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 終戦時、満州に駐留していた関東軍兵士はソ連軍によってシベリアへ連行されたうえに、数年にわたって強制労働させられました。その数は60万人とも言われていますが、逆に、連行されずにすぐ帰国できた兵士はどのくらいいたのでしょうか? また、彼らの運命の岐路はどこにあったのでしょうか? 兵役経験者の方、知識としてご存知の方、よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

私の父は、終戦当時、少年兵でしたが、


「民間の難民になるよりは、戦争捕虜になった方が、
 生還できる可能性が高い。」
と言う噂を信じて、年齢を偽り、満州でソ連軍に投降しました。

その結果、「シベリア抑留で強制労働」でしたが、
1年くらいで、意外に早く帰国させられます。

と、言うのも当時のソ連では、
「捕虜に対する扱いが悪い」
という国際的非難を受けて、
「まず、未成年から帰国させろ!」
という決定がなされたそうです。
(偶然、父の目論見は当たりました。)

終戦後も捕虜を解放せず、
「長期に渡って労働させる」
と言うのは犯罪ですが、
ソ連もそれを非難される度に、
段階的に帰国させています。

どういう基準で順番をつけて帰したのか?
詳しくはわかりませんけど。
一例として、参考までに。
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この回答へのお礼

なるほど、未成年だったお父さんはすぐに帰ってこられたんですね。ソ連の思惑もいろいろあったようですね、参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/02/26 22:05

ANo.3 の補足


下記URLを参考に
http://www.terra.dti.ne.jp/~akimasa/html/itidaik …
「軍人狩り」「男狩り」を行って手当たり次第に日本人を無理やり連行した。と表現されています。(朝鮮人も抑留されました)只々労働力が欲しかっただけです。

参考URL:http://www.terra.dti.ne.jp/~akimasa/html/itidaik …
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この回答へのお礼

兵士以外も多くの日本人が連れて行かれたのですね。HPにも行ってみます。回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/26 22:19

ソ連はシベリア開発に労働力(只の)が欲しかった。


私の義父が抑留経験者でした。義父は海軍予科練出身で朝鮮の元山航空隊で終戦を迎え、未成年でしたがシベリヤに2年程抑留されたそうでした。抑留中、反抗的な者がずいぶん殺されのを見たそうです。
りょうりょうの悪いもの、運が悪いもの、ソ連にとって使えるものが、貧乏くじを引いてなかなか帰れなかったとしか言いようがないみたいです。(軍人だけでなく民間人も抑留されました)
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この回答へのお礼

強制労働だけでなく、もはや「虐殺」的行為まであったのですね。戦後にもかかわらず、このような暴挙は許せないと思います。回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/26 22:14

>らの運命の岐路はどこにあったのでしょうか


満州国官僚がソ連に対して.「おまえたちが残るか.兵を残すか」の質問に対して.官僚である「私たちはすぐに帰りたい。兵士はソ連に任せる」と返事をしましたので.日本兵のシベリア抑留が決定されました。

満州国官僚で歩かないかが.分かれ目です。
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この回答へのお礼

満州国官僚ですか……彼らはのこのこと帰り、60万の日本人がシベリアへ。ひどいもんです。回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/26 22:09

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