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卒論の構想発表が今月にあります。 ゼミは西洋美術史です。 画像の絵について質問です。イギリスの画家、ジョージ •フレデリック・ワッツの『time,death and judgement』という作品です。画面左方の男性が時を、右方の女性が死を表していて、背後の顔を隠した人物が審判を表しています。 この審判が何を審判しようとしているのかがよくわかりません。 後ろにいる天秤を持った審判が、手前の時と死の擬人化を審判しようとしているのか、 それとも、時と死の擬人化の後ろにいるから、時と、死のあとに、人間に審判が下る(生前の行いなどへの審判?)という普遍的なことを鑑賞者に伝えたいのか… というのが私の思いつく限りの考えです。皆さんならどう考えますか?鑑賞者への普遍的なメッセージの方で発表原稿を書こうとしていたのですがおかしいでしょうか。

「卒論の構想発表が今月にあります。 ゼミは」の質問画像

A 回答 (2件)

No.1です。

書き誤りに気づいたので、訂正します。失礼しました。
×さらに言えば、伝統的なヨーロッパ絵画では「死」は老人の姿で描かれるのに対して、
○さらに言えば、伝統的なヨーロッパ絵画では「時」は老人の姿で描かれるのに対して、
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美術史での卒論でしょうか。

美術史に限らず、卒論の構想というのは、まず「なぜこのテーマに取り組もうと思ったのか」=「このテーマに取り組む価値・意義はなにか」が必要でしょう。きっかけは「この絵が好きだったから」であっても、卒論のテーマとするときには「単なる好き」以上の理由付けが必要です。
その上で、そのテーマに関する「先行研究」、つまりこれまでの評価を調べます。既に誰かが述べていることを繰り返しても、卒論としての価値はないからです。
先行研究を見た上で、先行研究が指摘していない問題を指摘したり、先行研究の論点に修正や補足が必要であればそれをやる。
そういった手順を踏まえずに、「私はこう思う」では、本で言うところの読書感想文と同じです。美術品対象ならば、ブログのファンレビュー止まりですね。卒論になりません。
自分の解釈を述べる際にも、根拠をもって述べなければなりません。「そう感じるから」では根拠になりません。

ところで、この絵画には複数のバージョンがあって、有名なものだけでも3種類ある、というのはご存じですよね。質問者さんの質問でこの絵を初めて知った私でも、ものの数分でテートギャラリーの所蔵作品(これとはバージョン違い)の解説ページでそれを知ることができましたから。
で、バージョンによって背景の「審判」の描かれ方が少しずつ違っていることもご存じですよね。描かれ方が違うと言うことは、何を意味するのか。
あなたが質問文に添付してる画像のバージョンだけで論じるのか。それとも、全バージョンを探して比較して、論じるのか。

美術史関係の学生さんなら、西洋絵画における伝統的な図像学の寓意(アレゴリー)はご存じですよね。
「天秤を持ち、目を隠す女神」は、一般的には「正義」の寓意です。そこから、正義を司るとされる裁判所のシンボルに使われます。
また、西欧のキリスト教文化圏で「審判(judgement)」といえば、「最後の審判」です。ですが最後の審判は、一般的には「天秤を持つ女神」では表されません。
さらに言えば、伝統的なヨーロッパ絵画では「死」は老人の姿で描かれるのに対して、ワッツは青年の姿で描いています。

とはいえ、やはり「死」「時」ときて「審判」と来れば、やはり、人が避けることのできない終末、宗教的文脈では「最後の審判の日」を連想させるでしょう。
「生前の行いへの審判」とあなたが書いたのに近いですが、日本人の仏教的な発想(地獄の閻魔様的な)と、キリスト教の最後の審判は異なるものであることに注意しなければなりません。
私は美術史の研究者ではありませんが、美術史で卒論を書くならばこれくらいは常識かつ前提だろう、というのは見当が付きます。

絵画が意味するシンボルは、その絵画単独だけでは成立しません。特にヨーロッパ絵画では、伝統的な絵画表現の伝統が見る側にもあります(美術館に行かなくても、教会等で目にします)。そういう「歴史的・社会的に培われてきた絵画の見方」を踏まえた上での解釈を提示しないと、根拠のない「ただの思いつき」になってしまいます。
個人で楽しむ分にはどう解釈しようと構わないのですが、卒論という、まがいなりにも研究論文を書く場合はきちんと論じないといけないのです。
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