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勝敗決着は、すでについていたと思いますが、敗戦が、遅れた原因は、何だったのでしょうか(原爆投下の被害者は、今でも苦しんでいると思いますが、保証も、国がしていないのは、おかしいと思いますが(不完全な補償)?

A 回答 (7件)

簡単に言うと、会議や様々な人たちの意見の食い違いでなかなか何も決められなかった。



大日本帝国陸軍が徹底抗戦を言い張り、政治家を暗殺しかねない状態。
政治家が簡単に決められない状態。
戦争の負けは決まりなのに正に、会議は踊る。

原爆&ソ連の不可侵条約破棄からの参戦で天皇からの声となった。

それまでは日本政府は、無条件降伏が嫌で何度も交渉を持とうとしたがNG。



そもそも、米国は勝てる相手では無いのに、戦争を始めた(始めさせられらた)状態になってしまったのも、軍部の暴走と言うがシビリアンコントロールないしは、形だけで天皇が軍部コントロールしていない状態も大きな問題だった。
言葉は悪いが、天皇への情報はコントロールされて統帥権はあるけど、実際には政府に任せている。(明治時代からですよね)

大東亜共栄圏と言葉は良いけど、実態は植民地化に近い事を、欧の真似をしただけだよね。
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>遅れた原因は、何だったのでしょうか



終戦を決断した鈴木貫太郎首相は、終戦後1年ほど右翼に追い回され、着の身着のまま友人宅を転々とせざるを得なかった。

着の身着だったのはもう一つ理由がある。
空襲で彼の家も焼け出されたのだが消防団に消火してもらえなかった。

こういうご時世である。
現代でもあの戦争を「聖戦」と美化する輩は多い。

原爆は決定打ではない。
ソ連の侵攻が最後の一押しである。
これで日本陸軍説得の足掛かりができた。

日本陸軍が最大の難敵だった。
二・二六事件をやらかしているし、日米対立を決定づけた日独伊三国同盟も陸軍の発案である。
聖断が下った後も、玉音レコード奪取をもくろんだ陸軍将校が宮中を占拠している。
一つ間違えば「一億総火の玉」が現実になる、そういう状況だった。

内密に何十もの根回しをしてやっと御前会議にこぎつけるというきわどさだった。
鈴木首相の捨て身に奮戦を、後世の平和な世に生きる日本人は忘れてはならない。


原爆補償についてはおかしいかどうか客観的に判断できないのでパス。
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やれやれ、またこれを何度も説明させられる季節が来たか・・・




まず、あなたが 原爆被害者への補償が不完全である と思う理由は何でしょうか。

回答を求めるなら、質問側がその根拠を示すべきだと思います。
自分は思い付きを叫ぶだけ、一方相手には論理やソースを求めるとか。
質問者とはいつからそのようなお気楽なお立場になったのやら。

そもそも、原爆を使用したのは「誰」なのでしょうか。
私は原爆は国際法違反の虐殺に当たると思いますが、それでも日本にのみ責任があるのでしょうか。



A:>勝敗決着は、すでについていたと思います

評価:戦闘をやめても戦争は終わりません。
   国家間の関係をは友達同士の喧嘩ではありません。
   むしろ、停戦後が戦争の本番とさえ言えます。

「終戦」とは、交戦国が降伏後の条件を決めた講和条約を結び、戦争で生じた問題を全て解決することです。
それが不明な状態で戦闘を停止はできません。
私は、日本人は奴隷にする とか 降伏しても全滅させる になって死ぬまで働け と言われたら、戦って死ぬ方を選びます。



このような問題では、よく原爆を落とされるまで降伏しなかった日本の責任を主張する意見ありますが、私は以下の理由でそれに賛同できません。

日本が降伏しなかった理由は以下になります。

【日本が飲めるような条件ではなかった。】

当時の日本は原爆以前から条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは原爆を使用する準備の時間を稼ぐ為に、曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇の地位への保証がない)を出すことで、日本が降伏できないようにしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えるこになるので、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はできませんでした。
(実際連合国は、そのような戦後処理も考えていました)

更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が激昂し、政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そうなると、日本が朝鮮やドイツのような分断国家になって、朝鮮半島ではなく日本が米ソ対立の最前線になるかもしれませんでした。
そのような事態はアメリカは望んではいませんでした。


降伏については、原爆の影響もありますが、最も大きかったのは講和の仲介を期待していたソ連が裏切って参戦してきたからです。
これで、最後の望みが消えました。





アメリカが日本に原爆を使用したのは、以下の理由によります。

ア:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
イ:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

「ア」についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

ア1:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

ア2:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)


原爆の被害については、あれほどになったのはアメリカが事前に空からビラを巻いて警告したのに、日本軍が回収して見せず、避難をさせなかったという主張もあるようです。
しかし、私はそれにも賛同できません。

アメリカが空襲前にビラを捲いていたのは事実です。

しかし、それには 何 故 か 【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)
(小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。)

福山空襲は年8月8日
久留米空襲は8月11日
長野空襲は8月13日
(広島の原爆投下は8月6日、長崎は8月9日です)

そして、長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)
「終戦(敗戦)記念日が、近いので、思うので」の回答画像5
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対米宣戦布告の目的が,日本の敗戦とソ連軍に依る民族解放だったから



〔参考〕
1945年8月6日_原爆広島投下,同月8日原爆長崎投下,同日ソ連対日宣戦布告
1945年8月14日_に日本はポツダム宣言を受諾し翌15日に昭和天皇による「敗戦受諾の詔書」を全国放送した.蒋介石は抗日勝利演説を行った
しかし,敗戦革命者たちによる終戦引き延ばし工作(宮城事件)が行われた
それと呼応するかのように,同月20日,ソ連軍が樺太住民数十万人を虐殺し,同月25日,ソ連軍が樺太全土を占領した
1945年8月_樋口季一郎中将がソ連軍に抗戦したので,ソ連軍は北海道に進軍できなかった.スターリンは,極東国際軍事裁判で,樋口を「戦犯」として処刑するよう主張し,NHKもソ連軍に抗戦した樋口中将を批判した.しかし,世界中のユダヤ人コミュニティーが樋口救済運動をしたので,樋口は無罪となった
https://ncode.syosetu.com/n0129gu/11/
「終戦(敗戦)記念日が、近いので、思うので」の回答画像4
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軍隊は現在の大臣連や国家公務員、軍人と同じで、敗戦を認めた瞬間に諸々の収入・利権収入がなくなります。

できるだけ引伸ばすしかなかったのです。それを止める民主主義的な歯止めがほとんどありませんでした。
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日本の敗戦を遅らせる為に連合国はポツダム宣言を発したのです。

ルーズベルトは原爆投下実験の時間を稼ぐ為、スターリンは対日参戦準備の時間を稼ぐ為。
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話すと長くなるので申し訳ないけどこのリンクを読んでください。



面倒でも読めば分かります。

https://masterlow.net/?p=555
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