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哲学は科学では無い、のは何故でしょう?

===引用 ===
科学(かがく、(羅: scientia、英: science、仏: science、独: Wissenschaft)という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。
(広義)体系化された知識や経験の総称であり、形式科学、自然科学、社会科学の総称。
(狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。
(最狭義)自然科学。
=== 引用終わり===

Wissennshaftの最広義の意味ではPhilosophieもカバーされる様にも見えるが、PhilosophieをWissennshaftでは無いとするのが通説です。

なぜだと思いますか?

哲学者、哲学学者、哲学教師、哲学史教師、その他、ただの哲学好きの愛好家の皆さんより、いろいろなご意見を伺いたくお願い申し上げます。

gooドクター

A 回答 (32件中1~10件)

No.62へのコメントについてです。



 うん。No.2の最後の一文は確かに酷いですね。そこまでで述べたことの真逆になっている。というわけで、No.62の冒頭は、「No.2(ただし最後の1文を除く)」に訂正いたします。
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重複する発言になりますが、


やはり、リテラルに頑なに拘るのは危険だと思います。

削除されてしまいましたが、あなたの言葉で私が自殺しても(一般的な価値観では)嫌だろうし、その逆も嫌です。

無視できない前提には従うべきです。
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もうちょい補足するとですね、


・扱っている対象が形式科学ではない
・扱う手段が資源言語である
この時点で社会的、政治的な成分が入り込むので、純粋な論理的な話はできないと思う。

だから当初から私以外の回答者へのレスをみても、言葉の切り出しをして回答者の文脈を適当に歪曲して結論づけ、慇懃無礼なコピベお礼を体裁のために付けているように見えるわけです。

属人性排除するという話と、回答者の神経を逆なでする言動は別の話だと思いますよ。
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いや、


自然言語での表現だから、No.2の最後の一文はべつにおかしくないと思います。

質問欄やお礼欄も日記帳ではないと思います。
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No.2の回答で十分だろうと思うが、そこに付けられたコメントを見ると、質問者氏は明らかに、その回答を正しく読んでいない。

No.2で言われていることを強いて要約すれば「科学は哲学のうちの一分野だ(科学 ⊂ 哲学)」ということ。(そして科学以外の哲学も存在するから、「哲学は科学と同じではない」。つまりご質問は最初っから倒錯している。)


 「××学」というのは××に関する知見・考察を、他者や後世に伝えるために言語化したものの集積です。他者や後世にうまく伝わるようにしようと思えば、当然、それらの知見・考察を系統的に整理する必要がある。すなわち用語を統一し、説明を順序立てるわけです。個別の技能に関する考え方や知識を整理した、例えば「バーテンダー学」だとか、技能の解説とそれによるいろんな観察とを集めた「植物学」だとか、解釈や感想文を整理した「シェークスピア学」だとか。

 で、哲学は大雑把に言えば「この世界はどうなっとるんじゃい?」という問いに関する「××学」である。「自然学」も哲学の一つ。で、キリスト教の絶対的な影響の下にある文化において、デカルトが「自然学においては、神様や魂の話と、それ以外とを分けて考えるのがいいんじゃないか」という分節化を提案した。これによって結果的に、「どんな神様を信仰しているか」とか「魂とは何だと思っているか」という話が一致しない相手(文化)とも共通に、物理や化学の話が通じるようになったわけで、これが(世界に広まった)科学の萌芽でしょう。除外したのは「神様云々」だけじゃない。異文化と共通に話ができるためには「主観」も切り離したいわけです。つまり、客観性を重視する必要がある。
 言い換えれば、科学は「哲学の一部である自然学のうち、神様云々を除外し、さらに客観性を重視した言説の集積である××学」ということです。(「植物学」のような観察記録集は、確かに自然に関するものだけれども、「この世界はどうなっとるんじゃい?」という問いへのアプローチを企図したものじゃないから哲学じゃなく、だから科学でもない。)
 一方、スピノザは倫理学を、ユークリッドの数学のように公理と定理の体系として建設しようとした。その公理の根本には(キリスト教の)神様がある。なので、当然ながら(デカルトと同じく)神の存在証明をやっているわけですが、神学的にラジカルなもう一歩を進めて「神は全能だから、天地創造の後は世界に干渉しないはず。つまり、世界の法則が、イコール、神の現れの全てである」という「理神論」を立てる。すなわち、「どうしてそんな法則が成り立つの?」を何度も繰り返し問われるといずれ答に窮するわけですが、その窮したところこそが神様、ってことで、デカルトが棚上げした神様の話は「究極の法則」の中に閉じ込められた。棚上げから断絶に変わったわけで、これが(あくまでもキリスト教文化圏の文化の一つである)科学にとって、神学的な礎になる。宗教的には、信仰のあり方として「自然の中に、神の造形の見事さを見つけて神を賛美する」ってのが成立するから、実際、メンデルをはじめとして聖職者であって科学者である、という人は案外多い。(暇だからです。)
 さて、19世紀の末ごろになって、科学が生物を対象にするようになった。「(植物)分類学」やら「進化論」です。だったら「社会を対象にする科学」も建設できるんじゃないか、と言い出したMax Weberは、「社会に関する言説の集積」(社会学)が社会科学になるかどうかの分かれ目は「(論者にとっての)価値」という主観的なものを切り離せるかどうかに掛かっている、と考えた。以後はこの方針で社会科学が発展し始めるんですが、客観性を維持するのはなかなか大変である上に、自然科学がろくにわかってない落第生が社会科学に手を出すことが多くて、どんどん崩れていく。結局、科学とはお世辞にも呼べない言説だらけ。(ごく最近になって、本来の意味での「社会科学」が復権しつつあるようです。)

 ところで、「科学」なる概念は、確立したものだとはとても言えないでしょう。科学は「客観性」という概念に関する哲学的考察、すなわち「論理学」の影響をもろにかぶります。論理学は「弁論術」から派生した「××学」ですが、数学と密接な関係にあることは早くから認識されていた。また、哲学では哲学を語るための言葉自体に関する考察をきちんとやらなくちゃならんわけですが、自然言語というのは一筋縄ではいかない。言語哲学が(いまでも)迷走しまくる。そんなわけで、20世紀初頭ごろまで、「哲学・論理学・数学」が「言語に関する哲学」として一つの学科にまとめられていた。さて、デカルトが自然学に数学を使うという方法を開発したことで科学(特に物理学・天文学)が急発展したのだけれど、数学の基礎には論理学がある。また、19世紀には、(それまで「賭け事に数学を応用する哲学」に過ぎなかった)統計学が科学の手段として取り入れられたのですが、これが科学の方法として一応確立したのは20世紀になってから(今でも色々揉めてます)。また、統計学(の一側面)が数学(確率論)で基礎付けられたのも同時期。というわけで、「科学の方法に関する学」(科学哲学)が派生する。(もちろんこれは科学ではない。)そこで揉まれ続けることで「科学とは何か」への答も色々と揺れ動くわけで、その影響は、例えば哲学なんか考えたこともなくひたすら試験管を振ってる研究者にとっても、投稿した論文をrejectされる、という形で直接に現れている。
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この回答へのお礼

なるほど。

No2の回答に以下引用の記述があるので、No2回答者は哲学は広義の科学であると言っていると理解しました。

言い換えると
「科学は哲学を一分野として含む(科学 ⊃ 哲学)」と言っていますが、
どの様に読むと
「科学は哲学のうちの一分野だ(科学 ⊂ 哲学)」という事になるのでしょうか?

===引用===
「包括的には哲学も科学であるが、狭義には科学ではない」という解釈が生じることになった



教えて下さりありがとうございました。

お礼日時:2021/05/18 21:19

あなたの言動に感じる慇懃無礼さってそれは哲学の作法なんですかね?


純粋に興味ある。
何しろいわゆる哲学の世界には触れてないので。
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この回答へのお礼

私が立てたスレッドに、質問を読もうともせずに、落書きをし続ける奴が出てきた時だけ発動する防衛本能ですね。

質問に触れず、質問を発した人間を攻撃する奴が現れない限り、至って温厚ですよ。

お礼日時:2021/05/15 15:28

日本語でいう人文科学の分野ですよ。



そもそも、科学か科学じゃないかなんてのは定義次第ですが、純粋な哲学者は歴史的にも自然科学の学問と密接にかかわってるし、哲学の分野によってはその考察は論理的で科学的です。
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この回答へのお礼

なるほど。

哲学は人文科学だ!という新説ですね。

教えて下さりありがとうございました。

お礼日時:2021/05/15 09:19

No.57=30です。


 No.30にお礼 comment を貰いました。科学の最も広い意味が社会科学です。社会哲学が哲学の最も広い意味です。『価値のシステムについて(権力かな?)』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/713010.htmlのNo.3さんを適当に要約します。価値は解釈に過ぎないと Nietzsche が言いました。Foucault は歴史社会学で実証しました。ある価値が時代や場所によって異なることを発見し解釈の土台と呼びました。Episteme です。価値は権力です。現代は上からの権力より横並びの見えない網の目のような権力が厄介です。Simone Weil は仏国の思想家です。善意の集団が猟奇で悪魔な相貌を表す一瞬を考察しました。赤軍連合事件が Weil の考察に現実味を強めました。石塚省二『グローバル化時代における社会哲学の想像力』https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/57/ …があります。次の「シェフは, このことについて, 近代の社会学文献および社会科学の文献一般についても, 感情についての学問的取り扱いが完全に姿を消した, と述べている(Sheff 1994).」はp.17からの引用です。
 宗教科学はないです。宗教哲学はあります。形而上学は metaphysics です。物理学は physics です。哲学が philosophy です。形而下学は betaphilosophy です。桜井弘木『トマス・ホッブスにおける哲学と科学について』https://ci.nii.ac.jp/naid/120005537118のp.5より引用は「初めに結果を知ることからの, その可能的な諸原因や生成についての知識である.」ここでは, 推論による関連づけが, はっきりと因果関係として考えられている. また, この後の補足的な説明において, ホッブスは, 感覚や記憶は知識ではあるが推理によらないから哲学ではなく, また単なる経験は記憶でしかなく, 思慮分別(prudence)も経験を利用するだけであるから哲学ではないとして, 推理を強調している. これは, 「リヴァイアサン」の定義と同様である.」です。Hobbes は哲学と科学を同じとしました。ハルヒさんのNo.2は正しいです。しゃおつーさんのNo.4で紹介された link の Bayesian inference が良かったです。引用は「Bayesianism, which uses probability theory as a framework for induction.」です。訳します。Bayes 主義確率理論を使う演繹の枠組みにです。Objectivism が排除されます。『オブジェクティビズム』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%96 …さんとぶつかります。
      科学 | 哲学
狭 自然  検証 | 独自
広 社会  理性 | 感情
外 宗教  ない | ある

ハルヒさんとしゃおつーさんとだよ~んさんもおはようございます。
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この回答へのお礼

なるほど。

最も科学性が薄い社会科学は
最も哲学性が薄い社会哲学と
共通項を持ち、
しかし社会科学の属性の方が社会哲学の属性よりも広いから、
社会哲学は社会科学の部分集合になっている、
という説でございますか、、、。

しからば、社会哲学に必須の「観察し得ないものを考える」と言う哲学属性が「観察可能な物しか対象としない」という科学の必須属性と矛盾しないのか?

もう一段、堀り下げた思索をされる機会があれば、またよろしくお願いします。

教えて下さりありがとうございました。

お礼日時:2021/05/15 09:30

前提に問題がないことが前提ですがね

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この回答へのお礼

回答者にて前提を措定することを許す。

お礼日時:2021/05/14 17:21

まだプロコトル以前の話。

ネゴの最中。
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この回答へのお礼

ネゴはしない。

ゴネもしない。

お礼日時:2021/05/14 17:18
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