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どなたかお分かりになる方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

現在、高村直助の「会社の誕生」と言う書籍を読んでいます。
長いですが下記に引用します。

高村直助の「会社の誕生」 P6
==引用開始==
福沢諭吉の『西洋事情』初編(一八六六年<慶応二>)は、自版一五万部、偽版を含め二〇〜二五万部も刊行され(中略)、その巻之一(中略)「商人会社」では、次のように述べている。

西洋の風俗にて大商売を為すに、一商人の力に及ばざれば、五人或いは十人、仲間を結びて其の事を共にす。之を商人会社と名づく。既に商社を結べば、商売の仕組、元金入用の高、年々会計の割合等、一切書に認(したた)めて、世間に布告し、「アクション」と云へる手形を売りて金を集む。・・・総(すべ)て、商船を造りて外国と交易し、飛脚船を以て世界中に往来し、為替問屋を設けて各国と互に取引を為し、鉄路を造り製造局を建て瓦斯(ガス)灯を設くる等の大商売より、国内の諸商売に至るまで、皆此の商社の為す所なり。(同前、二九七〜二九八ページ)

ここでは、西洋においては広く「商社」が経済活動の単位となっており、とりわけ造船・海運・銀行・鉄道など、個人では難しい大資本を要する分野で会社組織がとらわれていることが認識されている。株式のことを「アクション」「手形」と称しているが、それが社会的に募集されていることも認識されている。その「手形」に対しては、「利潤多ければ右定めたる利息の外に別段の割合を与ふべしとの約束を為す」として、利子と配当双方が与えられるように述べている点は理解に混乱が見られるが、しかし、「手形」は時価により売買はできるが、商社から元金を取り戻すことはできないとしており、融資と区別された出資であることは認識されている。

==引用終了==

上記での
1.「利潤多ければ右定めたる利息の外に別段の割合を与ふべしとの約束を為す」として、利子と配当双方が与えられるように述べている点は理解に混乱が見られる
2.「手形」は時価により売買はできるが、商社から元金を取り戻すことはできないとしており、融資と区別された出資であることは認識されている。

において、1の混乱している箇所がよく分からないでいます。

これは1だけ読めば銀行貸付(融資)と、株式による資本投資との混同なのかなとも思ったのですが、2でそれが打ち消されています。

高村直助は、福沢諭吉の文章中において何が混乱していると思ったのか(福澤のここの認識が謝っていると指摘したかったのか)、の整理をしたいです。

福澤の認識としては、「アクション(株式)なるものは、一旦の金銭拠出後に元金を取り戻せない」「だが、金銭拠出としての利息(利子)はつく(→誤り)」のと同時に「決められた配当(別段の割合を与ふ)がつく」と言う解釈であっていますでしょうか。

つまり株式による資本投資と事業後の配当と言うのは、福澤は貸し付けても元金が戻らない貸付融資の一種だと認識しているが、現代社会はこれを元金回収の営為の有無によって明確に区別していると言う考え方です。

gooドクター

A 回答 (2件)

booterさんは、会社のことを調べているのですね。

 できたら、質問歴も公開していただけると嬉しいです。

ところで、当時の概念と現在の概念というか、言葉は同じでも概念が異なるとか、そもそもシステムが違うということもあるのではないでしょうか。
ネット検索で、次のようなのがありました。 参考までにみてください。

http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all …

まず,1867(慶応三)年12月(旧暦)に発刊された『西洋事情』についてである。著者である福澤諭吉は初編巻之一に商人会社という項を設け,株式会社の説明を試みている。以下,引用はすべて『西洋事情』からによる。「『アクション』と云える手形を売て金を集む。」として株式による資金調達を説明する。しかし,どのような意図なのか利益処分に関する記述には理解しがたい表現が存在する。つまり, 「この手形を買うものには商社より年々四,五分の利息を払い,且その商売繁盛して利潤多ければ,右定たる利息の外に別段の割合を与うべしとの約束を為す」とする。これは株式に対して,一定の利率の利息が支払われることを意味する。参照した『西洋事情』の注釈担当者もかなり混乱している。どういうことかというと「アクション」を「株式,株券(action[仏])」,「元金」の規定を「資本金または債権の元本」としながら,「手形」は「債権」としているため,「『アクション』と云える手形」というくだりは「株式は債権」という意味になってしまうのである(福澤諭吉[2009]26~28頁)。
    ~~~~  中略  ~~~~
この文献の中で,会社の利益処分に関する記述に「利分損失倶ニ衆財主原出ノ財本ヲ照ラシテ之ヲ配分ス,大抵利分有リ損失ナシ。利分ヲ配分セル一分を分前トイフ。或ハ右会社ノ中ニ其業ノ成否ヲ懸念スル者アレハ社中相議シテ其人ニ預メ定メタル利息ヲ與ヘテ其懸念ヲ断ツコトアリ。」(吉野作造[1929]32~3頁)とある。
対して,Outlines of Social Economyにおける相当部分は以下のとおりである。
The profit or loss resulting from the undertaking is divided among the proprietors,according to the amount of capital contributed by each. There is, of course, generally aprofit, and this profit, so divided, is called a divided. To suit the wishes andconvenience of all parties, some being more enterprising than others, such companies,feeling a confidence in the success of their undertaking, often borrow capital fromthose who are too timid or too prudent to encounter risk, and contract to pay to themsome fixed rate of interest, instead of an uncertain dividend.(W.Ellis[1850]Mizuta[1999]p.25~6)
重訳であること,翻訳者の訳語が現在使われているものと多少違いがあることは考慮しなければならないが,神田孝平[1869]の内容は原著に忠実に即したものとなっていると考えられる。
そのため,有限責任が確認できないこと,事業に消極的な者には利息を支払うことなど,W・イリスがこの文献を著作した1850年当時のイギリスにおける株式は,現代の日本における株式とは大きく性格を異にし,社債的性格も有していたことが伺える。
このことは,そのまま福澤諭吉[2009]における記述に対する疑問についての理解につながる。
つまり,福澤諭吉[2009]の「アクション」はフランス語からの言及であるため,フランスとW・イリスの母国イギリスを全く同一に考えることはできないが,少なくとも福澤自身による語義の混乱ではなく,当時の会社の資金調達手段の意味合いに現代とはことなる状況が存在したと考えられる。
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あくまで私見ですが・・・。




> これは1だけ読めば銀行貸付(融資)と、株式による資本投資との混同なのかなとも思ったのですが、2でそれが打ち消されています。

「2でそれが打ち消されている」と解されているところが、質問者さんの疑問の原因ではないかと思います。

1については、質問者さんが仰るとおり、諭吉は、アクション(手形)で利子と配当双方が与えられると考えている点において「銀行貸付(融資)と、株式による資本投資との混同」を起こしています。ただ、高村は、2でそれを打ち消しているわけではないと思います。高村が言っているのは、

「諭吉っつぁんは、アクション(手形)で利子と配当双方が貰えると思うてるみたいやな。ちゃんと分かってはらへんねんな。しかし、『商社から元金を取り戻すことはできない』って言うてるところからみると、アクション(手形)は融資とは別モノやっちゅう点についてはちゃんと分かってるみたいやな。」

といったようなことだと思います。高村は、諭吉の理解には、正しい部分と間違っている部分があると言っているのでしょうね。


> 福澤の認識としては、「アクション(株式)なるものは、一旦の金銭拠出後に元金を取り戻せない」「だが、金銭拠出としての利息(利子)はつく(→誤り)」のと同時に「決められた配当(別段の割合を与ふ)がつく」と言う解釈であっていますでしょうか。

貴見のとおりでよろしいかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

なるほど、ひとまずはこれで合っているものとして読み進めて行こうと思います。

お礼日時:2021/05/03 13:16

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