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日韓併合条約の数年前には、大韓帝国の軍隊は日本の圧力によって解体させられていたってどこかで聞きました、これってホントな話なんですか?

そうなら、どんな手順や背景で解体になったのでしょうか? 正規の手順を踏んでいたのでしょうかね、詳しく知りたいです、歴史に詳しい人など、回答を待っていますね。

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    みなさん、特に 春閑さん と pandaloveloveさん 詳細な回答ありがとうございます。
    日本が朝鮮半島支配のために、一方的に朝鮮軍を解体させていたというのは、偏った視点だったんですね。 解体でなく吸収であったと、なんか安心しましたw。 

    ただ、もう一つ気になることが出来ました。

    日韓併合の際に、朝鮮半島の経済は借金まみれで返済不能状況に陥っており、日本が肩代わりしてあげたと聞きました。
    そのために、韓国側が臨んでいたのは対等な合邦だったのが、日本が朝鮮半島を吸収する形の併合になってしまったと。
    「返済不能な借金を肩代わりしてもらう側と、肩代わりしてあげる側が対等なわけないだろう?」ってことだとか。

    どうなんでしょう、これってホントな話なんでしょうか? 朝鮮半島の大借金を日本が肩代わりしてあげたことは、現在の韓国人は全然知らないのかなあ?

    もう少し教えてほしいです。

      補足日時:2021/07/20 20:17

A 回答 (5件)

補足について<これってホントな話なんでしょうか?>



ホントです。
日本は、台湾もそうですが、朝鮮には台湾以上に日本人の税金を投じて国土の開発整備を行い、財界からの民間投資も、莫大に投じました。そのために元々貧乏国だった日本本土、特に東北地方の開発が大幅に遅れてしまったほどです。借金返済どころではない話です。
※単なる「植民地」なら国民の猛反対で日本人の税金を国外である朝鮮開発に使うことが出来ない。だから「併合」して朝鮮も日本国内という体裁を創らなければならなかった。このように欧米から収奪される一方だった欧米の植民地とは様相が全く異なっていた。

台湾とも最初は相次ぐ反乱・暴動で多くの血が流れたが、台湾のために資金を投入し、台湾人のために汗を流す日本人の姿をみて、台湾は今に続く親日国となった。

ではなぜ、台湾以上に優遇された朝鮮が反日国家になったのか。
朝鮮には台湾にないものがあった。両班という貴族層だ。日韓併合によって日本と朝鮮は同じになったが、それは身分制度の撤廃と義務教育制度など社会の仕組みそのものの近代化にも及んだ。
庶民は、微塵制度がなくなったうえに、どんな貧乏人でも教育が受けられ、暮らしもどんどん良くなっていった。だから、今では数が少なくなったが、日韓併合時代を生きた老人たちは、「併合時代は良かった」と呟いているが、大声で云うと公園で若者に殴り殺されるという事件が起きるほどなので、なかなか大きな声では言えない状況だ。

しかし、貴族だった両班たちは、身分制度の廃止で特権を奪われ、経済的にも困窮するものが出ている。何よりも、能力が優れていなければ大きな顔をできなくなったので、当然日本を恨むものが出てくる。

日本の敗戦後、米軍主導とはいえ、今の大韓民国が建国されたが、その支配層は無知な米国人によって、日本を恨んでいた李承晩など先鋭的な反共・反日主義者たちが政権を握った。そして共産主義者な親日派を襲撃・惨殺するなどする傍らで、いわゆる反共もそうだが、日韓併合時代の日本は悪いことしかしなかったという、反日捏造史観に基づく反日教育を開始した。

近年になってようやく、一部のソウル大教授たちが執筆した「反日種族主義」という日韓併合時代の真実を語る勢力の書籍がベストセラーになるような状況になったが、基本的には今の韓国民はほぼ全員が反日捏造史観に一度は洗脳されている。

だから、日本の借金肩代わりや莫大な資本投下も、知っているとしてもその意味をまともに理解はしていない人がかなり多い。ただただ、欧米植民地のように収奪される一方であったとしか教えられていないのが実情だ。
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この回答へのお礼

さらに回答ありがとです。
ふむふむ、朝鮮半島の両班階級こそが反日感情を持っていたために、戦後に支配体制を引きつつ反日捏造史観による、反日教育を韓国民に施してしまったと。 困った人たちですね。

日本は朝鮮半島へ莫大な資金を投入して、近代化させた一面もあるというのに・・・。

韓国人もちゃんと客観的に日韓友好の歴史を見つめなおしてほしいもんです、ベストアンサー差し上げますね。

お礼日時:2021/07/27 19:51

日韓併合前の朝鮮は、とっくに国家の体を成していなかった。

元々借金だらけで財政破綻していたところに、閔妃がロシアに国を切り売りして得た莫大な資金を私的流用して贅沢三昧と占いに使い込んでだことがダメ押しになった。

已む無く日本が保護管理することで国費を賄ったが、日本だって貧乏国だ。無駄なお金は使いたくない。だから、国費の15%を占めていた軍の維持費をカットすることにした。
軍は士官のみとし、王宮警備の兵だけを残して、残りは解雇したわけだ。
このような形は現在の自衛隊に近い。自衛隊は兵を指揮する士官の割合が非常に高い。有事の際は兵を徴兵して即席の訓練をすれば、指揮官は一杯いるのですぐに大軍を編成することができるのだ。

そういう形だから、厳密に云えば、朝鮮軍を解体したのではなく、骨と頭脳などの神経組織と必要な部分を残して筋肉を必要最小限に削ぎ、必要に応じて筋肉を付ければ大丈夫と云う体制に、大胆にスリム化したと云ったほうが正しい。

結局日韓併合と云うことになったので、朝鮮軍は日本軍に吸収されることになった。
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よく日本が韓国軍(大韓帝国軍)が目の上のたん瘤なので


解散させたと思われていると思います。
Wikiもそのような書き方ですが、実際はすこし複雑です。


第三次日韓協約の覚書の内容を見てみましょう。

ttps://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pw/19070724.T1J.html

 第三 左記ノ方法ニ依リテ軍備ヲ整理ス

  一 陸軍一大隊ヲ存シテ皇宮守衛ノ任ニ當ラシメ
    其ノ他ハ之ヲ解隊スルコト
  一 教育アル士官ハ韓國軍隊ニ留マルノ必要アルモノヲ除キ
    他ハ日本軍隊ニ附屬セシメテ實地練習ヲ爲サシムルコト
  一 日本ニ於テ韓國士官養成ノ爲相當ノ設備ヲ爲スコト

一部の近衛兵と将来有望な士官候補は残して日本軍が教育して
将来の韓国軍復活の準備をしています。
解散の方法については、1907年7月28日付の往電第105号によると

 韓国軍隊解散の順序
  第一.軍隊解散理由の詔勅を発す
  第二.詔勅と同時に、政府は解散後の軍人処分に関し布告を発す。
   此の布告中には次の事項を含ましむ。
    一.侍衛歩兵一大隊を置く
    二.侍從武官若干名を置く
    三.武官学校及幼年学校を置く
    四.解散の際、将校以下に一時金を給与す
      其金額、将校に在ては俸給の概ね一ケ年半に相当するもの
      下士以下に在ては概ね一ケ年に相当するもの
      但し一ケ年以上兵役に服したるもの
    五.将校及下士にして軍事学に素養ありて、体格強健、
      将来有望のものは、一.二.三.号の職員又は
      日本軍隊に附属せしむ
      但し下士は日本軍隊に附する事なし
    六.将校及下士にして軍事学素養なしと雖も、
      普通の学識を有するものは採用す
    七.兵器弾薬の返納をなさしむ

 軍隊解散の方法
  第一.軍部大臣は、軍部の主なる職員及憲兵司令官・旅団長・
     歩兵連帯長・歩兵大隊長・騎砲工兵隊長を集め、
     詔勅を伝へ、且つ解散順序第二項の布告を示す
  第二.前項諸官は、直に各々其部下に対し、
     大臣より伝へられたる詔勅及布告を達す
     此際、各隊長と共に、日本兵約二中隊を各兵営に
     同行せしめ、要すれば兵力を使用す

  備考 第一項歩兵大隊長中には地方のものを含む  

実際の要領は以下の資料に掲載されています。
「韓国駐箚軍 韓国軍隊解散に関する件」
(アジア歴史資料センターレファレンスコード:C03022884200)
内容はやや詳しいけどほぼ同じなので自信があれば読んでみてね。
では、何故解散させたかを詔勅で確認してみましょう。

 韓国軍解散詔勅
  朕惟ふに、国事多難なる時に値り、極めて冗費を節略し、
  利用厚生の業に応用するは今日の急務なり。
  窃に惟ふに、我現在軍隊は傭兵を以て組織せるが故に、
  未だ以て上下一致、国家完全の防衛と為すに足らず。
  朕は今より軍制の刷新を商り、士官養成に力を專らにし、
  他日徴兵法を発布し、鞏固なる兵力を具備せむとす。
  朕茲に有司に命じ、皇室侍衛に必要なるものを選置し、
  其の他は一時解隊せしむ。

簡単に言うと、お金がないから。
「韓国財政概況」(国立国会図書館 info:ndljp/pid/799648)
P9にこの頃の韓国各年歳入歳出換算表があります。
光武10年(1906年)では歳入が約750万円ですが、
実は軍事費は約120万円と15%を占めます。
これでそれなりの軍が維持できるならいいのですが、
旧式装備を更新できず軍事力としては周辺諸国に大きく劣ります。
このため、国防などの軍事は一部を除いて日本に任せて
一度解散して将来の再軍備に備えました。
(結局はその方が楽なので、残した設備は適宜廃止しました)

実際は韓国国内での根回しができずに詔勅を聞いた大隊長の一人が自決、
韓国軍の暴動から義兵運動に発展しました。
この時の詳細は書くと長いので興味があれば以下の資料を見てください。

「憲兵司令部 韓国軍隊解散に関する報告の件」
(アジア歴史資料センター レファレンスコード:C03022880600)

Wikiが参考にしている朝鮮王朝史(2006年)とはかなり違います。
Wikiは油断するとすぐに韓国にとって都合がよい内容になります。
Wikiで基礎知識を得るのは構いませんが、近代に創られた韓国製の
歴史資料では仕入れても役に立ちませんから注意しましょう。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93 …

とりあえずWikiで基礎知識を仕入れたらどうですか?
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当時は外国とのパイプが無かったんでしょ...有れば武器が輸入できる



何かで読んだが、武器を持ってる人集合したら火縄銃10丁、ライフル数丁と猟銃とか書いてましたから軍隊自体無かったんでしょう
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