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いじめられる人に責任は勿論一切ないですが、原因はある傾向にあると思います。
「いじめられる人にも原因がある。」は間違ってはないように思いますがこれを言えば批判されるのは何故でしょうか。
それを言うのを封じているから、子供達からいじめが無くならないのではないかと思います。
いじめられる人にも原因がある、いじめたくなる気持ちも分かるからこそ関わらないように意識しましょう、と教えた方が子供達も納得していじめをしなくなるのではと思います。

A 回答 (10件)

いじめられる人に責任は勿論一切ないですが、


原因はある傾向にあると思います。
 ↑
ありますね。
どこでもいじめられる、なんてのは
モロです。



「いじめられる人にも原因がある。」は間違ってはないように
思いますがこれを言えば批判されるのは何故でしょうか。
  ↑
1,原因と責任の区別がつかず
 混同してしまう。
 つまり、分析力が劣る。
2,そんなこというと、結局イジメを肯定
 する結果になり得る。



それを言うのを封じているから、
子供達からいじめが無くならないのではないかと思います。
 ↑
じゃあ、自由にしたらイジメが無くなるのか
というと、そんな簡単な問題では
ないでしょう。



いじめられる人にも原因がある、いじめたくなる気持ちも
分かるからこそ関わらないように意識しましょう、
と教えた方が子供達も
納得していじめをしなくなるのではと思います。
 ↑
子供相手に、そんな小難しい理屈が
通じるとは思えません。
問答無用で躾けた方がまだ効果的だと
考えます。
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最近は人類の総幼児化が進んでいるからな。


一言で言えば「我慢ができない」。

聖書には『はじめに言葉ありき』と明記されているのだが、自分が不快な思いをするとあっという間に忘れてしまうらしい。
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ちょっと論点がずれるかもしれませんが。



集団が意図して誰かを標的にする行為としての“いじめ“と、
それぞれ個々の人間関係が集まった結果の状態としての“いじめ“が、
十把一絡げに論じるからいじめの問題に対する意見がバラバラなんだと思ってます。

前者においては意図して集団で標的を定めてるわけですから、それは「いじめられる側じゃなく、いじめる側が悪い」といって差し支えないと思います。

後者は例えば人のものを盗むとか、暴力を振るうとか、自己顕示欲の塊みたいな言動とか、個々の人間関係で嫌われていった結果集団からハブられるという『いじめられる人にも原因がある』が成り立つことも有りえます。

また、“いじめ”の定義が、集団で(言葉を含む)暴力を振るうというわかりやすいものから、誰も相手をしない無視やシカトまで、どういう現象を指すのかも論じる人のイメージによって印象が違ってきますね。

『散々人に嫌われる行動をした結果、誰にも相手をされなくなった』もいじめだと言われれば、加害者側としては「じゃあどうしろと?」ってなりますし。

ということで、個々に様々なケースがある“いじめ”を、短絡的に『誰が悪い』とか『こうすれば解決する』って論じることが少々乱暴だと思います。
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No.1です。


いじめたくなる気持ちを理解する、だから関わらないように意識するということは、「いじめられる側に原因がある」とはっきり認めているようなもの。
子供は近づきたくない人間からは自然と遠ざかるものです。
なので「普通はいじめない」のです。頭の良い子供ならば教えなくてもわかります。
いじめるのと、離れるのは全然違います。
いじめられる原因があるとかないとかではなく人権を侵害してはいけないことが大切なわけであって、それを「原因があっても」などと大人が変な教え方をする必要はありません。
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弱いものをイジメるから非難されるのです。


強いものにはイジメるとは言わないで喧嘩というでしょ。
イジメを正当化できるものではありません。
イジメたくなる気持ちが分かると言われていることが、イジメを誘発するのです。
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>「いじめられる人にも原因がある。

」は間違ってはないように思いますがこれを言えば批判されるのは何故でしょうか。

え? それが批判される理由が分からないの?
これは簡単だよ。

いじめた側の責任逃れや転嫁に使われるから。
正当化と言い換えてもいい。
「いじめられる人にも原因がある」というその考え方自体がが間違っているということではなくて、使い方や受け取り方に問題があるということ。
加害者をかばったり責任を軽減するような発言を安易にすることが批判されて当然だろう。

蛇足ながら。
「いじめられる人にも原因がある」という言葉は、いじめられた側やいじめられそうな側が自己防衛をするために、加害者に狙われるような部分を改善する目的や、自分自身に向けて注意喚起する目的で使用するもの。
防犯や交通標語のようなもの、あるいは再被害に遭わないようにする警句。


いじめ問題を語る際に「いじめられる人にも原因がある」という発言や考え方を提示することは不適切である。
だから批判されるんだよ。
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うーん、言い方の問題じゃないかなと思います。


「原因がある」だと、「因果応報」の「因」ですから、「原因に伴う結果(いじめ)が起きても本人の責任」みたいな言い方になってしまいます。
おっしゃる通り、いじめられる側に「責任」はないし、いじめられて良いということはありません。
質問者さんの意見を正しく言うのなら、「いじめられる側に原因があってもいじめてはいけない」ではなく、
「いじめたい気持ちになる理由があってもいじめてはいけない、その場合は最低限のことだけして離れたりいじめ以外の解決策を探さなくてはならない」になるかなぁと思います。

確かにいじめられる子って、本人にそういう要素があるからどこに行っても…ってなりがちなんですよね。
(本当にそんなことはなく、ただ順番にいじめが起きてるみたいなケースは別。それなら環境を変えればいじめられないはず)
私が子どもの頃もいましたよ。不衛生で、おどおどしてて、しゃべり方も気持ち悪くて。
でも、「それがいじめの原因だ」と言うのは…だめですよね。
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いじめなど論理を説いても無駄ですね。


誰が悪いとか悪く無いとか、誰の責任とか。
子供も大人も知っていてやるわけですから。

第三者が現行犯で処罰して解決するのみです。
そこには両者成敗もあれば、片方だけ成敗もあります。
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弱者に追い打ちをかけているから、思っていても口に出せないという構図でしょうね。


どこかの国ではイジメをする方の心に問題があるため、いじめっ子がカウンセリングを受けさせられるというのを聞いたことがあります。
日本でもこの制度を導入すると少し変わるかな??
「俺カウンセリング4回も受けたんだぜ!!」でマウントするやつが出てくるだけか…
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この回答へのお礼

なんか守るべき対象というかタイミングというかがズレていってしまって、本当に守るべきモノを守れなくなっていってしまっているような国になってしまった感があります。
これが過去の先進国の末路ってことですかね。
イケイケドンドンの時に目の前の問題を問題化させないために無理やり作ったルールに今も縛られている感じかな。

お礼日時:2021/07/19 18:06

原因があっても、普通はいじめないからです。


原因があるなら他人をいじめてもいいということは、自分もその対象になったときは「自分に原因かあるから仕方がない」と思ってやられているのですか?
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この回答へのお礼

うーん、そういうことを言いたいんじゃなくて、「原因がある」からこそできるだけお互いに関わらないようにするように指導するべきだと思うということを伝えたかったです。
「いじめられる人にも原因がある」という言葉を批判するということは、子供達からすれば「いじめられる人に原因はない」ということを教えられている感覚になると思うんです。
そうすると子供達は自分がずれているとは認めたくないと思うので訳が分からなくなり異端排除という本能に従うしか無くなるのではないかと思うんです。

お礼日時:2021/07/19 17:59

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