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源頼義の三人の息子がそれぞれ元服した神社に祀られていた神様が、一門、庶家の子孫まで御加護がある神様となりましたが、なぜ三男は、新羅国の神様だったのでしょうか?

長男
源義家(八幡太郎)八幡大菩薩を祀る神社で元服

次男
源義綱(賀茂次郎)賀茂大明神を祀る神社で元服

三男
源義光(新羅三郎)新羅明神を祀る神社で元服

A 回答 (1件)

> なぜ三男は、新羅国の神様だったのでしょうか?



源頼義=河内国石川郡壷井荘
平直方=たぶん 京都のどこか
源義家=山城
源義綱=賀茂
源義光=大津

元服を氏神の下で行うという発想ならば、それぞれの勢力圏をもつ神社に息子を結びつけるのが有利だと思ったからでしょう。
延暦寺は、山門と寺門で抗争するときでしたが、頼義は園城寺(寺門)に戦勝祈願をし、三男源義光を園城寺北院の新羅善神堂で元服させ、結びつきを高めたのでしょう。
新羅善神堂は、足利尊氏が再建、秀吉も特別な配慮をしたそうですから、当時にはとても神威のあるものと考えられていたのでしょう。

~三井寺縁起~   『古今著聞集』によると・・・
 850年、日吉山王権現の託宣を受けて唐国へ渡った智証大師。
 その時、大師の前に現れたのが新羅明神。
 帰国後、大師の前に再び現れた新羅明神は、三井寺の地に寺院建立を勧め、大師の仏法を守護することを約束する。
 大師が三井寺を訪れると、そこには教待和尚という162歳になるという老僧が待ってた。  教待和尚は、天智天皇の子孫・大友都堵牟麿を呼び出して三井寺建立の由来を語らせ、「長年、寺を管理してくれる者を待っていた」と話し、大師に寺を寄進すると姿を消してしまった。 教待和尚は弥勒菩薩の化身で、琵琶湖で亀や魚をとって食していたが、庵にあった亀の甲羅や魚の骨が蓮華の花に変わっていたのだといいう。
 その頃、三井寺は天智・天武・持統の三天皇が誕生したときに産湯に用いられたという「三井の霊泉」があることから「御井寺」で呼ばれていた。
 大師は、「御井寺」を「三井寺」に改め、唐から請来した経巻法具などを納める唐院を建立し、三井寺を中興したのだと伝えられている。
園城寺新羅善神堂 新羅善神堂は、三井寺北院の鎮守神・新羅明神を祀る。
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