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「僕に東京の印象を話せといふのは無理である。何故といへば、或る印象を得るためには、印象するものと、印象されるものとの間に、或る新鮮さがなければならない。」

「印象するものと、印象されるものとの間に」の「もの」について、後者の「もの」が脳・心を指していて、前者の「もの」が何か所の経験を指していますか。だと、この文章の要約すると、ある所が親しすぎる場合、その所の印象が与えられないということですか。

gooドクター

A 回答 (3件)

芥川の『東京に生れて』ですね。


 引用なさっている部分の続きを含めて考えれば、よりわかりやすくなるのではないでしょうか。文章はこう続きます。
  「僕は東京に生れ、東京に育ち、東京に住んでゐる。だから、東京に対する神経は麻痺し切つてゐるといつてもいゝ。」
 だから、「僕に東京の印象を話せといふのは無理である。」と芥川は言っているわけです。つまり「印象するもの」は芥川自身、「印象されるもの」は「東京」です。
 「自分自身が東京生まれ東京育ち、おまけに今でも東京住まいなので、いまさら『東京の印象』を問われても答えることができない。なぜなら、『印象』とはそれを感じる者と感じさせる対象との間に、『新鮮さ』がなければ感じられないものだからだ」といった意味にとらえればよいと思います。さらに言い換えるなら、「慣れ切ってあたりまえになったものに、あらためて『印象』を感じることはない」とでもなるでしょうか。
 「印象する」という言葉遣いは既に現代日本語ではしなくなりましたので、わかりにくいのかもしれませんね。
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「印象する」ものと、「印象される」もの。

こんな言葉使いは見たことも聞いたこともありません。「印象を受けるもの」と「印象を与えるもの」の意味でしょう。芥川が使っていたのですか。
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たぶんですが、



印象するもの=僕

印象されるも=東京
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