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質問です。

「好き」という情熱や熱心に取り組む姿勢って、いつか才能に代わっていけますか?

よく「好きだけじゃやっていけねえよ」っていうじゃないですか。

例えば、小説を書くのが好きだったとします。
「小説が書けるなんてすごいですね。そういう才能があるってことですよ」と褒められたとしても、自分では才能がある方だなんて一ミリも思っていません。才能云々の前にただただ好きで書いてあるだけだからです。

したがって、好きと才能って別々の概念だと思うんです。

要するに、「好き」は主観的。「才能」は他人から見た客観的な評価。ということでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

本当に才能があるなら、世間の評価とか、金になるとかならないとか、そんなの関係なく、死ぬまで続けるものだと思います。



死ぬまで何かを生み出し続けて、結局ろくなものは出来なかったって事例は、私はあると思えません。
そこまでの情熱と信念は「並大抵のことではない」ので、必ず「人並みではない」ものを生み出しています。それは誰しもに評価されるものではないし、お金になるものではないかもしれません。でも見る人が見れば「一生続けた者の、価値あるもの」に見えると思います。勿論どんな作者か知らなくても作品だけでわかると思います。
一生続ける人の情熱と信念を舐めない方がいいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

勇気を頂きました。

お礼日時:2021/07/28 00:51

好きこそものの上手なれ



後は熟練・根気・経験などの問題。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

それに尽きますね

お礼日時:2021/07/28 00:50

>いつか才能に代わっていけますか?


好きだから才能を伸ばせるってことも考えられると思う。
サッカーにしろ、野球にしろ、好きで熱心に取り組んだから
プロ選手になれる人が多いような気もしますけどね。
運動音痴な人はやはり無理かも知れない。

ただ、音楽や小説家、漫画家などは天性のセンスがある人の方が
伸びる確率は高い気もするけれど、努力を惜しまなければ普通の人
でも才能を開花することは可能だと思う。

なので、一概に「好き」と「才能」は別とは言い切れないと思うし、
才能が他人の客観的評価とは限らないと思う。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

自分次第ってことですね。

お礼日時:2021/07/28 00:52

おっしゃるように、好きと才能は別です。



私はギターを弾くのが好きで、小学生の時から50年近く弾いています。
確かにアマチュアの中ではうまいほうかもしれませんが、プロには遠く及びません。

主観的とか客観的評価とかはよくわかりませんが、私は「好き」と「才能」の関係を車のミッション(変速機)に例えます。

好きは継続の原動力です。小説でもギターでも、野球やサッカーといったスポーツでも、物理や数学といった学問でも、好きでなくては継続できません。

どんなに才能があっても、それに真剣に取り組み継続することができなくては花は咲きません。
だから、好きは才能以前の原動力です。好きだからこそ継続できるのです。

これは、車で言えばエンジンをかけ、ギアをローギアに入れて走り出すようなものです。
しかし、好きなだけでは、いつまでもローギアのままノロノロとしか走り続けることしかできません。確かに継続は力ですが、「モノになる」までに人生が終わってしまいます。

車を加速するためには、セカンドギア、サードギア、トップギア、オーバートップギアとギアチェンジしていくことが必要です。
オートマ車だって、あれは機械が勝手にやってくれてるだけで実際にはギアチェンジしているのです。

どこまでギアを上げられるか。それが才能だと思います。

ギタリストの場合、才能がある人はギターを始めて3年から5年でプロデビューしています。

50年弾いている私はいつまでも同じところをトロトロ走ってきたわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

比喩が分かり易くてスッと入ってきました。

お礼日時:2021/07/28 00:52

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