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徳川家光の乳母は、明智光秀の重臣、斉藤利三の娘、お福です。
家光の産みの親であるお江にとって、お福は、叔父である織田信長を討った仇敵家臣の娘です。
お江にとってみれば、お福を長男である家光の乳母にあてるなど断腸の思いであったと推測します。
お福の採用にあたり、様々な条件があったとのことですが、最終これを認めたのは家康たっだでしょう。
そうであれば、お江に対する悪意のある人選だったのでしょうか?
それとも厳しい採用条件で残ったのがお福であったのでしょうか?
家康は光秀に対して一種の恩義を感じていたのかもしれません。
そもそも、本能寺の変で信長を討ち取った光秀の存在がいなければ、徳川幕府はなかった訳ですし。

A 回答 (2件)

伯父織田信長を討った斎藤利三は敵である一方で、父浅井長政を滅ぼした憎い織田信長を倒した恩人でもありますね。


いずれにせよ最高権力者家康が決めたことなので苦々しく思いつつも受け入れるしかなかったのかな、と思います。
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この回答へのお礼

恩人!なるほど。そのような考え方もありますね。光秀が、父(長政)の仇を取ったのですね。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/07/08 08:12

若干の審査はあったようです。


有能だったからでしょう。
真田幸村の兄が徳川側の家臣だったように、当時は一族が二つに分かれ敵味方の両方の家臣になってることが普通でした。
そんなに深くはかんがえてなかったかと。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
過去を執着する時代ではなかったのでしょうね。

お礼日時:2021/07/08 08:07

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