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牛と馬は日本列島にはいなかったので、大陸から連れてきて家畜や軍馬として飼うようになったのだと思いますが、騎馬軍が出てきたのは戦国の世からです。
家畜として飼うようになったのは、稲作文化が始まって農耕馬として利用するようになってからですか?
当然、肉を食べる文化もずっと後になってからです。

質問者からの補足コメント

  • (遺跡から小動物の骨は見つかっています。)
    中国と初めて公益が始まったのは、卑弥呼の時代からだと思いますが、卑弥呼の時代には馬や牛がいなかった事が魏志倭人伝に書かれています。
    対して、神武天皇の頃には牛の肉と酒を出して接待した事が日本書紀に書いてあります。
    弥生時代、牛の肉を食べる文化があったのですか?
    それとも、神武天皇は縄文時代の人ですか?
    縄文時代には、まだ倭国=邪馬台国(ヤマト王権)は一つになっていませんでした。

      補足日時:2021/05/07 08:50

A 回答 (4件)

>弥生時代、牛の肉を食べる文化があったのですか?



牛そのものを食べる文化というのはもっと後でしょう。
だって当時は牛そのものが貴重品です。
遊牧なり牧畜などがなければ「食べる文化」などはできません。
もっとも死んだ牛馬を食べることはあったかもしれません。

>それとも、神武天皇は縄文時代の人ですか?

日本書紀をそのまま見れば弥生時代になります。
しかし、いまは歴史学者で神武天皇の実在を信じる人はいません。
第10代崇神天皇からは実在という説が有力です。

神武天皇は別名「ハツクニシラススメラミコト」です。
崇神天皇も別名「ハツクニシラススメラミコト」なのですよ。
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牛馬は5世紀頃、稲作とともに伝来したと考えられています


ただ旧石器時代の遺跡からバイソン属の牛の骨が発見されているので、全く日本列島に牛が居なかったというわけでも無いようです、どこかで絶滅したのでしょう
岩手県立博物館のハナイズミモリウシで調べればでてきます
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日本に馬や牛がはいってきたのは古墳時代5~6世紀ぐらいだと考えられています。

古墳のはにわなどに馬や牛が登場していますね。

でもそれ以前の日本を記した魏志倭人伝(正確には「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)には邪馬台国には牛や馬がいないと記録されています。
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「牛と馬は日本列島にはいなかった」自体が違うと思う。


それらの動物を戦いに利用する文化は大陸から取り入れたと思われるが、元から日本列島にいたと思う。
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