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邪馬台国は卑弥呼の後、男王がたち国が権力闘争で乱れたため、女王に再び変え、女王が死去後、また男王が立ったそうですが、その後中国の歴史書から邪馬台国は消えています。
男王の治世に、一体、何があったのでしょうか?

A 回答 (8件)

中国は広大な平野が広がり、河川も縦横に走って水資源も豊富だ。

中国人は自分たちの広大な国を「水の国」と呼んでいるくらいだ。
農耕文明の地としては、これほど豊かな国はないだろう。平地に流れが緩い河川が走っているので水運も楽だ。

朝鮮半島南部はまだ平野が広がっているが、日本は山だらけだ。河川は多いが急流が多く、海も荒れやすいので水運も楽ではない。
海岸線に沿って僅かな平地しかなく、水運も大変とあっては、中国人にとっての日本とは「砂漠」と同じように役に立たないエリアでしかない。

大陸の人間で日本に興味を持ったのは元のフビライくらいだが、ご存知の通り、それは日本の豊富な「金」が目的だった。
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魏から見たら朝鮮半島など欲しいとも思っていませんから、その先の海を渡った先の小島など興味のかけらもない、というのが本音です。



少しさかのぼりますが、漢の時代に今のソウルあたりまで領域を伸ばしています。これが帯方郡で、その北に楽浪郡(今の北朝鮮あたり)がありました。で、この2つを公孫氏という一族が支配していました。公孫というと中国っぽいですがモンゴル系だっただろうと考えられています。一応は漢の支配下ということになっていますが、そんな辺境どうでもいいと中国の人は見向きもしなかったので、公孫氏がぬくぬくと支配を続けています(三国志という動乱の時代にあって三国志演義に出ても来ないw)。まぁその公孫氏が魏を裏切って呉と組もうとしてるとバレて、漢(魏)の配下に居られなくなったので独立したら速攻で司馬懿を送られて殺された、というのがあって、それで公孫氏に貢いでた倭が、魏と接点をもつことになって三国志の片隅に記録を残してもらえたわけですね。

なので公孫氏をほろぼした後、一応は魏が支配しますが、朝鮮の土地など本当に興味がなくてw、その南の朝鮮民族にすら興味がなくてw、だからその先の海を渡った小島の国など、もうまったく興味がなかったわけですよ。

三国志(魏志倭人伝)に記述されている、卑弥呼→男王→台与までは、まぁ正しい(というかこれしか記録がないですから・・いろいろと考えることはできますが)ですが、266年の朝貢の記録は、いろいろ分散された端書きをつなぎ合わせて語っているようなもので、どの程度の信憑性があるのか分かりません。特に266年の朝貢を”女王”によるものとするのは、かなりウソ臭い記録だと思っています。
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大国にとっては必ずしも占領する必要はありません。


自分の国に従ってくれるのならコストをかける必要なないのです。
まして海をこえて占領するほどの戦略的価値はありません。

元寇にしても最初は元は日本と戦争をするつもりはなく単に通商をもとめただけです。それを何度も拒否し最後は使者の首を切ったりしたからクビライが激怒し元寇となったのですよ。

なお、卑弥呼が死んで壹与が王位につくまでどのような戦乱があったのか、また壹与が晋に使いをだしたあとどうなったのか、これは記録がないためまったくわかりません。

ただこのころの弥生時代において、戦乱が全国的におこなわれたことがわかっています。住居がわざわざ高地につくられたり、村ごと虐殺されたり、鏃のささった人骨が多数見つかったりしています、これらと「国大いに乱れ」というのは何らかの関係があるだろうとはいわれていますね。
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島国だったから

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中国の歴史書に載らぬから亡くなったわけではありません。


ちゃんと続いているでしょう。

中国は何回も王朝交代しているでしょう。
史書は国が落ち着いてから遡って作るもの。
余りこだわらぬことです。

邪馬台国は大和朝廷。途絶えることはありません。

女王とか男王か、あまりこだわることないです。

どうせ外国から見た日本史観。

侵略は大変でしょう。

海を越えて国を攻めるのですからね。

まあ朝鮮に兵は送っていたでしょうね。

任那日本府はありましたね。
倭は3国史記・3国遺事では新羅・加羅に渡っていた記事ありますね。
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一つ確実なのは、邪馬台国など、当時は大きくても都道府県程度、小さければ市町村程度の、日本にたくさんあった小国の一つに過ぎなかった、ということだけだ。

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全然分からない。



その時代を伝える資料は魏志倭人伝だけだが、倭人伝自体相当いい加減なことが分かっている。
考えてみれば「中華思想」の中国人が、辺境の地日本の記録を詳細に残すなど考えられない。
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> 倭国が魏に侵略を受けなかったのは、女王の国だったからですか?



一つには、日本海や東シナ海を超えて侵攻するのは、大変な労力のかかる事業であった事です。もう一つには、それだけの労力をかけて日本に侵攻しても、得るものが何も無かったという事です。

後の時代に元寇が起きますが、この時に日本に侵攻した軍団は、いわゆる口減らしの目的で、不要な人材ばかり選ばれた事が分かっています。3度目の元寇でようやく精鋭部隊が送り込まれる予定だったのですが計画が無くなりました。


> 中国の歴史書から邪馬台国は消えています。男王の治世に、一体、何があったのでしょうか?

分かっていません。
一つだけ言える事は、卑弥呼の時代から暫く経って大和朝廷が成立したという事です。
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