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光武帝が倭奴国王に与えた「印綬」は、誰が授かった「印」ですか?
筑前藩主である黒田家に贈られた金印ではないですよね?
なぜ持ち主の子孫に返さないのですか?

質問者からの補足コメント

  • また発見者(甚兵衛)と所有者(黒田さん)がなぜか違います。コピーを作る際、所有者に許可は取ったようですが、発見者(子孫)に許可を取らなくてよかったのでしょうか?
    所有者が元の持ち主なら分かりますが、そうでない場合、交番のような役割だと思います。発見者が権利を手放したのでしょうか?

    中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年
    に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれています。
    黒田さんは、倭の国王ではありません。

      補足日時:2021/05/08 19:24
gooドクター

A 回答 (2件)

おっしゃるとおり、『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」に「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」との記述があります。

ですので与えた相手は「倭奴国王」です。

この読み方は諸説あって一般的には「倭」の「奴」の「国王」という説が最も有力です。というのも「奴国」というのは魏志倭人伝にも登場する国名で博多湾沿岸にあったことはほぼ諸説一致しているからです。(なお「委奴」とよませて倭人伝にでてくる「伊都国」に比定する説もあります)

金印の発見者は口上書を提出した甚兵衛で、天明4(1784)年2月に埋もれていた金印を志賀島で発見したとなっています。その発見した金印を当時の領主であった黒田家に提出したんですよ。ですので黒田家が所有していたのです。

なお、奴国はヤマト政権の元とはされていませんので金印を受け取った「奴国王」は天皇ではありません。
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中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年


に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれています。

だから倭国王=天皇でしょう。
当時から天皇がいたのでしょうね。

当時、黒田家なんてないですよ。

持ち主と言われても、国史では忘れられた時代。

だから還すのは無理でしょう。

国宝とかですが、伝承忘れられて正しい読みは諸説分かれて争われていますね。
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