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世界史を勉強している高校生です。
参考書にオスロ合意を結んだ後、ユダヤ急進派がラビンを暗殺したことから、双方は武力路線に立ち戻りイスラエルのシャロン首相はパレスチナ自治区に侵攻したのようなことが書いてあるのですが、どうして両者に緊張が走るようになったのかよくわかりません。ユダヤ急進派はイスラエルにいるはずだからイスラエルの内輪揉めでパレスチナは関係のないように私は思います。どなたか解説をお願いします。間違いがあったら容赦なく指摘してくださると助かります。

gooドクター

A 回答 (2件)

間違いというより「前提」が理解されていないのだと思います。



ユダヤ人というのは、今から1万3千年前ぐらいから1万年ぐらいまで存在したイスラエル王国の末裔で、紆余曲折がありながらもこの地域にユダヤ人は住んできました。最終的にユダヤ人がイスラエル地域から追い出されるのはこの地域がローマの属領(ユダヤ属州)になり、ユダヤ人たちがローマの支配に反発して内乱を起こしたからで、その結果ユダヤ人はこの地域を追い出されて世界に散ったのです。

ユダヤ人からすれば「1万年以上前から俺たちの土地だ!」と言う認識で「イスラエル国再建」は悲願だったわけです。

 ちなみになんでユダヤ人がローマ支配に逆らったかと言うと、ローマが「属州なので税金を払え」と言ったからで、ユダヤ人は「神に捧げものをしても、ローマ人には金を払わない。私たちの主人は神だけだ!」と拒否したからです。

さて、ローマは内戦で勝ってユダヤ人を追い出しましたが「ローマに税金を払う人はここに住んでもいい」ということで、税金を払うことを選択した人たちもいました。ローマはこの地域をシリア・パレスティナという名前に変えました。

今の「パレスチナ人」というのは「ローマ時代にユダヤ人が出て行った後もずっとこの地に住み続けた人達」で、彼らからすれば「ローマに負けて出て行ったくせに、今更戻ってきて国を作るなんてありえない、ここパレスチナはパレスチナ人の土地だ!」という認識になるわけです。

ということで、第2次大戦後にイギリスがイスラエル建国の約束を果たし、ユダヤ人が集まってくると、パレスチナ人は猛反発したわけです。そりゃ、まあ、そうですよね・・

で、イスラエルを再建したユダヤ人と今ではイスラム教徒になったパレスチナ人は激しく戦い、パレスチナ人を応援するイスラム教国も参戦して中東戦争が何度かおきています。

PLOは特に第三次中東戦争でイスラム側が負けてから独自のテロ路線を取るようになり、イスラエル政府はこれを強く取り締まるようになります。

これによりユダヤ人にもパレスチナ人も多くの犠牲を出し、その悲惨な状況を救うためにオスロ合意が為されるわけです。

さて、オスロ合意をしたラビン首相は、ユダヤ人急進派つまり「この土地は1万年以上前からユダヤ人の土地なんだから、パレスチナ人なんて皆殺しにしてもいい!」と思っている人達からすれば「穏健派=バレスチナ人の味方でユダヤ民族の裏切り者」になるわけです。

だから急進派はラビン氏を殺害し、イスラエルの政府指導者に「テメーら、パレスチナの味方したらコロスゾ!」と脅しをかけたのです。

当然誰だって殺されるのは嫌だったし、この急進派のテロ行為が思った以上にイスラエル国民の支持を得たので、当時政権にあったシャロン首相はパレスチナに侵攻せざるを得なくなり、当然パレスチナ側も態度を硬化させることになり、和平が遠のいたわけです。
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間が飛んでますね。



ラビンは軍のトップや国防相を経験していて軍への影響力があり、カリスマ性もあった強力な首相でした。
パレスチナ和平はユダヤにもパレスチナにも賛成・反対がありましたが、ラビンは反対派を抑えて、和平の成立に成功しました。

この状態でラビンが暗殺されてしまったので、次の政権が和平路線でなければ和平合意が履行されないでしょうし、強力な政権でなければ反対派を抑えられなく和平合意が履行されないかもしれません。
イスラエルの政権によって和平合意がどうなるかが決まるので、パレスチナにも関係あるわけです。

で、実際はラビンを継いだペレスは和平路線でしたが反対派を抑えられず、パレスチナ側の和平反対派はテロを何度も起こしました。
イスラエルの世論はテロを抑えるためにネタニヤフを首相にしましたが、この人は和平合意を履行せずパレスチナ全体の反発を買いました。

ネタニヤフが汚職で失脚した後、和平はのバラックが首相となりました。
しかし、ネタニヤフが和平合意を守っていなかったことと、パレスチナ側が一切の妥協をしなかったためうまくいきませんでした。

このときに政権を狙っていたシャロンがパレスチナ側を刺激して対立関係を煽り、それを利用して「強硬派」として選挙に勝ちました。
シャロンが首相となってパレスチナとの関係はさらに悪化し、軍事侵攻に至り和平合意をぶち壊します。
ところが国際世論や国内世論の反応を読んで、シャロンはあっさり「和平派」に転身します。
シャロンは軍の出身で実力もあったので、この和平路線は期待されていました。
ところがシャロンが急病で倒れ、次に弱い政権ができたのでうまくいきませんでした。
その後、ネタニヤフが復活して長期政権につき、結局和平合意はうまくいってません。
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