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1. ひとは 人の――おのれの――自然本性を見よ。
 
2. ひとは 《全ての悩みからの解放が成った存在》として しかも同時に 《全ての悩みを背負い得る存在》として 生まれて来る。

3. あなたの悩みは すべて 過去の人びとや現在における周囲の人びとの悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆがみによって 悩みをたくわえるようになった そのような他人の悩みを―― 内面に引き受けて 成り立っているものです。

4. 自分もウソをついたなら 自分の悩みをも負っています。

5. 世界中のあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いたのではないでしょうか。



6. この悩みは 残留放射能のようであり すぐ直ちには 消えません。消えませんが 時として 何ものかによって 覆われ包まれ癒されてくるようにもなります。

7. いわば人びとの悩みを そのような人たちは 《アース(接地)役》となってのように 引き受けたのではないか。すでに癒されていたからでしょう。

8. ひどい言い方をすれば ごみ処理場です。色をつけて言っても ごみ清浄化再活性化工場なので この世の屑だとも言われています。

9. この現状 この動態としての過程 これで すでに 完全な解放は成っています。

10. じつにすでにすべての解放と自由とは成っています。心配は要りません。

11. たしかになお かつての悩み癖が消えないかのごとく 思い思いの心配をすることはあります。たとえば 心にシミ・ソバカス・ホクロなどの母斑が残っているのではないかというたぐいの心配です。

12. ですが やがて この悩みにかんしても しかるべきものはしかるべく消えて行くでしょう。

13. 社会の三分の一の人たちが 連帯して ゴミ処理工場を引き受ける情況がやって来たときです。つぎの三分の一がそれに加わらないけれど 共感し のこりの三分の一が ゴミの――人間の恨みや蔑みといった心のゴミの――排泄専門の・一般におえらい方がたです。三つ目のは アース役に対するに ガミガミ役です。
 
14. そうなったときには いまの昔をなつかしく感じることでしょう。

15. ――という法螺を吹きたくなりますよね。どうですか?

A 回答 (7件)

今週は立ちくらみがしたり、だったりで


対中が苦しいのですが、構成、労働酒じゃなくて防衛省でワクチンの大規模摂取の主導権は
ラインというカンッ区のアプリを使っていたり、
モデル名を使うか塚の判断も厚生労働省よりも早いのですね
こういうだいきぼせっしゅのは菅首相が判断したんで酒家
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この回答へのお礼

ワクチン。必ずしも注意深くニュースを読まなくなっています そう言えば。


ただし 従来型のワクチンが 変異株のいづれにも 二回接種で90%以上の効果があるという調査結果が出たとか。――これをつい最近読んだことがあります。

お礼日時:2021/05/17 22:31

しかし難しいね。

総合力国語力が必要。私のnoteに下書き書いたけどね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ 自然本性
☆ があんがい 面倒でしょうかね。

なんとなくでいいと思って そうしています。


あとは かんたん・単純だと思うんですが。

アース役になることの免疫力がついたら もうお医者さんにかかることはなくなります。

医療費が半減したら 財政再建に打ち込めます。

――というような話です。

お礼日時:2021/05/18 08:55

俗に言う『業(宿業)』のような話しですね。



全ては、『依正不二』ですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


そうですね。ブディズムは 抹香臭いという一面がありますからね。

★ 『業(宿業)』
☆ をひっくり返す話ですね。《三変土田》でしょうか。


★ 依正不二
☆ の《正報》が 自己自身であるとき それは《根っ子 と 上っ面》との両面に分かれます。クリスマスツリーの樅の木とデコレーションとです。

樅の木(=自然本性)は あまり《依報――環境・社会――》の影響を受けないでしょう。そのかぎりでは 依正不一です。

あたらしい正報が――あたらしい主体が―― ふるい依報を変えて行きます。


そうではないでしょうか?

お礼日時:2021/05/18 09:08

考えることを辞められないのは、自分と世界との折り合いが一生、人間はつかないからです・・・。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


おっしゃるとおりだと思います。

そして もしもう一面があるとしたならそれは:
★ 自分と世界との折り合いが
☆ どういうわけか 完全についた人の場合です。


そういう人は わざわざ好き好んでにしろ・あるいは いやいやながらも結局にはコミットしてしまっていたというかのようにして 他人(ひと)の悩みを 公然とまたは隠然と 自分の生きる道の中に受け留めて よっしゃ任しとけと言わんばかりに引き受けるというおせっかい屋の場合です。


そういうバカ族は 社会の一員として生きる資格があるでしょうか どうでしょうか。

お礼日時:2021/05/18 17:57

#4



自分が折り合いがつかないのは、自分以外の世界に限ったことではありません。

自分と自分にも折り合いがつかないのです。

人間が有限の命である理由は、生物学的な理由はありますが、来世というのは、天国と言う世界はないのでしょうね。

永遠に生き続けたら、それは、地獄と変わらない。

神がいるのかどうかも、わかりませんが。多分、いないのでしょうね。

大体、神がいたとしても、個人的なご利益のために神がいるとは到底、おもえません。
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この回答へのお礼

★ ~~~
自分が折り合いがつかないのは、自分以外の世界に限ったことではありません。

自分と自分にも折り合いがつかないのです。
~~~
☆ そのとおりだと思います。

和解は 世間との和解のほかに なかんづく自分自身との和解が必須でしょう。

こころがやわらがしめられるという体験です。

ほかのところで 和解=魂鎮め。そのためには魂振りが必要だと 古来日本人は捉えていたようです。眠ったままではダメで 揺り起こさなくてはと。


★ 人間が有限の命である理由は、生物学的な理由はありますが、来世というのは、天国と言う世界はないのでしょうね。
☆ 分かりやすい普及版として持たれていた。


★ 永遠に生き続けたら、それは、地獄と変わらない。
☆ まだ百数十年が限界なようですから どうでしょうね。



★ 神がいるのかどうかも、わかりませんが。多分、いないのでしょうね。
☆ 知り得るか知り得ないか それが――人間の知性には――知り得ない。



★ 大体、神がいたとしても、個人的なご利益のために神がいるとは到底、おもえません。
☆ でも しあわせになることは いいことだと思います。現世利益だと言われても。

神は 生きる人のためにある のですから。(出典は 聖書ですが・・・)

お礼日時:2021/05/18 21:38

来世って、人間が決められる話ではない、超自然?のような話題ですが。



そもそも、人智の及ばないところで、我々は意識が芽生え、人智の及ばないところで、人生の悲喜交々を繰り返し、人智の及ばないところで死す。

ですから、人智の及ばないところで、次の生を迎えるとは、条理には合っているのかもしれないですね。
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この回答へのお礼

★ 来世って、人間が決められる話ではない、超自然?のような話題ですが。
☆ ですね。


★ そもそも、人智の及ばないところで、我々は意識が芽生え、人智の及ばないところで、人生の悲喜交々を繰り返し、人智の及ばないところで死す。
☆ たしかに 病気や事故で死ぬのではなく 寿命で死ぬのだという超科学的な命題がありますね。

あとはやっぱり ヒラメキの話になるでしょうか。

 感じる=感性の原野
 考える=思考の緑野
 ーーーーーーーーー
 信じる=非思考の庭 ⇒ ヒラメキ




★ ですから、人智の及ばないところで、次の生を迎えるとは、条理には合っているのかもしれないですね。
☆ というより それでしたらいっそのこと 《信じる=非思考の庭》にあっては すでに《いま・ここ》で・つねに 神の国にある・・・かも分かりません。

お礼日時:2021/05/18 21:58

#6



閃きを問題にされましたが。

確かに、内なる自分が考えているように散見されます。ですので、閃くことは全て、自分の心中が決めている啓蒙なのか、

天から、閃きを授かって、天啓を起こしているのか。

どちらなのか、どちらでもあるのか。

どうも、哲学というのは、中世、近代、現代と移り行くことで

神の軛を人は離れて・・・・・。

天啓なのではなく、啓蒙としているみたいなのですが。

一抹の不安もあります・・・・。神仏なき、現代思想というものに・・・。

どんなに科学が進んでも、人間の頭で問題を出しても、科学では解けない問題も出てきます。
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この回答へのお礼

★ 閃きを問題にされましたが。
☆ 確かに。

★ ~~~
確かに、内なる自分が考えているように散見されます。ですので、閃くことは全て、自分の心中が決めている啓蒙なのか、

天から、閃きを授かって、天啓を起こしているのか。

どちらなのか、どちらでもあるのか。
~~~
☆ 自分の意志や思考からは程遠い内容であった場合 とうぜん天与のヒラメキなんでしょう。

思考中の主題や問題について思考の延長線上に現われるようなヒラメキは 人為的な要素が入っているかも分かりません。



★ ~~~
どうも、哲学というのは、中世、近代、現代と移り行くことで

神の軛を人は離れて・・・・・。

天啓なのではなく、啓蒙としているみたいなのですが。
~~~
☆ I.カントが 《物自体》というお化けのようなワケの分からない概念を編み出したからだと思っています。

 《非経験の場》:信じる=非思考の庭 ⇒ヒラメキ
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー:《物自体》
 《経験世界》 :考える=思考の緑野
   〃    :感じる=感性の原野
 
 
物自体は 《物》であるかぎり経験事物なんです。ところが 人間の知性の認識し得ない何かとして規定しているので あたかも《非経験の場= 神》のごとくにもなっています。

別様に言うならば 物自体を地上の国と神の国との間に勝手に滑り込ませたことで 経験世界だけを扱っていれば――物自体を据えているからには 神を蔑ろにしないというアリバイが出来て――すべて済むこととなったのだと。


それゆえ 次のうれいが生まれていると 自信を持って言います。:
★ 一抹の不安もあります・・・・。神仏なき、現代思想というものに・・・。


★ どんなに科学が進んでも、人間の頭で問題を出しても、科学では解けない問題も出てきます。
☆ カントの亡霊は まだ《活きて》います。

お礼日時:2021/05/18 22:27

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