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【蒸気機関車】蒸気機関車の10~49がタンク機関車、50~99がテンダー機関車に割り当てられるルールで、このルールを定めた時の最初のテンダー機関車が「D50」だったので後継が「D51」というだけです。

質問:

なぜ日本初のテンダー蒸気機関車D50より電車マニアはD51が好きなのですか?

デゴイチばかり良く耳にします。

gooドクター

A 回答 (7件)

No.2さんがおっしゃる通り、日本の蒸気機関車で製造数が1番多かったからです。

D51形は昭和10年が製造初年で、その後第二次世界大戦が始まり、軍事物資の輸送が増大し、貨物輸送の増加に対応して増産された為、総計1115両の大所帯になったというのが理由です。D50形、製造初めの大正12年当時は9900形と呼ばれた同型式は、当時1番大型強力で、幹線の貨物輸送の増強に大いに役立ったそうです。主様がおっしゃるルールは、大正時代までは、型式と号機を同時に表現する、今の私鉄に見られる車輌の表示の方式でしたが、大正8年から製造した18900形の様に5桁にまでなり、型式を整理する為にそのルールが制定されました。(昭和になり、18900形はC51という型式になりました。)D50形が380両で製造が打ち切られたのは、昭和初期に起こった世界恐慌のあおりで国も予算が不足したからです。予算不足の為に当時の国鉄の新線建設は、1番安い簡易線の4級線で進められ、その線区に入線する為に、今も保存機が見られる、当時のC10形を小型化したC12形とテンダ機のC56形が作られました。この様に、鉄道の歴史もその時の時代背景が各所に表れています。
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この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2021/06/19 11:55

1.すでに回答があるようにD51は圧倒的な両数で全国的に活躍しました。


2.国鉄最後の貨物列車を牽引したのもD51で、D50が先に廃車されてしまいましたが、D51は最後まで残りました。(本当の最後は入れ替え用の9600形)
3.3重連で有名な奥中山(東北本線)、布原(伯備線)、矢立峠(奥羽本線)で活躍しました。
4.スタイルは個人の好みですが、D51の方がスマート。(でもD50もイイぞ)。
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幹線、亜幹線用貨物牽引蒸気機関車として、大量に生産された事。


蒸気機関車終焉期も、最後近くまで残っていた事から、子どもさんでもデゴイチの愛称で知られた人気機関車となったのです。

戦後、余剰になった貨物用蒸気機関車のボイラーとテンダーを流用。
足回りを旅客用に改造した蒸気機関車が、D50⇒C60、D51⇒C61、D52⇒C62なのです。

加太越えに挑むD51
「【蒸気機関車】蒸気機関車の10~49がタ」の回答画像6
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圧倒的な数量。


 多分SLで生産数日本一で1000両以上生産され、日本国中津々浦々を走り回っていたから。
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#2です。

追記。
日本初のテンダー蒸気機関車は鉄道院の5000型であり、日本国産初としても9600型が実用化初となります。
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電車マニアは蒸気機関車に興味が無いでしょう。



さて、それはともかく、380輌製造されたD50と、日本の機関車史上最多勢力1115輌製造され日本の蒸気機関車の歴史の最期の一角であるD51とでは比べるべくもないでしょう。

優等列車用気動車としては日本初のキハ55系(全485輌)と国鉄の終焉まで第一線で活躍したキハ58系(1823輌、57,56系とあわせて2117輌)の関係のようなものです。
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長さのバランスからの見栄えの良さかな。

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