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「金儲けは下賤である」と見なすのが、古来日本の上流階級(皇族、公家、武家)の認識ですか?
今ではすっかり資本主義社会へと変化して拝金主義者ばっかりですが。

A 回答 (5件)

> 古来日本の上流階級(皇族、公家、武家)の認識ですか?



いつの時代のことを想定するのか分かりませんが、鎌倉~江戸期ならば、下賤は職業や身分に関わる用語として使われていたと思います。
日常会話では、「下賤」という用語そのものが、あまり使われてはいなかったように想像します。江戸期までの文献で、「下賤」の文字が出てくるものは多くないのではないでしょうか。
東海道中膝栗毛には、あたじけねへ=けち という表現が出てきますが、、、

風呂屋の火たきや、隣郷の乞食共を、麦一升づつにてやとひて、金儲けして喜びける との巷間のお話もあったようなので、「金儲け」の用語は使われていたでしょう。 十返舎一九も「金儲け」の本を作っていますが、どう見ても、基本的に庶民相手の本です。 下賤という語は出てこないみたいです。
https://jpsearch.go.jp/item/dignl-10301737

上流階級(皇族、公家、武家)が、身分の低いものを話題にして語ることはあまりないでしょうし、金儲けの方法や話題やニュースを正面切って取り上げることもないのだろうと思います。

カネや欲得、蓄財に執心する公家も侍も結構いたので、そのことは一般に世間の常識に近いでしょう。
ただ、多くの公家、侍、僧などは、正面切って事業をすることはないので、カネや欲得、蓄財に執心して金銭の亡者のごとくあったとしても、「金儲け」ではないでしょう。 献上品や献金、賄を集めても、地代賃料、利息を集めても、「金儲け」にはならないと思います。 
それらを金儲けとは多くの公家、侍、僧などは考えなかったと思います。

たぶん、意識の中でも、下賤と金儲けは関連のある言葉ではなかったと思います。

> 今ではすっかり資本主義社会へと変化して拝金主義者ばっかりですが。

拝金主義、守銭奴、金の亡者は、貨幣を媒介とする流通経済ができてからは、絶え間なく出現しています。 資本主義経済体制になって、拝金主義、守銭奴、金の亡者の割合が増えたというようなことはないと思います。
「今ではすっかり~~~ばっかりです」というのは、心情吐露としては陳腐な表現ですが、実態とは無関係です。 多くの場合、~~~に該当するのは1割にも満たないです。
わたし、この歌 結構好きです。 めだかみたいなやつばかり
https://www.google.com/search?q=%E3%81%B2%E3%81% …
「「金儲けは下賤である」と見なすのが、古来」の回答画像5
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そういうのは儒教の考え方だ、とか何とか聞いたことがあります。


拝金主義はほめられるものではありませんが、豊臣秀吉なんかは成金趣味が酷くて、茶室も金きら金、城(瓦)も金きら金、見ていた家康などはあーにだけは成りたくないと思ったことでしょうw

ところで、金というのは集めたやつが一括で使ってこそ価値があるものです。それを分からないバカが、ばら撒き政治の一人一万円づつくばりましょうとか、意味のないことをする。百階建てのビルなんて一人で頑張っても建ちゃしないんだから、金を集めたやつがドンと使って初めて実現できるようなものなんですよ。
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しかし


明治維新以来
上流階級の人たちは
なんの特技もなく
仕事もなく
金を得ることに必死になりました

畑や田んぼがあるわけでもなく
食い物屋を開いても
公家や武士が開いた食い物屋では
一般庶民に頭を下げることもできず
金儲けは下賤であることを反省しました
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古代は全世界的に「農業生産」を中心とした生産活動が尊いとされ、商人や金融家を卑しい見下していました。


日本だけではありません。

日本以上にキリスト教社会やイスラム教社会のほうが明確に嫌っており、お金の貸し借りに利息を取ってはいけないとされていました。イスラム社会は今でもそうで、イスラム金融と呼ばれる特殊な方法でお金の貸し借りがやりとりされています。

金融業に、そういうわだかまりがなかったのがユダヤ教です。
ゆえに、ユダヤ人だけが利息を取ってお金を貸す行為を古代からやっており、近所のキリスト教徒などは大助かりで、ユダヤ人金貸しは大儲けし、今でもロスチャイルド家などが世界金融の大物として君臨しています。
とはいえ、借金返済に苦しむ異教徒には、当然恨まれます。また「利息を取ってお金を貸す汚い奴ら」ということで蔑まれる。

そこにユダヤ人差別が生まれた構造があるわけです。
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お金は卑しい、とするのが日本人


全般の考え方でした。

そうやって、お金に伴うトラブルを
未然に避けようとしたのです。

お金は誰でも欲しいのです。
でも、それを正面から認めたのでは
ブレーキ無しの車みたいなモノに
なってしまいます。

お金は卑しい、というぐらいで
丁度良いのです。

資本主義は、そのブレーキを外し、
アクセルだけの車にしてしまいました。
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