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武家政権時代の日本に於ける「将軍」という立場は、軍事的にも政治的にも経済的にも頂点の存在だった権力者でしょうか?
今の内閣総理大臣や摂政関白などよりも権力の幅が広かったでしょうか?

gooドクター

A 回答 (5件)

征夷大将軍ですから左大臣や右大臣より下でしょ。

でも力があるので単なる形式に過ぎないけどそれで一応朝廷とのバランスを取っただけ。
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その時代の将軍は、つまり「武家の棟梁」ということ。


時代は武家政権なのだから、これは事実上日本のトップになったと見なすことができる。

言い換えれば「朝廷から国家権力を委託された身」。
それは内政面外交面軍事面経済面と、あらゆる分野に及ぶ。

今の日本とは比較できない。

今の日本は、日本政府が国権を総覧する中央集権国家である。

江戸幕府はそうでなかった。
江戸幕府は各藩に対し懲罰を行い動員令を発することはできた。
しかし内政に関与することはできなかった。
どういう内政をするか、どういう税金体形にするか、・・・
それは完全に各藩に任されていた。
つまり藩は独立国だったのである。
幕府は現在で言えば国連のような存在、ただし独自の財源を持ち独自の軍隊を持ち主権国家に対し強制力を持つ国連である。

国の制度がまるで違っていたのである。
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必ずしもそうではない。

将軍は、武家政権の象徴として有力者から祭り上げられていたのが実態。だから時として好都合な人物を擁立しようといて派閥抗争も起きた。典型例が将軍継嗣問題と言われる一橋派と南紀派の派閥抗争。まあ権力闘争といえば権力闘争だわな。南紀派の勝利で権力を握ったのは井伊直弼であった。権力争奪戦の勝利者の象徴を権力者というかな。
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将軍職は世襲。

優れた人物が就任するわけではない。
だから実際の政務は老中など補佐官が、公家政権時代の摂政関白と同じような役割を担って政務を取り仕切ることが多かった。
将軍も、形式的には頂点でも、実権は別人と云う方が多かったということだ。

今の日本も国家元首は天皇で、内閣総理大臣は天皇が任命している。形の上では武家政権時代の将軍は、今の天皇と同じだ。ただし、創業者である家康や綱吉、吉宗など有能な将軍は老中達の先頭に立って実質的に権限を主導した事例もないことはない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、、
徳川家康公が「神君」と祭り上げられたように、将軍を頂点にして朝廷の公家政治の様な事が行われていたのですね。

お礼日時:2021/05/17 09:50

武家政権時代の日本に於ける「将軍」という立場は、


軍事的にも政治的にも経済的にも
頂点の存在だった権力者でしょうか?
 ↑
そうです。
権威的には天皇がトップでしたが
立法、行政、司法のトップでした。



今の内閣総理大臣や摂政関白などよりも
権力の幅が広かったでしょうか?
 ↑
内閣総理大臣などは行政のトップに
過ぎません。
まあ、事実上立法にも大きな影響力を
持っていますが、
司法については、任命権はあるが、それ
以上タッチ出来ない、ということで大きく
制限されています。

摂政など、今の日本では滅多に設置されないし、
されてもただの飾りです。


これに対し、将軍は事実上のオールマイテイ
です。

だから、老中制度を作って、独裁にならないように
したのです。
その老中も、大藩の領主はなれない、という
ことで権力の集中を防止していました。

江戸奉行を南北に分けていたのも、
権力を分立して、独裁の弊を防止するためでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
将軍に権力が集中しすぎた故に、それを分散させるような政治構造が当時からあったのですね。
三権分立下の内閣総理大臣は大した権力などもってませんね。

お礼日時:2021/05/17 09:49

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