色彩を教える人になるための講座「色彩講師養成講座」の魅力とは>>

織田信長は 柴田勝家に 一目置いていたようですが、その理由は、
勝家が 念者(男役)、信長が 若衆(女役)の、衆道関係にあったことがあるからでしょうか?

当初、勝家は 信長の弟の 信行(信勝) と 衆道関係にありましたが、
織田家中の実力者の勝家を、信長が 信行(信勝)から 寝取ったのでしょうか?

gooドクター

A 回答 (2件)

戦国時代ですからね。


衆道はおかしくはありません。
しかし、信長と勝家にそのような関係があったとは言われてないですし、考えにくいものです。
大体の場合、主君が若衆役になることはないでしょう。
そして若衆役は小姓が務めるものです。
前田利家や万見仙千代などですね。

信長と勝家は元々敵対していましたが、勝家が有能な部将であることは信長も理解していました。
だから敵対していても許したのでしょう。
(稲生の戦いで、信行が暗殺された事件)
その後、元々譜代である勝家は佐久間信盛に次ぐ二番家老となり出世していきます。
佐久間信盛は後に信長によって追放されましたので(自分で出奔したとも)順当に筆頭家老になり北ノ庄城を任せられるようになったのです。
つまり、信長に必要な力だったから一目置いていたのでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

詳しくありがとうございました。
勉強になりました。

janyiさん も
詳しくありがとうございました。
勉強になりました。

お礼日時:2021/06/02 21:24

織田信長は衆道には興味をもちません。


勝家は織田家の古い家老です。
弟信行の家老に命じられ(母親の指示で)、彼を本気で
織田家の棟梁にと動きました。
しかし信長は仮病にことよせ信行を暗殺します。
その時信長は勝家を許します。
勝家は感激し、本気で信長に仕えます。
信長の母親は信行を愛し、彼を織田家の棟梁にと考えたのが
騒動の発端です。
信長の父親の信秀は信長の幼少の頃より
信長を愛しています。
信長の事をしたければ、
司馬遼太郎氏の著書を読めばよく分かります。
司馬氏は史実を徹底的に調べた上に
著書をだしています。
司馬氏の想像の著書は
「梟の城」
「最後の伊賀者」
位です。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

gooドクター

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング