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戦前、国民英雄の名で呼ばれていた人は、義経・正成・秀吉だったそうです。

司馬遼太郎が次のように書いています。
『戦時に小中学生だっだころ、尊敬する人物という項目が、よく身上調書などに入っていた。いまから考えると滑稽なことであるのですが、そのとき、正成の名を挙げておけば大丈夫だということが、子ども心にもあるのですね。」

ところが、義経と秀吉の人気は依然高いのですが、いまどき楠木正成の名を聞いたことがありません。(現在も、皇室への関心は高いですが)

質問は、何故、楠木正成の評判が陰ったのでしょうか?

A 回答 (7件)

>戦前、国民英雄の名で呼ばれていた人は、義経・正成・秀吉だったそうです。


この場合の「戦前」とは、「明治維新から終戦前」のこと。
>質問は、何故、楠木正成の評判が陰ったのでしょうか?
「評判」の点で言えば、日本の歴史上、楠木正成ほどドラスティックな転回を繰り返した人物は少ないだろうなぁ。

><戦に負けたから>ですね。
に対して
>いつの戦いですか?
が出てくる人に、説明しきれるか、自信は無いんだけど(^-^;

楠木正成が負けた戦いは、南北朝時代の帰趨を決定的にした「湊川の戦い」。
湊川の戦いで楠木正成が自刃したことで、南朝方の敗北が決まったも同然となった。
勝者となった足利尊氏が征夷大将軍となり創始したのが武家政権である室町幕府で、以降、日本においては、明治維新まで幕藩政治体制が続いた。
「歴史は勝者が作る」と言われるけど、武士階級にとって一貫して朝廷側で戦ってきた楠木正成については、水戸藩の尊皇派など一部で評価する動きもあったけど、”体制”が英雄視することはなかった。

楠木正成の評価がひっくり返ったのは、明治維新がきっかけ。
明治維新で南朝が正統な皇統とされたときに、南朝に忠誠を尽くした楠木正成の評価が一転。
「大楠公」が「忠臣の鏡」「日本人のお手本」となった。

第二次世界大戦に敗けたことで、日本人の「世界観」「道徳観」が大転換したんだけど、終戦直後の日本は、「今日を生きる」ことに精一杯で、義経・信長・正成を評価する余裕は無かった。

今の楠木正成の評価に少なからず影響を与えたと言われているのが、戦後、吉川英治が連載した新聞小説。
この吉川版の楠木正成は戦前の「忠臣正成」像とは違う「悪党正成」として描かれた・・・室町末期~南北朝時代の悪党とは「既存支配体系へ対抗した者・階層」で、楠木正成は「朝廷(正統政権)樹立のため、鎌倉政権と戦った」という意味の「悪党」だったけど、多くの読者が、悪者・ならず者や犯罪者集団の悪党と勘違いしたため、楠木正成がTVドラマなどで扱いにくい存在となった時期があったんだな と。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
1.正成が浮上したのは、<楠木正成の評価がひっくり返ったのは、明治維新がきっかけ。>ですね。水戸史観に乗り。
2.戦後は、人気作家の吉川英治の「悪党正成」によりひっくり返った。戦前なら、書けなかった正成像ですね。
不思議なのは、一度ならず二度も価値転換させられる正成ですね。

お礼日時:2021/07/18 17:15



孝・忠ですか。

戦時中は利用されたのでしょうね。戦争に負ければ当然、消えてゆきます。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
山高ければ谷深し、ですね。(少し意味合いがずれていますが)

お礼日時:2021/07/20 16:46

誰かを旗印にして徹底抗戦した人の方が


旗印にされた人よりも責任が重い。
ということで
戦後日本の天皇制の維持のために
大事な考え方の転換だったのだろうと思います。
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この回答へのお礼

戦後の状態の解説は?

お礼日時:2021/07/19 04:48

鎌倉幕府打倒に貢献し足利尊氏らとともに天皇を助けたので、戦前の天皇に忠を尽くせとの教育方針に沿った人物として高く評価されたのだと思います。

しかし、牛若丸など絵本で親しまれる子供にも解り易い義経や草履取りから天下人となった秀吉に比べると子供には解り辛く理解し難いエピソードしか無い楠木正成は話題になる事も少なく、その為に評判が陰ったのだと思います。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
思想・イデオロギーが指針である正成は、<解り辛く理解し難いエピソードしか無く、<天皇に忠を尽くせとの教育方針>がなくなれば消える人物ですね。

お礼日時:2021/07/19 04:46

楠木正成は後醍醐天皇 を奉じ、大塔宮 護良親王 と連携して、 千早城の戦い で大規模な幕軍を 千早城 に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、 鎌倉幕府 打倒に貢献しました。

 また、 建武の新政 下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、 足利尊氏 らとともに天皇を助けました。 すなわち、楠木正成は天皇に忠義を尽くした英雄と言うことで、日中戦争から太平洋戦争にかけて、「国民精神の想起」、更には「玉砕精神」を喚起するために時の権力者である軍部に利用されたのです。 特に、昭和15(1940)年、正成を描いた映画「大楠公」は有名です。 阪東妻三郎や尾上菊太郎、月形(つきがた)龍之介といった当時の大スターをそろえた力作です。 「大楠公」は日中戦争の真っ直中、国家総動員法による総力戦体制のもとで公開されました。 正成、正行親子による天皇への忠誠で彩られたこの映画は、雑誌に「日活京都が東西総動員にて製作(中略)楠氏の苦闘受難を想起して、国民精神作興に資せんとする」と紹介されています。 戦時下に、国民意識のコントロールのために利用された楠木正成ですから、戦後一気に国民の関心が無くなったのは当然です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
まず、<天皇に忠義を尽くした英雄>として、
<国民精神作興に資せんと>
<国民意識のコントロールのために利用された>という経歴があるのですね。

お礼日時:2021/07/18 16:08

案外と単純で


昔なら講談、今なら小説などで
作品が評判になると
歴史人物の評価も違ってきます

楠木正成も
昔は講談ではよく扱われていましたから
司馬遼太郎が言っているのも
そのころの名残りなんでしょう

新撰組も
白井喬二が小説「新撰組」を書き
評判になってからは
今では誰でも知っているが
それ以前は
教科書にも載っていなかったらしい
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<昔なら講談、今なら小説などで
作品が評判>ですね。
お聞きしたいのですが、
何故、正成は、昔は<講談>に取り上げられ、今は<小説>に
取り上げられないのでしょうか?(その落差・変化について))

お礼日時:2021/07/18 14:42

戦に負けたからじゃないですか?

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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<戦に負けたから>ですね。
いつの戦いですか?

お礼日時:2021/07/18 13:50

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