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過激派の長州に、天皇征伐構想はあったのか?

質問者からの補足コメント

  • 長州における反日とは、何を示すのか?

      補足日時:2021/07/18 13:23
gooドクター

A 回答 (2件)

タイプミス訂正



>> だが、他の多くの公卿・公家の反対にあい、
>> から批判をされた。

>> だが、他の多くの公卿・公家の反対にあい、岩倉具視をはじめとする反九条派の公家達から批判をされた。
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「尊王攘夷」は天皇を国の主として奉り、「夷狄(外国人)」を「攘う(はらう=追い払うの意味)」という思想。


天皇を征伐するという考えは微塵もない。
それどころか、天皇を国家の中心とすることで諸藩をまとめ、一致して外国の侵略に対抗すべきと考えた。

朝廷内は、幕府老中・堀田正睦が日米修好通商条約の勅許を上奏した際、関白・九条尚忠は勅許を与えるべきと主張した。
だが、他の多くの公卿・公家の反対にあい、
から批判をされた。必ずしもまとまっていなかったようだが、最終的には岩倉卿の反対運動により勅許は退けられた。
そのため、幕府は勅許を得ないまま日米修好通商条約を結んだ。

長州における「反日」とは、朝廷の指示に逆らう幕府であり、外国と親交を深めることもまた、敵に靡く振る舞いであったと思われる。
このため、開国論を支持する公家や幕臣らを朝敵として暗殺した。
元々、幕府支持(佐幕派)の薩摩藩と対立していたのもその流れ。
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