言うなれば
川が流れるのは自然の循環として
必要性があるから流れてて
必要性がなくなったらせき止められる
てな考え方と!

川が流れるのは流転の一部であって
そこに自然などの循環てな認識すら不要である!

てな考え方ですね
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 16:04

字引を引くと 事実は真実のこと ともありました



事実という言葉は法律の上でも意味があって「真実を話します・・・」

と言って話すのが真実 その上で客観的に判断され間違いなのが事実

のようですが。

真理は別格ですねえ。真理は真実や事実がどの様に変化していくかの

真の法則、理(ことわり)ですからねえ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<真理は真実や事実がどの様に変化していくかの

真の法則、理(ことわり)>ですね。

お礼日時:2021/05/03 16:09

真実というのは、物事が起きた事を『事実』として、そのバックグラウンドでどの様な事が作用して起きたのかの『根本的原因』を言う。



この根本的原因が、少しずれただけで『事実』異なった展開になる。

では、その根底に存在するものは何かと言えば、『縁』である。
そして、その『縁』を導くものとして存在するのが『宿業(宿命)』である。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
真実は<『根本的原因』>なのですね。おそらく、いくつかの事実の裏に潜んでいる共通なことなのですね。

お礼日時:2021/05/02 17:19

◆ (回答№8) 必要性てな事柄は、ある意味!真理だと思ってますよ


☆ ぢゃあ まづ《真理》って用語は 必要なんですね?

でも ここで《ある意味》という条件づけをしなければならないように 《真理》について精確な定義が これまたやはり必要になります。


つまり まづ基本として:
(1) 必要性てな事柄は、〔重要である〕
☆ と言おうとしたとき その内実は こうだったのでしょう。:

(2) 必要性てな事柄は、まづ ① わが主観真実です。
☆ と言おうとしています。

しかも と同時に: 

(2) ② その真実とした内容は われ一人だけのものではなく 一般性があり 言うとすれば(=《ある意味》)例外のない普遍的な真実(つまりは 真理)だと言ってもよいのではないか?

☆ こういうことでしょう。


だったら :
◆ 真理も真実も不必要
☆ なんていう見方は 出て来ないはずなんです。でしょ わしやけどさん? ( ̄~ ̄;)
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 16:05

真理も真実も不必要な人の立場は


( ̄~ ̄;)
どうしたら良いかな?

必要性てな事柄は、ある意味!真理だと思ってますよ
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<必要性てな事柄は、ある意味!真理>ですね。

お礼日時:2021/05/02 17:15

№4です。



11. もし趣旨説明における命題の中の《真実》を――つまり相対的な主観真実を そうではなく―― 絶対性としての《真理》と捉えてみると どう考えられるか?

(あ) 《真理》は、あることに関して(人間が関与することなく)「在る」のですか?(すなわち、万人とって唯一の内容である)


12. こうなると考えられます。まづ 真理は――絶対性であるゆえ――:
★ 万人にとって唯一の内容である
☆ となります。

13. 通念に沿って言えば:

(い) 真理は 神のことであり いやしくも神と言えば 同じひとつの普遍神であるしかない。その真理の内容は――相対的な真偽や善し悪しやあるいは美醜・聖俗などの二項対立を超えているからには―― 万人にとって唯一の内容である。

(う) ただし この内容が 人間に分かるかどうかは 相対的な知性という能力しか持たない人間には 決められない。



14. したがって:

(え) 真理は 人間が関与するのか? と問うなら 関与しているかどうかは 人知を超えていて 決められない。

15. また:

(お) 真理は 「在る」のですか? と問うなら これも人間の判断を超えている。

(か) その意味は 《有る・無い》が 経験的・相対的でまた有限なものについて表示する概念であるからには 絶対性たる真理は――真偽や善悪を超えていたのと同じく―― 有無をも超えている。

16. 《有無を超えたナゾの何ものか》について では どう表現すればよいか? 

(き) 有無を超えた真理については のぞむならば《有る》とも《無い》とも どちらでも自由に好きなように・おのれの主観にとって真実だと思うほうをえらべばよい。

となります。


17. かくして 真理たる神は 普遍神であるしかないゆえ 《有る神》派も《無い神》派をも 包含する。となります。

(く) 真理についての片や有神論も 片や無神論も いづれも互いに他方の側の主観真実を おのれの主観真実をみとめたのと同じように 受け容れるなら――その同時に認知し受容し合うことにおいて―― 互いに同等・対等な神観である。互いに互いに対して けちをつける謂われはない。





18. 以上の議論は 主観真実の域を出ない有神論や無神論といった神観を矛盾なく説明しているなら 普遍性を問い求める哲学であり 部分的な神観であることを超えた神論であると主張しています。

18-1. けれども たぶん共同化され得る主観真実だと思い自負するけれど やはり主観真実であり 仮説です。もろもろの議論を交通整理し得るというところに提起する理由があります。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
<共同化され得る主観真実>なのですね。

お礼日時:2021/05/21 17:18

真実を真理と言い換えれば…人間が認識しようがしまいが、「ある」とすれば、そのことを証明する方法があるのか?と思っています。



おそらく、今の科学的思考法では無理なのでしょう。何か新しいものが発見されなければ、あるいは認められなければできないのではないかと。

人間が認識したものを真理とする、とはカントは考えていないのだと思うのですが、(これから勉強)現代人はそう考えていると思っていて、これはマズいだろうと。

ま、そんなことを思いました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<人間が認識したものを真理とする>について、
私は、あまりに手軽すぎて、いいのかい、と疑いたくなります。

お礼日時:2021/05/02 17:13

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