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江戸時代以前は、日本の地方を東海道、南海道、西海道などと大きく分けていました(五畿七道)。
その中で「方角+海」の地名については、面していた海をそう呼んでいたから名付けられたと考えられます。

すると、昔の日本人の海の呼び方は、京都を中心として、
日本海=北海
太平洋(紀伊半島より東)=東海
太平洋(紀伊半島より西)=南海
東シナ海=西海

と呼ばれていたのでしょうか?
今でも、東海道新幹線、JR東海、南海電鉄など、鉄道会社の名称に痕跡がありますし、そう考えてもよいでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 東海道・南海道・西海道は海路でなく、陸路であり、五畿七道の1つである広域行政区画でもあります。
    東海道五十三次は海路でしたか?違いますよね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/07/25 15:14
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A 回答 (2件)

古代のことに詳しくないのですが、天武、持統、文武天皇のころは文化的素養は仏教から得ていたのだとすると、四海、海内などの言葉は世界とか支配地域のような意味であって、ウミ(海水の海や淡水の水域)のことではない使い方をしていたのではないかと思います。


七道でも、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の「海道」は「ウミのミチ」ではなくて、「広域監察区・地域」のような意味だったのかもしれません。

これもよくわからないのですが、九州の中にいくつかの県があります、北海道は九州より広いです、京都府や大阪府は広さから言えば県並みです。 もしかすると、どこかに、道>州>県のような意味を持たせる考えがあるのかもしれません。 府は広さではなく、広さでは県規模だが、国家としては重要な機能を果たすところのような意味があるのかもしれません。 府内、府中って統制機構や官庁と関係がありそうですもの。

古代に、山陰の北の海を北海、九州・四国の南の海を南海と呼んだ可能性は高いのでしょう。 詳しい情報がないからおおざっぱに北海とか南海と呼んでそれで済まして、瀬戸内海のように情報を詳しくもっていて各小区域の特徴も知っていれば、おおざっぱな呼称は使わず、~~灘とか港や島の名前を使ったのでしょう。 
七道についても畿内に比べて情報が少なく、また詳しい情報など関心もなかったので、巡察使を派遣して、戸籍や徴税をちゃんとやれ!と命じる程度の関心だったのでしょう。 反乱などのおそれがなければ、それが巡察使の役目だったのでしょう。
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>面していた海をそう呼んでいたから名付けられたと考えられます。


考えるのは自由ですが違いです。

名付けられた当時の長距離交通の主役は海路です。
都から東の海路が東海道、西が西海道、南が南海道、陸路が東山道、北陸道ですね。
この回答への補足あり
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