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「ホロコースト否定」に関して四つ目かな?

私が知りたいのは、根本的にはホロコースト否定者の思考ルーチンだったりしますが、ほんとによくわからないのです。
(誤解する人が多いので困るのですが、私はホロコーストがあった・なかったを問題にしているのではありません)

今回は、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスが、ウソの自白を強要されていた、という否定説に関してです。

ヘスは、ニュルンベルク裁判やポーランド人民法廷などで、アウシュビッツなどで行われた虐殺実態に関して非常に仔細な証言を行なったことで知られます。特に、日本でも普通に講談社学術文庫で買える『アウシュヴィッツ収容所』で読めるヘス自身の回想録は、極めて詳細かつ丁寧に虐殺の具体的な内容について書かれています。

勿論、否定派はこれを完全否定です。否定派が目をつけたのは連合国が逮捕した加害者側被告に対し、暴行を加えていたというものです。(仔細は調べてませんが、暴行はあるにはあったようです。が例えば「137人の膀胱を蹴り飛ばして再起不能にした」という話は虚偽であったことが判明しています。ネットで公開されているマルメディ事件の公聴会記録を調べるとわかります)

しかし、ヘスに関しては、自分自身で自伝に逮捕後の尋問時に暴行があった的なことを書いており、もし自伝が連合国に強要されて書かされたものであるならば、連合国に不利になる暴行の記述まで書かせた事になり、否定論的には少々辻褄が合いません。

ところが1983年に『死の軍団(Legions of Death)』という、ジャーナリストのルパート・バトラーなる人が書いた本が出版されます。ここにはヘス逮捕時の状況が詳しく書かれていたのです。そして、エルンスト・ツンデル(ツンデル裁判で有名)やロベール・フォーリソンといった否定者がこれに飛びつき、ヘスにも拷問があり、その自白は信用できないものだった、とされるのです。そして木村愛二や西岡昌紀により、その説が日本に輸入される事になります。

ところが、まず、この本は、ジャーナリストが書いた歴史読本(バトラーはこの手の本を他にも何冊か書いてる)であり、そこに書いてあるバーナード・クラークという当時軍曹でヘスを逮捕した当人自身の回想録ですらありません。平たく言えば「伝聞」です。バトラーはヘス逮捕時の状況を記述してはいますが、一体なんの情報を元にしたのかは全然書いていません。「クラークに便宜を図ってもらった」旨の記載が、本の最初に書いてあるだけで、インタビューなのかノートでも借りたのかすらわかりません。最悪、著者のバトラー自身の推測の可能性すらあるわけです。これで拷問による自白強要説の証拠になるのでしょうか?

さらに、驚くべきことに、その本を実際に読んでみると、なんと否定者の言う「ヘスは取調べ中三日間に拷問を受けて自白した」という記述がないことが判明しました。ほんとに書いてないんです。ヘスへの暴行は、逮捕時に名前を自白させるために四発殴ったことと、その場にいた「アウシュヴィッツで両親を殺された軍曹」がヘスと判明したので嫌悪感が爆発して暴行を加えた、程度のものであり、それ以外には特筆すべき暴行の記述はありません。そして、肝心の三日間については、こうあるだけなのです。

「彼からまとまった言葉を引き出すのに3日かかった。しかし、いったん話し始めると、彼を引き止めることはできなかった。」

ここには暴行も拷問も書いていません。しかもさらに驚くべきことに、フォーリソンは『死の軍団』以外の記事を見つけ、そこにはなんと「ヘスを三日間眠らせなかった」だけ書いてあったのでした。フォーリソンはこの三日間の禁睡眠と、ヘスの手紙を検閲したことを拷問と記載していたのです(フォーリソンは狂ってます……)。

さらに、『死の軍団』でもそれ以外でも、どこにも一切「ウソの自白を強要した」などありません。ほんとにどこにもないのです。ちなみにフォーリソンは全然違うことを言ってて、ヘスはたったそれだけのことで精神的におかしくなってしまったんだそうです(フォーリソンが狂ってるんです……)。

その上まだありまして、実はどうやら、バーナード・クラーク軍曹は『死の軍団』では逮捕時の指揮官のような書かれ方をしていますが、ほんとはハンス・アレクサンダー大尉だったことが後年明らかにされているようなのです。確かに逮捕時の指揮官が「軍曹」は変です。逮捕時の状況も若干違うようです。

さらに詳しいことは以下のリンクにあります。ここでは『死の軍団』の該当の章が全文翻訳されています。
https://note.com/ms2400/n/nf745ff87950b

ホロコースト否定者が嬉々として『死の軍団』をヘスへの自白強要説の証拠として使っているのは例えばこんなのがあります。もっとある筈ですが取り敢えず。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-12.html
https://togetter.com/li/981203
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori-rekishi …

ところがその肝心の『死の軍団』にはそんなことは書いてないのです。若干事情は知っていて、木村氏も西岡氏も当該の2ページ程度を欧米の否認論者にコピーして貰っただけです。西岡氏は「その拷問の事実を自慢する様に、語って居る」などと書いてますが、そんなこと一切書いていません。それはフォーリソンが自分の論文に憶測で書いたのです。

一体、『死の軍団』をどう読んだら、ヘスへの自白強要説の証拠になるのか、さっぱり理解できません。ホロコースト否定論者の思考ルーチンってどうなっているのでしょうか?

別に、ヘスに暴行がなかったと言ってるんじゃないですよ、ヘスは自伝に自分で暴行があったことを書いてるんで。1946年当時のイギリス軍の軍事警察なんだから、そりゃ多少の暴行はしたでしょう。写真のように鼻血を出す程度のことはあったようですしね。でも目の周辺は全然殴られてないようですね。

「ホロコースト否定の奇怪さ:『死の軍団』が」の質問画像

A 回答 (9件)

整理します。


>さらに、『死の軍団』でもそれ以外でも、どこにも一切
>「ウソの自白を強要した」などありません。ほんとにどこにもない
という指摘の証拠として、下記資料を出されています。
>全文翻訳されています。
>https://note.com/ms2400/n/nf745ff87950b
この内容を「冷静に読む」事で理解できると言われています。

これに対して、資料を拝見したところ、私の判断ではこの文章を読む限り、拷問があると判断しこの話を続けて来ました。
結果、書かれている文章の内容は、
>定義で言えば拷問です。
とご回答されていますので、文章に付いては一致したと思います。

しかし、①②の例外規定があり、拷問とは認められないとの事。
もし、それで有るならば、私が最初に言った様に、
>『死の軍団』の虚偽性を指摘すれば良いだけです
これを行っている事になります。
資料には拷問による自白の内容が書かれている。しかし、①②例外規定が法的に存在する為に、拷問とは認められないと言う話です。

「①証言の否認、②事実の証明」について、アウシュビッツの知識は、其処まで持っていませんので不明です。
取り合えず、提出資料の文書の範囲に置いては拷問であると、一致したと言う事で良かったのではないでしょうか。

>否定派が『死の軍団』を「ヘスが拷問により自白を強要されており、
>嘘を無理矢理言わされた」証拠として扱う不当性の話をしています。
>これは、事実認定の話です。
事実の判断は出来ませんので、回答もできません。
また、虚偽であるとも判断できません。

戦後60年位は、被害者や利害関係者が生存しており、感情的な問題で公正な議論は難しいと思います。その経過後に、今までの常識を覆す資料や意見が出てきても、不思議では在りません。
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この回答へのお礼

私の質問意図はタイトルの通りですよ。
「『死の軍団』が何故ヘスへの自白の強要の証拠になるの?」

繰り返しますが《『死の軍団』が》です。三日間の断眠は関係がありません。だって、西岡・木村をはじめとする日本でこの話題を出す否定者は、一切ケン・ジョーンズの話はしないからです。私は何事も隠し事しないために、ケン・ジョーンズ氏の話を質問に含ませただけです。

『死の軍団』には三日間について拷問の記述はないのです。だから言ってるんです、なぜ自白の強要の証拠になるのか? って。

なのにあなたは、死の軍団とケン・ジョーンズの話を勝手に混ぜてます。それは私の質問の意図するところではありません。しかしあなたは論点ずらしを続けるのでやむなく、その話に応じただけですよ?

繰り返しますが、三日間の断眠は《私の質問意図》には無関係です。

あなたのような人間にはほんとに腹立たしいので、以降は返事しません。質問に答えられないのなら回答しないでください!

お礼日時:2021/05/20 15:34

>最初の飲酒+三日間の断眠が耐えられない拷問であるとの


>証拠を何一つ示してませんね。
はい。論点が明確になりました。
これは証拠の問題ではなく、判断の問題です。
この事実を拷問と考えるのか、拷問では無いと判定するかの話です。
(ここで言う事実とは文章の事。実際に存在したという事ではない)
私は拷問と考え、貴方は拷問では無いと考えていると言う事です。
それ自体は違っても、何の問題もありません。
事実に対して、どの様に感じるかは人それぞれです。当然です。

つまり、次に行うことは事実に対して、どう判定を決するのかと言う事であり、議論は終了です。法律カテゴリにでも出して、下記の状況が拷問であるかどうかを判定して貰い、皆さんの意見を聞いたら宜しいと思います。
------------------------------------------------------------------------
「かなりの量のウイスキーを喉に流し込まれ、眠るたびに突いて、3日間寝ずに3泊した後、自白をした」
この状況を拷問と思うか、自白の内容は証言として採用可能か。
------------------------------------------------------------------------
以上、判断して貰えば宜しいと思いいます。

p.s.
もし、結果出る様でしたら、内容コメントへ追加して貰えれば有難いです。興味があります。
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この回答へのお礼

困った人だね。法律は私の専業なんだが。でもそれはプライバシーだし知識をひけらかすつもりはないのでしたくないんですけど。ま、しゃーない。

定義で言えば拷問です。

現代の基準から言えば、拷問による自白は不適切であり、証拠として採用されるべきものではありませんが、例外があります。

①拷問で得られた自白でも、本人が否定せず、弁護側からも何も異議が出されないのであるならば、証拠として採用することが可能です。
②拷問の程度にもよります。例えば極端な話、精神的拷問などという、非常に主観性の強い、つまり検察や警察はただきつい言葉を使っているだけなのに、被疑者の方がそれを精神負担に感じる場合などは、その拷問の内容について事実性が争われます。こうした場合に、拷問ではあるかもしれないが、一般的に禁止されるべき拷問であるとまでは言えない、という判定が下される場合があります。

①ヘスは自身の自白内容を裁判でも否定しておらず、弁護側も異議を主張しておりません。戦後裁判では多くの被告が無罪主張をしましたが、ヘスはそれをしませんでした。
②事実が争われますが、飲酒については「死の軍団」のみの記述であり、断眠についてはどこかの記事一つに書いてあっただけで、全く裏付けがありません。ヘスは自分で自伝に「アルコールと鞭が多きにすぎた」と書いているだけで、不当性も主張していません。断眠については一言も触れられていません。

またあなたは問題を完全に論点ずらしされておられますが、私が主張しているのは、否定派が『死の軍団』(のみでありフォーリソンが発見した記事を含まない)を「ヘスが拷問により自白を強要されており、嘘を無理矢理言わされた」証拠として扱う不当性の話をしています。

これは、事実認定の話です。バトラー本には事実と言えない箇所があることは、クラークが逮捕の指揮官でなかった可能性が高いという重大な指摘までしております。また完全に無視されていますが、リンク先が示した19章にはアウシュヴィッツでの女性囚人に対するガス処刑など、否定派に都合の悪い記述まであります。

なぜそうした都合の悪い部分には口を閉し、拷問自白の裏付け証拠すらなく、クラークが指揮官でなかった可能性が高いという記述の疑わしさまで根拠を示しているのに、『死の軍団』をその証拠とするのか。証拠になるならガス処刑の証拠にもなるはずですが。

お礼日時:2021/05/20 13:14

karin_september様。


ご苦労様です。


ヘスの「回想録?」について。

A:>ヘス自身の回想録は、極めて詳細かつ丁寧に虐殺の具体的な内容について書かれています。

その「回想録」は多分↓の経緯で書かれた「a」の方だと思います。


1946年
3月11日 ヘス逮捕。
4月 5日 供述書作成
11月   ヘス、手記「a」作成
     ヘスに死刑判決(日付は不明)

1947年
4月2日 ヘスの死刑確定

     ヘス、拷問を記述した「b」作成(?)

1947年
4月17日 ヘス処刑



B:>連合国に強要されて書かされたものであるならば、連合国に不利になる暴行の記述まで書かせた事になり、否定論的には少々辻褄が合いません。

Bですが↑の「b」だと思います。そして「書かされたもの」ではないと思います。

aとbの内容の違いについては、
司法取引や、ヘスが減刑を期待して自発的に虚偽の証言をした可能性 が考えられると思います。
     ↓
それが無駄になって、「b」で事実を語った。



【ホロコーストのガス処刑説の文芸学的分析の試み】(サミュエル・クロウェル著)
(1946年4月5日のヘスの宣誓供述書はすでに知られていたことを確認したにすぎない。

ー中略ー

11月、多くの宣誓供述書が用意さ れた。
これらは彼が裁判中やその後に作成したその他の資料と組み合わされて、彼の「自伝」として刊行されてきた。
これはすべて、ヘスに死刑判決が下されたのちに作成されたのだから、彼には嘘をつくか、真実を隠す理由はなかったとしばしば語られてきた。
これは正しくない。

ヘスが死刑を宣告されたのは、1946年12月27日以降のことであり、
彼がポーランドの刑務所でガス処刑についての詳しい話をした1ヵ月後のことである
(これは、それぞれイギリスとアメリカの刑務所で記録されている3月16日と4月5日の供述とまったく矛盾している。
だから、イギリスの尋問官、アメリカの尋問官、ポーランドの尋問官は、それぞれの思惑で尋問したのであろう)。

さらに、ポーランド人民法廷がヘスの死刑を確定したのは、1947年4月2日のことであった。
これは、彼の死の2週間前であり、彼の回想録が執筆された2ヵ月後のことであった。

さらに、この回想録やその他の供述書のなかの彼の主張を立証するような物的・資料的証拠はまったくない。
そして、この回想録は、内容に首尾一貫性がなく、 矛盾をはらんだ文書の典型であり、多くの明白な虚偽を含んでいる。

ー中略ー

にもかかわらず、回想録は、ガス処刑説のリアリティーを立証する「公式」資料として依然として再三引用されている。)


要約
1:ヘスの「供述」は、あらかじめ用意された内容を彼に「自白」させただけ。
2:各国はそれぞれの望む自白をさせたので、尋問した国ごとに供述が異なる。


3:供述の内容を立証する証拠はない。
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この回答へのお礼

ネタ元を書かないのはどうしてですか?これでしょ。あるいはこれの元ネタの歴史修正主義研究会か、はたまたこれを使用した別のページか。
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/sofia/sofia_s38. …

サミュエル・クロウェルなんてこっちからすれば失笑の人でしかありません。ゾンダーコマンドの写真のレタッチが、元々の写真に対して行われた単なる印刷品質向上目的のものだったことすら判断できなかったバカだから。

反論は別にしません。無意味だし、この蘭も足りないし、そんな手間もめんどくさいし。
否定派がヘスの証言を認めたら一気に否定論は崩壊で、あなた方が自我崩壊するだけの話ですからね。無理矢理にでも否定したくなる気持ちは当然わかります。
ヘスの回想録には問題がないことはすでにわかっている話です。
https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/ …

しかも相変わらず、カチンの森の嘘は放置だし。
----
>旧ソ連は「忠実にガス室を再現した」と言っている

そんな話聞いたことがありません。どうして否定派は嘘ばかりなの? 

>しかしニュルンベルク裁判では、ナチスが買収や脅迫でソ連に罪を着せようとした

ソ連のカチン審議の話は、ニュルンベルク裁判で他の連合国に蹴られて裁判で取り上げることすらできなかったのに、何でそんな話になるんですか? あなたほんとに嘘ばっかりですよ。
----

哀れだなぁ。能天気なだけどいうか。
どーせ画面の向こうでニヤニヤだけしてる人なんだろう
マウント取ることしか考えてない、みたいな。

ホロコースト否定の人にろくな人がいないことはとっくの昔に承知しております。本物のバカとそうでない人の分水嶺みたいなもので、まともな普通の人はホロコースト否定なんかしないんだよ。

なんでバカな人って地雷踏みたがるんだろ? それが知りたい。

お礼日時:2021/05/20 12:37

karin_september様。


ご苦労様です。

「死の軍団」の内容について。

No3へのお礼。
A:>冷静に読めば逮捕時以降の三日間に暴行があったという記述はありません。
  ↓
No4へのお礼。
B:>拷問がないなどとは一言も言っておりません。
  ↓
No5へのお礼
C:>その程度、正常でいることは「十分可能」でしょう。



苛められたという相談はありませんでした。
  ↓
苛めがなかったとは言っていません。
  ↓
苛め?あの程度はふざけ合いでしょ。

などと、取材ごとに見解が変わっており・・・
「ホロコースト否定の奇怪さ:『死の軍団』が」の回答画像6
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この回答へのお礼

Aは、『死の軍団』の「三日間に関する記述のみ」の話であり、Bは『死の軍団』の記述「全て」+ヘスの回想録やフォーリソンが発見した記事を含む「全て」、Cは別にそれを拷問でないとは言ってない。そのリンク先まで公開したのは私自身だよ。

という事で、見事な「あなたの捏造」ですね。

というわけであなたは私が以前指摘した通りの嘘つきのままであることをどんどん確定しています。

これはどうなったのですか?
----
>旧ソ連は「忠実にガス室を再現した」と言っている

そんな話聞いたことがありません。どうして否定派は嘘ばかりなの? 

>しかしニュルンベルク裁判では、ナチスが買収や脅迫でソ連に罪を着せようとした

ソ連のカチン審議の話は、ニュルンベルク裁判で他の連合国に蹴られて裁判で取り上げることすらできなかったのに、何でそんな話になるんですか? あなたほんとに嘘ばっかりですよ。
----

哀れだなぁ。

お礼日時:2021/05/20 12:10

>>フォーリソンはこの三日間の禁睡眠と、ヘスの手紙を検閲したことを


>>拷問と記載していたのです
この記述を見る限り、拷問があったと疑われても仕方ないと思います。
「三日間の禁睡眠」は拷問と思われる事項です。

参考URLで抜粋した文章ですが、
>では問題です。一体この記述のどこに拷問の記述があるのでしょう? 
>候補を以下にいくつかあげます。
ここで指摘した文面を見れば、拷問であり暴行を行われたとなります。
(ただし、この指摘した文章が事実であるか嘘であるかは別です。)

質問者様は、この文面を引用して、反論していますが、この指摘された文章を見る限りでは、拷問と暴行はあったと判断するのが、適当と思います。

>>ホロコースト否定者の思考形態というか、
>>一体何をどう考えたらそうなるのか、わけがわからないのです
「ウイスキーを喉に流し込まれた」「三日間の禁睡眠」このキーワードから拷問を推測します。逆に、貴方はこの様なことをされて、正常で居られますか?
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この回答へのお礼

あなたは、徹底的に私の質問意図を無視されますので、やむを得ず普通に答えますが、その程度、正常でいることは「十分可能」でしょう。

https://jp.bitterwinter.org/torture-by-sleep-dep …
この李さんは、ただ眠らせられなかっただけでなく、厳しい取り調べを受け、暴行も加えられましたが、精神錯乱を来したものの23日間は耐えており、結果「尋問で何も聞き出せなかった」とあります。

https://wired.jp/2009/05/01/%E3%80%8C180%E6%99%8 …
こちらにあるのは、180時間、つまり約一週間です。これを「米中央情報局(CIA)の尋問者が、テロの容疑者を7日半の間ずっと眠らせないでおくことは無問題だ」と主張したそうです。

https://www.phantaporta.com/2018/10/blog-post1.h …
こちらでは、スターリン政権下「17日間、食事や睡眠を取ることを許されませんでした」とあります。

まだ証拠要りますか?
ヘスは最初にウィスキーを飲まされた上で、三日間眠りそうになったら、衛兵に突かれて起こされただけでした。書いてある内容が事実であるならば。

あなたは回答者なのですから十分解答欄があるのに、最初の飲酒+三日間の断眠が耐えられない拷問であるとの証拠を何一つ示してませんね。

私自身実際に、相当酔っ払った宴会の後、4日眠らずに仕事した経験がありますけど、きつかったですけど、仕事も無事、私もなんの問題もありませんでした。
なお、アルコールが睡眠を妨害する性質があることはよく知られています。寝付きはいいけど、眠りが浅くなるって、常識ですよ。

というわけで、次回、特に意味のない回答をされるのであれば、以降無視します。どうしてあなた方はいい加減なことばかり言うのか、をいい加減な人に聞いても答えがあるわけがありません。

お礼日時:2021/05/19 17:04

>>その上で、冷静に読めば


>>逮捕時以降の三日間に暴行があったという記述はありません。

ご指摘のURL資料には、下記の様に書かれています。
これは普通に拷問ですね。暴行しないから拷問は無いは酷い理屈です。
>私たちの仕事は、彼が眠るたびに突いて抵抗を解くのを助ける
>ことでした」とジョーンズ氏は言った。
>運動のために外に連れ出されたヘスは、厳しい寒さの中、
>ジーンズと薄手の綿のシャツだけを着せられていた。
>3日間寝ずに3泊した後、ついにヘスは心を折られ、
>当局に全面的な自白をした。

>『死の軍団』の記述は怪しげな情報でしかないのです。
ならば、最初から冷静に読む必要もありません。
『死の軍団』の虚偽性を指摘すれば良いだけです。
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この回答へのお礼

あの、申し訳ないですが、拷問がないなどとは一言も言っておりません。質問にこう書いています。

>フォーリソンはこの三日間の禁睡眠と、ヘスの手紙を検閲したことを拷問と記載していたのです

私は包み隠さず(リンクまで示しています)全部言っております。しかし、あなたもご承知の通り、それは『死の軍団』の記述ではありません。ところが、私が示した「ホロコースト否定者が嬉々として『死の軍団』をヘスへの自白強要説の証拠として使っている」リンク先の一つではこう書いています。

「Hoess氏を捕まえたBernard Clarkeという英国軍人が、Butler氏に、自白させた手法と経緯を、得意げに語った。「三日間の拷問によってやっと整合性のある告白を引き出すことができた」と。」

これは、推測ですが、西岡昌紀または木村愛二の文章からの引き写しだと思われますが、何にせよこれはウソです。三日間の拷問はバトラーの本には書いていないからです。クラークは本でそんなこと語ってません(語ったとすら書いてませんが、語ったとすれば)。

私が言いたいのは、質問に書いてあるとおりで、どうしてホロコーストを否定する人はこんな思考なのか? です。あまりに言ってることがいい加減すぎるでしょ? いいですか、ヘスの証言がウソならば、ホロコースト全体がひっくり返るほどの大事件ですよ? それほどの大事なのに、なんで否定者はこんなにいい加減なのですか?

たとえ三日間の薄着での断眠が拷問だったと認めるとして、ヘスが嘘を言わされたとか、言ったとか、どっこにも書いてません。拷問したら必ず人は嘘をつく法則でもあるのですか?

繰り返しますが、私が知りたいのは、ホロコースト否定者の思考形態というか、一体何をどう考えたらそうなるのか、わけがわからないのです。単純に、バカなんですか?

あなたも質問や私の言ってることを真剣に読まず、適当に回答しすぎじゃないですか? どうしてちゃんと読まないんですか? 私をバカにしてるんですか? 非常に腹立たしいのですが。

お礼日時:2021/05/18 23:32

この記述が拷問ではない、問題ないと判断する事が問題です。


普通3日やったら理性は無くなるでしょう。
>毛布をかけられ、クラークの車に引きずり込まれたヘスは、
>軍曹にかなりの量のウイスキーを喉に流し込まれた。
>そして、ヘスは眠ろうとした。
>クラークは、警棒を男のまぶたの下に突き刺し、ドイツ語で命令した。
>「豚は目を開けてろ、豚ども」
ユダヤ人に酷いことをした人間だから、その程度の事は仕方がないという偏見が、ご指摘のURL資料には見られると思います。

(参考資料)
http://www7.plala.or.jp/nsjap/marco/index.html
ナチ「ガス室」はなかった。
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この回答へのお礼

問題ないと言っているのではありません。
て言うかそんなこと何の問題にもしていません。

1.これはルパート・バトラーというジャーナリストが書いた本であるが、クラークにインタビュー聴取したのかノートでももらったのかそれすらわからない。
2.何にせよ、伝聞情報に過ぎない

要するに、全く裏が取れていない、『死の軍団』の記述は怪しげな情報でしかないのです。(逮捕時の指揮官はクラークでなかった可能性が高いということも示してますよね?)

その上で、冷静に読めば
逮捕時以降の三日間に暴行があったという記述はありません。

普通は、取調べ時に拷問で口を吐かせる、という姿を想像しますが、そんなこと書いてないのです。

私が言っているのは、否定派が『死の軍団』をヘスの自白強要説(嘘の自白を強要したというもの)の証拠にしていることです。

否定派は、ホロコースト肯定証言を厳しく糾弾し、少しでも間違いがあったり、あるいは肯定証言そのものを証言だからというだけの理由で、証拠採用を却下していたはずです。ところが『死の軍団』はその証言ですらなく、三日間の拷問すら書かれていないのですよ? なぜ肯定証言を厳しく審査するのに、否定側に有利な証拠ならそんなに甘いのですか? 明らかにこれはダブルスタンダード以外の何者でもありません。

あなたが弁護士だとして、裁判で、これが自白強要の証拠だ!と言って、『死の軍団』だけを証拠提出して、それで立証できると思いますか? そんなの相手にもしてもらえないと思いますよ。

正気の沙汰とは思えません。

お礼日時:2021/05/18 15:37

まずNo1様に同意。




この回答では以下の用語を使用します。
正史派→ホロコースト肯定。
修正派→ホロコースト否定(差別や迫害した事は認めている)


ヘスの自白についてあなたが引用しているサイトの内容について。

https://note.com/ms2400/n/nf745ff87950b
(イギリス軍の制服を見ただけで、ヘスは恐怖の声を上げた。
 クラークは「お前の名前は何だ?」と叫んだ。

 彼が「フランツ・ラング」と答えるたびに、クラークの手が囚人の顔にぶつかった。それが4回目になると、ヘスは折れて自分が何者かを口にした。

 この告白は、ヘスが署名した命令に従って両親をアウシュビッツで死なせた逮捕部隊のユダヤ人軍曹たちの嫌悪感を一気に解き放った。

 囚人は最上段の寝台から引き剥がされ、パジャマは体から引き剥がされた。そして、裸のまま惨殺台の一つに引きずり込まれ、クラークには果てしない打撃と悲鳴が聞こえてくるようだった。

 結局、医務官は大尉に「死体を引き取りたくなければ、彼らを呼び戻せ」と促した。

 毛布をかけられ、クラークの車に引きずり込まれたヘスは、軍曹にかなりの量のウイスキーを喉に流し込まれた。そして、ヘスは眠ろうとした。

 クラークは、警棒を男のまぶたの下に突き刺し、ドイツ語で命令した。「豚は目を開けてろ、豚ども」)


>四発殴った
>暴行を加えた、程度のもの
  ↕
果てしない打撃と悲鳴
死体を引き取りたくなければ、彼らを呼び戻せ


そのサイトの管理人は他のサイトでも同様の事を語っています。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
(拷問といっても、ただ単に三日間眠らせなかっただけなのです。おそらく、眩しい光だとか轟音も使わず、同じ独房にいた英軍兵士に、眠りそうになると突っつかれて寝ないようにされていただけです。
そして、三日目になってやっとヘスは「自分の口から」具体的な罪の内容を自供し始めるのです。

これのどこが拷問により無理矢理自白させられた、なのでしょうか?

むしろ本人の自らの意思で喋るように持っていっただけにしか見えないのですが。
確かに断眠は拷問には入りますが、たったの三日ですよ?)



以上の内容ですが、あなた達が「修正主義者」と呼んでいる人達の主張と同じであるように思います。

【ニュルンベルク: 消えざる犯罪(訳:NSJAP)】(著エルンスト・ツンデル)
( 私たちには今、『死の軍団』という本がある。この本の中では、ルドルフ・ホェスが拘留中、死ぬほど殴打されたことが記されている。彼を殴打したのはイギリス警察に属するユダヤ人であった。彼らは殴打後も、ホェスが悲しい「証言」、「陳述書」を書くまで拷問を続けた。そしてこの証言が、連合国宣伝部によってその後ずっと用いられたのである。以下にルパート・バトラーによる『死の軍団』からの抜粋を示そう。判断するのはあなたである。

「1946年3月11日午後5時、ホェス夫人は玄関のドアを開けて6人のイギリス軍服を着た諜報員を中へ入れた。彼らは皆、背が高く、高圧的で、容赦ない訊問を行う技術を身に付けていた。

家族には身体的暴力はほとんど加えられなかった。必要なかったのだ。夫人と子供は引き離され、それぞれに護衛が付いた。クラークの声音は意図的に低く、くだけた調子を響かせていた。

彼は穏やかに話し始めた。『ご主人は昨晩あなたに会いに戻られましたね。』

ホェス夫人はすぐに答えた。『私はこの数か月主人に会ってはおりません。』

クラークはなおも穏やかながら、非難の調子を込めてもう一度言った。『そうではないでしょう。』それから彼の態度は豹変し、彼は叫び始めた。『もし言わないのなら、お前をロシア人に引き渡すぞ。ロシア人はお前に一斉射撃を浴びせるだろう。お前の息子もシベリア行きだ。』

これは効き目があった。とうとうホェス夫人は力尽き、夫の所在を明かした。元アウシュヴィッツ司令官ルドルフ・ホェスは、フランツ・ランクと名乗っていた。同じ脅迫が息子・娘にも行われ、夫人と一致する証言が得られた。

ホェスを捜し出した時の模様について、クラークは鮮明に回想している。

『ホェスは新しい絹のパジャマを着て、三段ベッドの一番上に寝ていた。後に分かったことだが、彼はナチス指導者の大半が持っていた毒薬を失くしていた。また彼はそれを使うチャンスもなかった。なぜなら私たちが、彼の口に懐中電灯を突っ込んだからである。』

ホェスはイギリス軍服を見ただけで、恐怖のあまり叫んだ。

クラークは言った。

『お前の名前は何だ?』

ホェスが『フランツ・ランク』と答える度に、彼はその顔を殴りつけた。それが4度続いた後、ホェスは自分の正体を認めた。

その場にはユダヤ人外科医もいたが、ホェスが正体を明かすやいなや、彼は嫌悪感を抑えられなかった。彼の両親は、ホェスが署名した指令によってアウシュヴィッツで殺されていたからである。

ホェスは三段ベッドから引きずり降ろされた。パジャマは引きはがされ、彼は裸のまま取り調べ机へ引きずって行かれた。殴打と叫びが長く続いた。

とうとう医療班長が訊問リーダーに言った。『殺したくなければ、もうやめさせて下さい。』

ホェスには毛布がかけられ、クラークの車まで引きずられた。そこで外科医は彼の喉に大量のウィスキーを流し込んだ。その後ホェスは眠ろうとした。

クラークはホェスの目を棒でつつき、ドイツ語で命令した。『起きていろ、豚め。』

彼らはハイデに午前3時頃に戻った。雪はまだ吹雪いていたが、ホェスは毛布をはぎ取られ、真っ裸で独房まで歩かされた。彼から一貫した証言を得るまでに3日かかった。」

このように拷問と脅迫で得られた証言が、私たちがよく知っている「ユダヤ人をガス室で殺した」事件の証拠となっているのである。 )


同じ事実を共有しているのに、なぜ正史派と修正派は対立しているのでしょうか。
「ホロコースト否定の奇怪さ:『死の軍団』が」の回答画像2
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この回答へのお礼

あなたが述べたカチンの森に関する嘘はどうなったのですか? 嘘じゃないのであれば、根拠を示して証明してください。

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>旧ソ連は「忠実にガス室を再現した」と言っている

そんな話聞いたことがありません。どうして否定派は嘘ばかりなの? 

>しかしニュルンベルク裁判では、ナチスが買収や脅迫でソ連に罪を着せようとした

ソ連のカチン審議の話は、ニュルンベルク裁判で他の連合国に蹴られて裁判で取り上げることすらできなかったのに、何でそんな話になるんですか? あなたほんとに嘘ばっかりですよ。
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なお、あなたはただ同じ箇所を引用している文を引用しているだけなのですが。あなたは何も考えていないのでしょうか?

お礼日時:2021/05/18 15:42

私が知りたいのは、根本的にはホロコースト否定者の


思考ルーチンだったりしますが、ほんとによくわからないのです。
 ↑
戦争によって、最初に犠牲になるのは
なにか。
兵士でも、女子供でもない。
最初に犠牲になるのは「真実」である。

そういう訳です。

決定的な物証が無ければ、存在したか否か
判りません。

こう考えるのが科学的な態度ではないですか。

存在したか否か判らないなら、ハッキリするまでは
存在しなかったモノとして扱うべきでしょう。
無罪推定の原則です。


質問者さんが掲げているのは供述証拠
に関するものばかりです。

供述証拠は、物証で裏付けられないと
あまり信用できません。

人間はウソを言うし、間違えることも
あるからです。

だから先進国になれば自白はあまり
信用されなくなるのです。
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