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日本語を勉強中の中国人です。下記の文章を文学的な表現にしていただけませんか。白板で文字を書いて、消して、その繰り返しは海水の波に洗われたようということが表現したいと思います。

「白板は砂浜のようだ。その上に文字を書いては、消したりして、その繰り返しはまるで満潮退き海水の潮に洗われているようだ。」

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

詩的にできているかは不安が残りますが…。



「白板は砂浜のようだ。文字を書いては消すを繰り返すその様は、まるで寄せては返す海の波に洗われているようだ。」
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この回答へのお礼

みなさん、ありがとうございました。いい勉強になりました。

お礼日時:2021/06/26 22:19

砂浜の文字のように


いくつの言葉が白板で
洗われていったのだろう
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砂浜に書いたラブレターのように、先生が白板に書いたテスト範囲は


儚く消されてしまった
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[1]文法上の問題点があります。



> 書いては、消したりして

 「たり」は、使うのなら対(つい)にして使うんです。

○ 書いたり消したりして
○ 書いては消して/書いて消し

[2] 意味上の問題点があります。

> 満潮退き海水の潮

 意味不明ですが、どうやら潮汐のことを言っているらしい。潮汐とは、海水面が上昇する満潮[まんちょう/みちしお]と、海水面が低下する干潮[かんちょう/ひきしお]が毎日二度ずつ生じる現象のことですが、これは波とは関係ありません。海についての知識が不足で、波と潮汐を混同しているんでしょう。


[3] 作文として下手な部分も目につきます。

> 文字を書いては

 書くのは文字ですから、冗長。(絵なら「描く」です。)

> 白板は砂浜のようだ。…洗われているようだ。

 まず印象的な直喩を短く言ってから、それがどうして比喩として成立するかの説明をした、その構成は良い。(この形式は、「謎掛け」という言葉遊びと基本的に同じです。)けれども、その説明もまた直喩になっている。これでは、隠喩が理解できない幼い人が書いたような印象を受けます。

> その繰り返しは海水の波に洗われたよう

 白板と砂浜は、白いということと、書いたり消したりできるというところしか似ていない。白板に書くのも消すのも人が能動的にやることですが、砂浜の文字はやがて否応なく波に消されてしまう。消え方がまるで違います。それなのに波の作用を強調すると、そもそも比喩として成立しなくなりそうです。
 もし、「白板は、綺麗さっぱり消えて元に戻る」ということを強調したいために比喩を使ったのであれば、書いたものがどうやって消えるか(波が勝手に消すのか、人が能動的に消すのか)は重要でないばかりか、邪魔ですね。でしたら例えば:

 白板は砂浜のようだ。何を書こうとやがては消えて、真っ白に戻る。

 しかし、陳腐に陳腐を重ねたような駄文であることには違いない。砂浜や黒板の文字は(いずれ薄れて消えていく)思い出の比喩として使い古されているからです。
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白板は砂浜


文字を書いては消され
打ち寄せる波のように

・白板を砂浜に見立てているということは、読み手につたわっているので、
〇〇のようだ
はなくていいと思います。
砂浜!!と言い切る形にすると、質問者さんが
あ、砂浜みたい!!
と気づいた瞬間の気持ちが表現できる気がします。
・書いたり消したり、
と、
繰り返し
は同じことを言っているので、どちらか1つで。
・海水の潮
潮の一文字で海水という意味を含むので、これも同じことを2度言っていることになります。

以上、知ったかぶりの通りすがりでした。
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