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キリスト教は、何故誕生したか??

もともとナザレのイエスは、『ユダヤ教原理者儀者』だったが故に、十字架にかけられ命を落とす事になったのだと思います。
しからば、イエスが亡くなった後も、弟子たちは『キリスト教』を広めるのではなくて、『ユダヤ教原理者儀者』として『ユダヤ教』の中で生きるべきだったのではないですか??

何故に、『キリスト教』なるものを広めた(作り上げた)のでしょうか??

本来なら、『ユダヤ教原理者儀』に対して、イエスの死後に有った事柄が含まれるのであれば、『キリスト教』(カトリック、プロテスタント、東方正教)こそ、いかさまの邪教なのではないのでしょうか??

もしそれがそうなのだとしたら、キリスト教とは目覚めるべきではないのですか??

A 回答 (10件)

№8を継ぎます。



20. ふつうの人間イエスが 神キリストであるという物語が紡がれたというのは アブラハムからの信仰の系譜――旧約聖書――の中で エレミヤ書に書かれていたことの成就であると捉えられました。

21. ▲ (新約へブル書 8章) ~~~~~~~~~
もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。

事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

  「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
   新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

  ・・・

  「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
   彼らの心にそれを書きつけよう。

   わたしは彼らの神となり、
   彼らはわたしの民となる。

    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
   それぞれ自分の兄弟に、
   『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。

   小さな者から大きな者に至るまで
   彼らはすべて、わたしを知るようになり、
   わたしは、彼らの不義を赦し、
   もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
       (旧約聖書・エレミヤ書 31:31-34)

神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

22. すなわち この《あたらしい契約》を イエスが実現させたというものです。



23. ここでユダヤイズムのレイヤーの問題にも触れることができます。
ひとつに ユダヤ教の側は この新しい契約は――イエスが出ても――まだ成就していないという立ち場です。

24. イエスが自分は神(キリスト)であると言ったことを ユダヤ教の側は 神への冒涜だと言って はりつけへと追い詰めました。


25. けれどももしイエスによって エレミヤ書の預言が成就したとするのならば:
① 神はすでに人びとの罪について――原罪を含めて――もう覚えていないよと言ったことになる。

② 律法については 文字で書かれた杓子定規の問題ではなくなる。心に書きつけられ すべては人びとの自由な意志によるおこないに任されている。

③ それと同じことで 人びとはもはや互いに倫理規範たるオシへを教え合うことはなくなる。(戒律からの解放)。



26. したがって アブラハムからイエスまでの――基礎の基礎たる――信仰の系譜は〔特にはパウロに受け継がれたのですが〕 ふるい律法ないし戒律の契約にとどまっているユダヤ教とは違っています。 

あるいは そのイエス派として立つもなおオシへを後生大事に信奉し遵守しようとするカトリックやいわゆるファンダメンタリズムとは まったく別のものだと言わねばならないと考えます。


27. なおもしイエスキリストの神とは 何か? と問われるならそれは ユダヤ教の律法の神ヤハヱーが 一民族の神であることを外へ開き普遍神の座に揚げて棄てられたときの神 すなわち 普遍神であると捉えられます。



27. 普遍神にとって 世界にある具体的な神の名の違いは 問題になりません。信仰という基礎は 同じひとつであると考えられます。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>23. ここでユダヤイズムのレイヤーの問題にも触れることができます。
ひとつに ユダヤ教の側は この新しい契約は――イエスが出ても――まだ成就していないという立ち場です。
>24. イエスが自分は神(キリスト)であると言ったことを ユダヤ教の側は 神への冒涜だと言って はりつけへと追い詰めました。

・この辺りが、一つの分かれ目なのですかね??

お礼日時:2021/07/02 17:18

すごごいさんおはようございます。


 『不思議に思うこと、です たまに 「神さまなんていない、宗教なんて単なる金儲けですよね?」 って質問を』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10813503.htmlのNo.12と15さんが良かったです。適当に要約します。
 神様がいるって言っている人がいます。神様がいると信じている人たちが戦争を起こします。他にも信仰を広めるために The Americas の文明を滅ぼして人類の持っていた貴重な財産を消失させました。彼らの言葉と文化を奪って南米や墨西哥で Spanish しかわからない人々を作りました。米国の大統領が現代の十字軍だと公言して中東で最も西欧的な文化が浸透していた The Iraqis の大量殺戮を行なってあの地域をごちゃごちゃにしました。神様がいると洗脳されている人たちがいます。
 宗教学 category に投稿される質問に二つの傾向があります。一つは信仰あるい悩みの質問です。宗教学は宗教や信仰に興味がありません。悩み相談・人生相談 >その他(悩み相談・人生相談) category があります。もう一つは信仰ではなく学問的興味の質問です。宗教学は宗教にまつわる理屈を論じる学問です。理屈に興味があると哲学と馴染みます。誰でも思春期の頃になると妙に理屈を言い出します。洗練された理屈や論理を使いこなせない人生経験が未熟な理屈好きの人が宗教を信仰の面から捉えることがまだできずに理屈で信仰を語ることができると誤解して宗教学 category でそれをいいます。信仰の意味を理解していない理屈好きの人の自然な振る舞いです。信仰と理屈は互いに性質が合わずしっくり調和しません。宗教哲学は支離滅裂です。
 何もかも神様のせいにするのは当然です。思い通りにいかない人生をなんとか人のせいにして自分を守るのは比較的効率が良いです。一個人の内部で自己保身できてももっと大きな規模の社会ではその方法は自分を守るのに比較的効率が悪いです。未熟な者ほど自分に直近な小さな規模で見ます。神様のせいにするのは未熟な人だという指標です。宗教には一個人の内部で自己保身する目的があります。この目的が機能しているから人々は信仰をやめません。宗教は戦争を引き起こします。宗教は戦争の大義名分です。これは事実です。だからダメとの結論を出すのは短絡です。副作用があるから薬は飲まないと言っていたら死んでしまいかねません。宗教は戦争を引き起こすからダメと短絡しないでその副作用がある事実を認めその副作用を減らす方法を宗教の一個人の内部で自己保身する目的を後回しにしてみんなで探そうとするのが成熟です。
 要約を終わります。『創価学会の根本的な矛盾』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10559535.htmlさんが面白かったです。Christianity を創価学会に対応させます。
Moses →猶太教 →Christianity
日蓮聖人→日蓮正宗→創価学会
Christianity を邪教とすると創価学会も邪教です。Jesus さんの磔のように牧口さんが投獄で頑張りました。基督教徒が猶太教のなかで生きるべきであるように創価学会員は日蓮正宗のなかで生きるべきです。戒律が守れなくて分かれたから創価学会が誕生したように Christianity も誕生しました。『Shin Megami Tensei Jyakyou Manor 邪教の館 真女神転生II cover Roland C-380 Modartt Organteq pipe organ パイプオルガン』が良いです。


しゃ乙さんきし爺さんおはようございます。
 Jesus さんが Gautama さんならば Peter さんは摩訶迦葉さんで Paul さんは舎利弗さんです。静岡県の大石寺に行くのはめんどうくさいです。Palestine の第二神殿に行くのもめんどうくさいです。林 好雄『「顔」と「面授」 : 福音書、道元、レヴィナス』https://ci.nii.ac.jp/naid/120005578203が良かったです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2021/07/04 10:06

■ (№6お礼欄)


Q3:回答者様ご自身の思う(考える)、この『ユダヤ教』と『キリスト教』についてのお考えをお聞かせください。

☆ 三つのお尋ねをこのQ3にぜんぶまとめて わたしに出来るところを 説明いたします。

          *


1. じんるいの祖とされるアダムとエワの話は その初めからあったわけではありません。あくまでも あとづけです。

2. 初め――けっきょく信仰の初め――は アブラハムというぢいさんです。

3. アブラム(のちのアブラハム)という人が すでに七十歳をすぎているのに 神から(《かみ)という言葉はありましたから)――あたかもお告げをさづかるかのように―― 《故郷の地を去って 行きなさい》と言われ そのようにしました。

4. 要するに 人に 非思考のこころが 芽生えたのだと思われます。経験思考を超えたところへのあこがれのような心の伸び。精神ないし理性を超えた志向性。感性や知性を超えた霊性であり 神です。
 
5. アブラハムの子孫としてモーセは その神に 名を尋ねました。《〈わたしはある〉 それが わたしである》という答えを得たと言います。
 

6. 伝えによると ダヰデという人は 《きょう わたしは おまえを生んだ》という言葉を その神から聞いたそうです。おれは 親から生まれたその上に 神から生まれしめられたのかと。

7. イザヤという人に到っては 《主なる霊が わたしに臨んだ》と表現する歴史に発展しました。

  これは主がわたしに油を注いで 
  貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね 
  わたしを遣わして心の傷める者をいやし 
  捕らわれ人に放免を告げ・・・(中略)・・・るためである。
    (『イザヤ書』61:1−3)

8. その後 時はさらに飛んで イエスという人が出たと言うわけです。

9. イエスが 《自分の育ったナザレに来て いつものとおり安息日に会堂に入り 聖書を朗読しようとして立ち上がった》時のことです。
   
  すると 預言者イザヤの巻き物を渡され 開くと次のように
  書いてある箇所が目に留まった。

   《主の霊がわたしに臨み 油をわたしに塗った。
    主がわたしを遣わしたのは 貧しい人に福音を伝え 
    捕らわれ人に解放を・・・告げ知らせるためである。》
    (つまり『イザヤ書』61:1−2)

  イエスは巻き物を巻き 係りの者に返して席に坐った。会堂
  の人びとは皆 イエスに目を注いでいた。そこでイエスは 
     
    ――この聖書のことばは 今日 耳を傾けているあなた
     たちに実現した。

  と話し始めた。
     (ルカ福音4:17−21)


10. 神と人間との関係の歴史が――人間の言葉による表現上―― ここまで 及んだのだと捉えます。史実かどうかを問うよりも 言葉による自己表現の歴史が そのまま人びとにとって現実であったと見たいというところです。

11. 《存在》――《わたしは ある》――をめぐる理論の問題としては これで 完成だと言ってよいのではないかと単純に考えられます。




12. さらにその後 このイエスという人は この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。十字架上において はりつけになるというコトを みづから欲して そのとおりになったことにおいてだと言います。

13. 生前には かれが捕らえられたとき かれを見捨てて弟子たちは逃げました。その逃げた弟子たちも イエスの死後においてかれは 神であったと言い始めたそうです。
 

14. もしかれが 神ではなくただ人間であるだけであったとすれば そのような存在論の実証は もし信念の強い殊勝な人がいれば その限りで 誰でも 出来るでしょう。――ようやったな 弱い人びとにとって必要があれば また誰か続くだろうよ あんたは安らかに往生しいーやとうわさして それだけのことです。

15. それでは 存在論は 《完成》していないことになります。アブラハムやモーセらは 自分たちからイザヤらにつらなった存在論の系譜とその悲願は さらに 別の人によって実現するのを待つということになります。


16. もしイエスが 人間ではなく仮りに神であるだけだったとすれば そのまま それは 《うそ》ですから 史的イエスの非実在論によって 聖書の伝えを一笑に付すというわけです。
 

17. つまり 一大虚構がつむがれました。《ナザレ生まれのひとりの男イエスは キリストと呼ばれる神〔の子でありみづからも神〕である》というまぼろしです。

18. この虚構が なかなか 捨てがたいもののようでもあります。


       *


19. ここで一たん切って 別稿でいくらかをおぎないたいと思います。ここでは すべての基礎としての信仰について述べました。ユダヤ教やキリスト教には 関係なくです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>3. アブラム(のちのアブラハム)という人が すでに七十歳をすぎているのに 神から(《かみ)という言葉はありましたから)――あたかもお告げをさづかるかのように―― 《故郷の地を去って 行きなさい》と言われ そのようにしました。

・これは『カナンの地』でしたっけ??

お礼日時:2021/07/02 17:04

ユダヤ教というのは、始祖アブラハムが神に声をかけられるところから始まります。

契約内容は、”私を神として崇めれば、子孫が星のように増える。”

彼の子孫はエジプトで奴隷となり、その後、モーゼに率いられて脱出します。その時に、シナイ山で、モーゼは十戒を授けられます。これは、イエスも尊重している。

その後、一族は”ミルクとハニーの土地”に入植しますが、その時に、事細かな生活指導書が、神の指導によって製作されます。これが、律法としてユダヤ人の生活を事細かに制限します。以下、ウィキの記述です。
+++++
おびただしい量の法律、倫理規定、禁忌規定、祭祀規定が記されており、これらをまとめて律法(トーラー、原義は「教え」)と呼ぶ。たとえば法律としては「ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って折半し、死んだほうの牛も折半する」など細かな規定に及んでいる(出エジプト21:35)。倫理規定としては「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)など、禁忌規定としては豚食や鱗のない魚を食べることの禁止(レビ記11章、申命記14章など)であるとか子ヤギの肉を乳で煮てはいけない(申命14:21)だとかの細かな食物規定であり、祭祀については祭壇の寸法までが細かに指示されている(出エジプト25-28章)。レビ記、民数記、申命記は物語よりは律法の記載がほとんどであり、ユダヤ教の伝統では創世記から申命記までの五書全体を律法と呼んでいる。
+++++
今でいう、法律ですが、砂漠の民が健康に生きるための指導書、という、側面もあります。

ここで問題になってくるのは、習慣的に律法を守っていれば、神に愛されると誤解する人間ばかりになってしまった。安息日に病人を直したイエスを、パリサイ派は糾弾します。

イエスは、そうではないんだよ。ユダヤ人社会から見て、異端の人間、嫌われている人間、病んでいる人間を、ルールを曲げても、助けてあげるのが、神の愛である、と説いた。

その成り行きを、ユダヤ教原理主義と呼んでよいものかどうか、疑問に思います。小さな垣根を取り払って、大きな草原に羊たちを放したイメージを私は持っています。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2021/07/02 16:56

■ キリスト教は、何故誕生したか??


☆ つまり 神への信仰は ひとりの個人にあって言わば自由に持ち得るのですが 集団にとっての・オシへという思想を基軸としつつ神にかかわる運動として クリスチアニズムがどうして出来たか?



1. 《第三項(犠牲)排除の理論》があります。

自分たちの集まりの中から 《異質〔と勝手に見なした​者〕を排除する》といううごめきについてです。

今村仁司が『排除の構造――力の一般​経済序説』(1992)で理論づけました。
 
この理論にもとづき――長くなりますが――説明できればと思います。


 
§ 1 まづ人には《承認欲望》があると言います。

2. 人は 存在としてまた人びととの関係として 社会​的である。しかも主観は 独立した歴史知性であるゆえ ​自由な関係を希求する。しかも・しかしながら その自由の実現を 特に社​会集団としては まちがって追い求める傾向があるという。

3. 簡単に言うならば 集団の中の一人だけを例外つまり除​け者にして あとは 互いにひとしく自由や平等をたのしむ​といった傾向であり むろん間違った道筋であるというも​のです。

4. 一人ひとりは独立した主観であっても基本的に人間は ​社会関係的な存在であるからには 互いによる承認を喜ば​しいものとして受け取る。人からみとめてもらえれば う​れしい。そのときややもすると この承認を 自分から ​追い求めて行く傾向を持つ。たとえ一定の一人の人を除け​者にしてでも。・・・




§ 2 承認欲望が 模倣欲望をうながす。

5. この承認欲望が衝動のごとくにさえおのれの身にはたら​くと 《みんなと同じでありたい願望》=《模倣欲望》を​持つ。みんなと同じであれば 安心するという習性。つま​り 承認されていると思うことがたやすくなる。らしい。

6. そしておそらく この模倣が世の中全般に行き届いた段​階でも その一様性つまりは《全員による同じ歌の大合唱​》という情況だけでは まだ相互の承認が完成したとは見​なさない。こういう気難しい一面もあると言う。




§ 3 模倣欲望は 承認欲望が満たされていちど安心したの​もつかのま なおまだ不安が潜んでいるようなのだ。

7. そこで これなら安心しうるという一定の判定基準を持​とうとする。この・誰れにとっても見やすい共通の基準とな​るものが 《第三項》である。具体的には 《のけ者》と​言えば早い。除け者を除け者とする同じひとつの態度を共有するなら もう何が来ても安心だということであるらしい。




§ 4 第三項とは みんなから隅へ追いやられるものである​。

8. 追いやられ仲間ではなくなるという意味で 第三項と称​される。
このときその〔小さな単位体としての〕社会は 《一》対《他​の皆》という構図をつくる。《一》となった第三項は た​しかに《除け者》として扱われる。

9. つまりは第三項を皆で排除する構造が出来て初めて 人​としての互いの承認が実現するということらしい。そうしてこそ​ 人びとは安心して安定した《仲良し》状態となり その《秩​序》を楽しむことが出来るのだと。

10. このような傾向を人類は 悲しいかな残念なことに 持​っているのだろうか?

 


§ 5 もっとも そもそもにおいて《自由》を前提していた​ように その自由への変身を人びとが希求し成しうるとも説いて​います。

11. それは 第三項やあるいは《異者》の 受容をとおして​ わたしたちは獲得することができるとも言います。

12. また 模倣欲望を実行している最終の過程で その互いに互いを模倣するという《流行》​現象においても その反面にはつねに起こると思われるように それ・つまりむしろ《みんな​と違いたい願望》が これもじつは同時に はたらいてくれるとよいし はたらくだろうと考えられてもいます。

13. 非模倣ないし反模倣つまり みんなと違っていたいとい​う欲望 そしてそれと並んで 《異者》を受け容れるとい​う行為 これらによって 自由への変身を人びとは勝ち取​れるであろうと。



 
§ 6 排除された第三項は 歴史的にキリスト・イエスであ​るとも言い あるいは 資本主義社会における貨幣のこと​であるとも論じていました。

14. 第三項は それがいわば見事な排除であった場合には ​排除し切ったあとで ぎゃくにそれを人びとは《聖化》す​ると言います。
 
15. 人びとからは呪われて去ったと見なされたその除け者を​ 今度はぎゃくに偉大な犠牲だったと見なし それにむしろ聖性を付与する。それに​よって なお人びとは 安心するのだよと言って誰かがその仕組みを考えついたらしい​。つまり 十字架上に去って行った者を 絶対の聖者として こんどは崇めるようになる(する)のだと。

16. したがって今度は 除け者の第三項を《聖なる第三項》として み​なであがめる。
 
17. このことを通して あらためて集団ないし​社会における秩序と安寧をたしかなものにするのだと。人びとは万々歳の安心を得るということらしい。
 
18.(菅原道真は 聡明で真面目な人間だったらしくしかも左遷されたらしく その死後には 天神様として生前における《のけ者の第三項》扱いが 《聖なる神》としてまつられることになったというからくりであるらしい。これを画策した《頭のよい》人間がいるらしい)。
 
 


§ 7 言いかえると イエス・キリストの事例に見られるような《​聖なる除け者(第三項)》といった扱いは これも まち​がいであると考えられるのに かなり有力なかたちで続けられる。

19. なぜならそこでは 死後に一たん評価がひるがえって《聖なる者》と見なされるようになったあとでは この《聖化》――つまりは そういう通念ないしクウキ――に対して若し否定するような動きがあったなら​ あたかもすでに条件反射のごとくに 反動のチカラがは​たらくということであるらしい。世の中 それでこそつり合いがとれるのだと。
 
20. 反動のチカラは 出る​杭を打つとなって現われる。つまりその新たに現われた《異端分子》を やはり第三項​と見なしてその排除にかかる。
 
21. 一たん聖化され人びとの《心の――じつはただうわべにおける心理的な――安心と安定のみなもと》としていだかれたキリスト・イエスなる観念の共同に ただ否定的なだけではなく 真っ向から敵対するかたちとなり その勢力さえ形成してきたときには 当然のごとくそれを 単に除け者とする手段では間​に合わなくなる。そうなれば 明らかに戦争にまでも発展させる。​ときに社会はこぞって容易に ひとごろしなるイヂメに飛びつくことができる。クルーセイドで兵器産業もうるおう。


22. いまでは みにくい戦争は どうやらこうやらダサいものと見なされるようになったようです。


          *


■ 何故に、『キリスト教』なるものを広めた(作り上げた)のでしょうか??
☆ その事情を述べました。

■ 目覚めるべき
☆ ですね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

No.3の回答を含めて、、、

Q1:結局は、『ユダヤ教』があり、形骸化した『ユダヤ教』に反したイエスが異を唱えた事で『邪魔者』になり処刑される。
その死後、その教えが弟子たちにより広まり、それが『キリスト教』となった。こうした解釈で宜しいのでしょうか??

Q2:例えば、レイヤーを考えるにあたって、『ユダヤ教』を第一階層、『キリスト教』を第二階層とした場合、そのレイヤーを重ねると共通する部分、異なる部分は生じるのでしょうか??

Q3:回答者様ご自身の思う(考える)、この『ユダヤ教』と『キリスト教』についてのお考えをお聞かせください。

お礼日時:2021/07/02 08:25

イエスは復活後に弟子たちの前に姿を現しますが、私の教えを世界中にひろめなさい、と言い残して昇天しました。



イエスにしたがっていた弟子たちは、決して有能な能弁家ではなかった。心の強さで選んだみたいなところがあります。ペテロがその代表です。彼は、イエスの教えをユダヤ人以外にひろめるのには反対だったと言われています。

一方、パウロは律法を重んじるユダヤ教の超エリートで、当時異端であったイエス教徒を捕まえては処刑していた人です。ダマスカスに行く途中、イエス(幽霊?)に遭遇してしまって、回心する。この人が、現在のトルコ・ギリシア・ローマに何度も布教に出かけて、教会の前身のようなものを作ります。

ペテロもパウロに邂逅後、ユダヤ人以外への布教に積極的になり、ローマで逆さ十字架にかかります。バチカンはカトリックの総本山で、パウロの墓の上に建てられています。

現在のキリスト教は、イエスを大きな光として、パウロとペトロの現実的な努力の上に成り立っています。

教えが世界中に広まったら、イエスが帰ってきて、最後の審判を下し、彼を信じる者は、神の国に行ける。それが、キリスト教徒の最終目的です。神を愛し、隣人を愛すれば神の国に行ける。それだけです。

結構わかりにくいところがありますか。邪教に見えるでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>邪教に見えるでしょうか。

質問の上で『邪教』と書いたのは、イエスが(本来)唱えたのは、『ユダヤ教(原理主義含む)』なのか、それとも『新しい教え(ユダヤ教とは全く違う独自の教え:キリスト教)』なのかという事です。

イエスの教えが、『ユダヤ教原理主義』であれば、本来は『ユダヤ教原理主義』が広まるべきで、そうした見方からすれば『キリスト教』は邪教なのではないですか、、、という意味です。

因みに、『キリスト教』を否定しているのではありません。

お礼日時:2021/07/02 08:04

当時の宗教は、一生のうちに一度はご本山にお参りするのが義務みたい。

今のように簡単に旅はできない、期間が長くなるで、帰ってこない村人も多し。

そこに、自分の村に教会を作れば、ご本山にお参りに行く必要はなしと、いう宗教が出現。そりゃ大歓迎ですな。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2021/07/02 07:54

№2の方の回答内容とは違う別の意味での誤解があるようです。




1. ユダヤ原理主義は 律法主義のパリサイ派です。律法(法律ないし教義:《ころすなかれ=不殺生戒;姦淫するなかれ=不邪淫戒》など)を文字通りに守ろうとするものです。

2. イエスは 必ずしもそうではありません。当時は この派にさからうことを平気でおこなっており 別の主義としてユダヤ教イエス派だと見られていました。


3. ▲ (マルコによる福音 2:5-7 ) ~~~~~~
イエスは・・・中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。

ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、

「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。


▲ (同上 2:14-16 ) ~~~~~~~~~~~~~
・・・レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。

  ☆ 取税人は支配者ローマのために税金を集める仕事
   をしていました。彼らは不浄な異邦人の手先として
   働く者であるゆえに汚れた者とされ、またしばしば
   不正の徴収を行なっていたため、人々から憎まれて
   いました。


▲ (同上 2:18 ) ~~~~~~~~~~~~~~
・・・パリサイ人は、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、

「・・・パリサイ人の弟子たちが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・・・
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2021/07/02 07:54

大きな誤解があるように思います。



宗教者が、ご相談者のように、真摯で、真面目なら、
キリスト教なんて、残っていません。

キリストだって、本当に存在したのか?本当に
神の声を聴いたのか?

全て、後世の宗教集団の捏造の可能性の方が、高い。

それを、そんなに純粋に、疑問を挟んでも、どうでしょうか?

奴らは詐欺師ですよ。

詐欺師が、物語を都合よく作成し、検証不可能な奇跡を
散りばめ、無知な西洋人が、洗脳されただけでしょう。

人間は、アダムとイブの末裔だそうな。
詰まり、近親相関を重ねて、重ねて、人間が生まれたそうな。

そんな有難いゴッドは、自分で作った人間が信用できず、
悪魔に契約を求め、生まれた子供に、洗礼と言う契約を求める。
自分の創造物も信用できない、馬鹿者か?

西洋人と言うのは、それに疑いを持たない、愚か者だ。

麻原や創価学会を見るまでも無く、宗教と言うのは、詐欺だ。

唯一神教と言うなら、イスラムのヒンズーも仏教も、存在を
許すな、と思う。

キリスト教徒が、他の宗教に寛容であるのは、彼らの
唯一神教の主張が嘘である証拠だし、詐欺集団であることの
証拠だ。

科学の進歩に伴い、奇跡が生じなくなった事が、連中の詐欺の
証拠ともいえる。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>唯一神教と言うなら、イスラムのヒンズーも仏教も、存在を
許すな、と思う。

同感。

お礼日時:2021/07/01 19:45

キリストとはメシアの事



名前など どうでも良いのです・・

目的のみが重要
・・

なので キリスト教で 無くても 「ウンチ」でもイイだけ・・

でも ウンチなら 信者は居なくなる・・

たった それだけの理由
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2021/07/01 18:46

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