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日産は長年、L型エンジンの上にあぐらをかいていたのに何故、DR30スカイラインのFJ20を、すぐにやめたのですか?
素晴らしいエンジンだったと思いますけど?

A 回答 (7件)

ハイソカーやXXに搭載されたトヨタの1G-GEUに負けたからです。

※販売台数(搭載エンジンとして)
RB2X系エンジン登場までのワンポイントリリーフでもありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。何故L型は、あれだけ長い間、いろんな車に使っていたのですか?ノーマルじゃ、お話しにならない鈍重で遅かったのに?

お礼日時:2021/05/09 13:02

FR専用の、ガタイの大きい4気筒で、FFには、使えなかったから。

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でかすぎたのでCA→SRにシフトした

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2000cc4気筒としては良いエンジンなのですが、スカイラインのTOPのエンジンは四気筒でいいの?このエンジンで良いの?って思いが強くなってきてRB26が誕生したエネルギーになったんでしょうね。

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ヘッドにクラックが入りやすいとか、問題あったように記憶しています。


それにスカGに4発?エンジンルームがスカスカで、見た目がしょぼい。
スカGですから、押し出しが強くなくっちゃいけません。見た目だけでもがっちりしてないと・・(名ばかりのGTだかんねw)
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L型6気筒の後継となるエンジンの量産が始まるまで、日産機工の既存の4気筒エンジン生産ラインを使って生産されたのがFJエンジンらしいです。

ただ組み立ての重要部分は熟練工による手作業だったとのことですし、幅広い車種で使えるエンジンでもなかったことから採算性が悪く早期に打ち切りとなったのではないかと思います。各パーツの重量バラツキまで考慮して組まれていたそうですから相当高精度エンジンだったのではないかと思いますがコスト高が仇になったようです。

その後量産されたRB型エンジンは多くの車種に採用されてL型と同じく20年近く生産されていたようです。
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FJは、最初からRB系6気筒開発までの『ツナギ』ということが決まっていたので、短命で終わりました。

(確か生産期間が5~6年間だったか、最初から決められていました。)

※あくまでもツナギだったので、FJ20には元ネタがあります。
 FJ20は、セドリックタクシー用のH20型OHV4気筒エンジンの腰下、というかシリンダーから下を流用し、そこにDOHC4バルブヘッドを載せたものに過ぎません。(OHVのカムシャフトはジャックシャフトに入れ替え、カムドライブ用チェーンの一段目をかけています。)

※生産も、日産工機のH20製造ラインが使われました。
 ちょうどタクシー用エンジンが、H20からSOHCのZ20に変更されることになり、日産工機の製造ラインが空く為、そのラインを流用した様でした。

※『RB完成までのツナギ』だった為か生産の設備投資がショボく、かなり『手作り』の範囲が広かった様です。
 少量生産品に共通する部品の歩留まりの悪さも、一つ一つを計測して最適な組み合わせになる様に組み立てて不良品を減らすなど、人海戦術ともいえる方法で生産されました。
 要するに高コスト体質の製造体制だったというワケで、長い期間大量に生産されることを想定していなかったということです。

>素晴らしいエンジンだったと思いますけど?

 ワタシもFJ20はとても良いエンジンだと思います。日産史上最良の4気筒エンジンとして、A14と並ぶ名機だと思いますが・・・

※広いバルブ挟み角(故に燃焼室形状が深いペントルーフ型になる=馬力優先で作られた古典的DOHCエンジンの特徴)や過渡的なインジェクションシステムなど、年々強化され続ける燃費基準や排ガス規制への対応を考えると、不利な設計となっています。(インテークポートはS20と同じ形状など、FJ20よりも古いエンジンの設計手法が流用されていました。『馬力が出るエンジンを、手持ちの技術で作ってみた』感があり、それがFJ20の魅力の一端ではありましたが、まぁ将来性というか発展性という点では、最初からあまり多くを期待して作られたワケではないと思われます。)
 一方2000㏄以下の4気筒では、小排気量エンジンとの設計の統一を図ったCA18や後のSR20も控えていたので、下のクラスに転用するのもS110シルビア/ガゼールに留まったんでしょう。

・・・更に、スカイラインに限って言うと。

※回転1次振動がキャンセル出来る6気筒エンジンの滑らかな振動特性は、トヨタ・セリカに対する重要なアドバンテージであり、一方マークⅡ/クレスタ/チェイサーに対抗するには、トップグレードに6気筒モデルが必須だったということもありました。
 トップグレードが4気筒では、『スカイライン』というクルマのイメージ戦略上あまりよろしくないことだったのは間違いありません。

※意外に思われるかもしれませんが、スカイラインの主な販売台数はマークⅡ系の『ミドル・セダン』市場で得ていました。まぁそれが高じて7thという『失敗』に繋がったワケですが。(7thは当初4ドアしかなく、トップグレード=最高級セダンという性格付けでした。)
 7thは、当時若者の間でちょっとしたブームにさえなっていたマークⅡ系に対抗したのは明らかでしたが、当然スカイラインファンからは、新車登場時から不評を買いました。
 まぁ20歳ソコソコで『もう若くないし』と言ってマークⅡ系を買うカン違い大学生が大量に現れた時代なので、7thスカイラインの企画も判らんでもありませんでしたが。(元々GT-Rとは、タダのセダン=C10『ハコスカ』に強力なエンジンを載せただけのクルマで、最初は4ドアしかありませんでした。7thはこの企画に戻っただけ、と言えなくもありません。)
 話がちょっとそれましたが、要するにマークⅡ系に対抗するには、あくまでもトップグレードは直6気筒でなければならない、ということです。こんなところからも、FJ20が『カタログ表示馬力でトヨタに負けられない』R30限定の間に合わせのエンジンだったと言えそうです。
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