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徳川家康は自分の後継者に自分の息子を選んだようですが家康にその気があれば足軽から天下人になった人の息子やかつて平氏の配下だった家系の武将を将軍に選ぶこともできたのでしょうか?
つまり家康から選んでもらえれば、平氏の出身だろうと元農民だろうと将軍にはなれたのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • みなさん回答ありがとうございます
    まんが日本史 とかいうアニメを数年前に見たのですが家康が天下を取って幕府を開いたときに怒る秀吉の妻に対して側近が、幕府を開けなかった太閤様に代わって幕府を開き秀頼様を次の将軍にするつもりなのでしょうなどというトンチンカンなことを言って家康の幕府を黙認させようとする場面・豊臣家を勘違いさせる場面があったとうろ覚えで記憶しているのですがそんなことが本当に可能なのかと思って質問させていただきました

    みなさんがおっしゃる通り私も実際には家康は選ぶわけがないとは思います

      補足日時:2021/06/28 00:34
  • 勉強になります。
    みなさん回答ありがとうございます。

      補足日時:2021/06/28 15:09

A 回答 (9件)

なぜそう考えるようになったかは知らないけど、無理だよ

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A:>家康から選んでもらえれば、平氏の出身だろうと元農民だろうと将軍にはなれたのでしょうか?



「選ぶ」の意味が不明。
1:「養子」として徳川家の者とするのか、
2:1を経ないで「他家」に将軍職を禅譲するのか。

補足の「秀頼将軍」は、2の意味だと思います。
実際、豊臣家内部にも、そのように期待していた者もいた といわれています。


回答A:家康が「選ぶ事」は可能。
頼朝の血統が絶えた鎌倉幕府は藤原氏から将軍を迎えています。
斉藤道三は後継者を織田信長としています。

しかし、征夷大将軍の任命は天皇の権限なので、その者の身分や出自よって認められるかは不明。
天皇が認めたとしても、幕臣や徳川家の縁者が従うとは限りません。
「徳川家康は自分の後継者に自分の息子を選ん」の回答画像9
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可能性はゼロではない。


豊臣秀頼は、家康の娘の旦那様。つまり家康の義理の息子ですからね。
直系男子が全員早逝していなくなったら可能性はあるでしょう。
ただし、豊臣姓を捨てて源姓(徳川宗家の本姓)にすることくらいは条件とするかもしれませんが。

※失礼。前の回答は誤認がありましたので再回答です。
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可能性はゼロではない。


豊臣秀頼は、秀忠の娘の旦那様。つまり家康の義理の孫ですからね。
直系男子が全員早逝していなくなったら可能性はあるでしょう。
ただし、豊臣姓を捨てて源姓(徳川宗家の本姓)にすることくらいは条件とするかもしれませんが。
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どうですかね。



いくら家康が権力者といえども、
皆が納得出来る理屈が無ければ、
難しいです。

例え将軍になれても、短期で終わる
でしょう。

息子だから、ということで皆が納得
する訳です。


ちなみに、能力主義と世襲主義てのが
あります。

能力主義は良さそうに思えますが
競争社会になり、権力闘争に明け暮れる
社会になります。

中国がその典型です。
日本は、あの戦争で非道い目に遭いましたが
中国はあれ以上の惨禍に600回も遭って
います。
これは、能力主義を採用したからだ、と云われて
います。

日本は世襲が多いです。
活性化、という点では問題ですが、
社会が安定する、という利点があります。

トヨタ自動車(豊田家)、サントリー(鳥井・佐治家)、
キッコーマン(茂木家)、キヤノン(御手洗家)、
パナソニック(松下家)──。

いずれもが日本経済をけん引してきた超優良企業であり、
そして、程度の差こそあれ全社が「同族企業」に
位置付けられる企業でもある。

これは一部の企業に限定された話ではなく、日本の
全上場企業の50%以上が同族企業とされる。

一般にはあまり知られていないが、
日本は世界でも屈指の同族企業大国なのだ。

そして、同族企業は
収益性、安全性、株価でも 一般企業を凌駕
している。
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徳川秀忠は、突然将軍に指名された訳ではない。

豊臣秀吉から偏諱を受け、豊臣秀吉の形式的な養女として江を妻に迎え、豊臣秀吉から羽柴の名乗りも許されている。つまり秀忠が家康の後継者であることは豊臣秀吉の公認であり天下公認であったということ。もちろん秀吉としては秀頼の次期補佐役として秀忠を指名したつもりではあったけど、結果的に諸将の信頼を得たのは秀頼ではなく徳川家康だったということ。石田三成が豊臣七将に襲撃された時に頼ったのは豊臣秀頼ではなく徳川家康だったのです。選ばれたとか指名されたではなく諸将の信頼を得たからこそ徳川家康は天下人になれたのです。そういう家康の後継者として天下人の秀吉に認められたからこそ、秀忠は次期将軍としてすんなり就任できた。
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なることはできるでしょうけど、


実際はそんなに簡単なことじゃなくて
争いの元を作るようなものです。
ヘタをすればまた戦国時代に逆戻り。
家康はそれをしたくなかったから
自分の息子から選んだのでしょう。

その後も御三家の間で将軍獲りの暗躍がありましたけど
表向きに大きな争いにならなかったのは
そうした彼の功績によるところが大きかったんです。
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家康にその気は無いです。

折角やっと戦乱の世を終わらせ平和な安定した日本を実現したのだから、これをまた戦乱の世にしない為には、どうしたら良いのか考えれば、自分の血を引く者を後継者に選んで代々これを継がせるのが最も確実で現実的な方法であると彼は考えた筈です。なので、足軽から天下人になった人の息子やかつて平氏の配下だった家系の武将を将軍に選ぶことは無かったでしょう。
別件ですが下記のブログを御覧戴ければ幸いです。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
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先ず家康の家来たちが猛反対する事は目に見えているからそれは出来ない相談です、それを実行すると秀吉の二の舞に為る長期政権はまず無理家康が息子以外を選んだ時点で徳川政権は崩壊している。

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