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日本はサンフランシスコで対日講和条約が調印された翌年の1952年8月に世界銀行に加盟し戦後の復興に必要な多額の資金を借り入れたようです。1953年に調印された火力電力プロジェクトに対するもの、1950年代の貸出は、鉄鋼、自動車、産業、造船、ダム建設を含めた電力開発。1960年代に入ると、道路・輸送セクターが主な対象となり、名神高速道路や東海道新幹線などの建設への貸出が行われたということですが、そもそも何故世界銀行から資金を借りる必要があったのでしょうか?私のイメージでは、何となく当時の日本は貧しかったのが理由だと考えていましたが‥
逆に今は世界銀行から借りる必要が無い理由も教えて頂ければと思います。

gooドクター

A 回答 (4件)

ちゃんとしたことは分からないのですが、


たぶん、というようなあてにならない想像ですが、

戦後のインフレーションについて、ネットに次の記載があります。
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概説
第二次世界大戦中の大日本帝国政府の借入金総額は国家財政の約9倍に達していた。戦争中は統制経済と戦時国債の個人購入で資金を吸収することで戦争時のインフレーション傾向を抑えていたが、敗戦でこの仕組みが崩壊し、インフレーション傾向が一気に表面化した。太平洋戦争で約300万人の死者を出し、建物は約25%を失い、生産機械を35%を失い、船舶の80%を失った。戦争による生産設備の破壊により民間の生産力が回復しておらず、また当初は非常に多額の敗戦国戦時賠償が予想されており、また民間設備や資産への復興需要が予想され、あるいは政府が軍発注物資の代金支払いによる通貨の供給過剰などを原因として高率のインフレーションが懸念されていた。日本国政府は当初このインフレリスクに対しては、臨時軍事費の支払を補填するものであり楽観視していたが、日本銀行およびアメリカ合衆国政府は、賠償金の支払いや民間復興需要の点からハイパーインフレーションを懸念していた。

日本国政府は、1945年12月に預金封鎖と新円切替など立法化し(翌2月に緊急措置)通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、傾斜生産方式による復興政策が始まると、復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、インフレが発生した(復金インフレ)。
インフレーションを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース、闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の上昇率はこれより低い)。敗戦後のインフレは年率59%であった。1947年のインフレ率は125%となった。
このインフレの原因は、戦前から戦中にかけての戦時国債、終戦後の軍人への退職金支払いなどの費用を賄うために政府が発行した国債の日本銀行の直接引き受けとされている。第二次世界大戦中に発行した戦時国債は、デフォルトはしなかったが、その後戦前比3倍の戦時インフレ(4年間で東京の小売物価は終戦時の80倍)によってほとんど紙屑となった。また、これらインフレーションへの対策の一環として、1946年秋には浮動通貨の吸収を緊急の目的に日本競馬会による競馬が再開されている。

アメリカから大統領特命公使としてデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが派遣され、ドッジ・ラインと呼ばれる経済政策(超均衡予算と復興金融債の復興債発行禁止など)を立案・勧告した。ドッジ・ラインの実施によって、インフレーションからデフレーションに逆に大きく振れる結果となり、物価は安定したものの資金の引き上げや貸し渋りによる企業の倒産と失業が増加し、安定恐慌と呼ばれた。朝鮮戦争の勃発により戦時物資や役務の調達に伴う需要が増大し、この特別需要(朝鮮特需)により、生産活動が活発化して景気が上昇し、緩やかなインフレーションに移行した。

1950年前後の消費者物価上昇率は約15%で、名目経済成長率は30-40%に達し、15%くらいの実質経済成長が達成されている。
1954年からは高度経済成長が始まり、ゆるやかなインフレーションが進んだ。高度経済成長期は、消費者物価上昇率4-8%のインフレが続いた。1956-1972年のインフレ率は平均で約4.5%であった。
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このような状態で、長期の融資をするでしょうか。 利息をいくらに設定して融資をするでしょう。 小口の民間融資で確実に回収できそうな短期融資は市中銀行と民間企業でも個人でも行えるでしょう。 けれども、火力電力プロジェクト、鉄鋼、自動車、産業、造船、ダム建設を含めた電力開発、鉄道・高速道路のようなインフラ整備や基幹産業への大型資金投入への融資は簡単ではないです。国債発行や政府の赤字投融資では、インフレをひどくするし、その金利設定も大変です。
ところが、アメリカがドルで融資してくれて、これをドルで返すのであれば、為替レートの問題はあるけれど、状況が違ってきます。
アメリカ側の検討の結果は、①日本の信用力はきわめて低い ②日本はアメリカに依存して国際収支の辻褄を合わせているが、今後数年間日本の資金の面倒を見る責任がアメリカ政府かぶさってしまう ③日本側が融資を希望するなら将来の債務返済の何らかかの保証か見通しが必要である ④世銀は優先順位の高い電源開発計画(1つないしそれ以上)に対して若干の融資を行う用意があるという程度のものだったようです。
日本政府は、すでにある借款の返済でも資金が必要で、一方でインフレで、経済復興も進まないという最悪の事態を回避するために、世銀が想定するよりも大型の融資を希望してアメリカ政府に働きかけたようです。
アメリカ政府は、日本の政治的経済的安定はアメリカの国益に適うとして、いろいろバックアップしたし、アメリカ内の大企業も日本でのインフラ投資でのビジネスに期待を強く持ってアメリカから日本への資金融資を望んだことが、借款を実現させたのでしょう。


今は世界銀行から借りる必要が無いというか、ODAで開発途上国に円借款で貸しているくらいです。 それだけの稼ぎが、国際収支でできているということでしょうか。

第二次大戦後は、フランスなども結構多額を融資してもらっているそうです。 1962年の融資残高多い国の順
インド
日本
フランス
オーストラリア
パキスタン
ブラジル
メキシコ
コロンビア
イタリア
アルゼンチン
イギリス
イラン
タイ
ベルギー
「日本はサンフランシスコで対日講和条約が調」の回答画像2
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました。
非常にわかりやすいご説明で感謝いたします。
やっぱり戦後はインフレ率と物価の上昇率が高かったことにより、当時としては世界銀行から借りるという選択が適切だった‥と言う解釈でいいのでしょうか?
大変勉強になりました。

お礼日時:2021/07/30 21:32

世銀は、第二次世界大戦後の復興に向けて米国が中心となって設立された。


元々は荒廃した西欧を再建する狙いだったが、必要な資金が膨大過ぎたため、米国はマーシャルプランを西欧各国に提示し、米政府が直接支援に乗り出すことになった。

それで世銀は西欧以外の戦災復興・開発途上国支援に回ることになった。
しかし、当時の世銀は金利が安いものの、貸出対象が政府のみで、しかも世銀にそれなりの金額を出資することが条件づけられていたため、貧乏国には利用しにくい銀行だった。

日本も占領されている頃は敗戦で全国主要都市が焼土と化した貧乏国だったので世銀は利用できなかった。
しかし、独立したころに勃発した朝鮮戦争の特需でかなり儲けたので、1953年になってようやく世銀に出資することができ、世銀から長期低金利の資金を借りることができた。

その資金で新幹線や高速道路も建設できたわけだが、1964年には東京オリンピックを開催するなど、国内外に復興が完了し、再び先進国の仲間入りしたことを印象付けた。

その頃には多くの開発途上国も世銀に出資できる程度には経済力が高まっていたので、「もう日本が世銀の資金を借りる必要はないでしょ!日本に貸すお金はこっちに回せ!」という大合唱が沸き立ち、世銀は日本を新規の融資対象から外すことになった。
日本は世銀のお金を借りる必要がなくなったのではなく、借りる資格がなくなったというのが正解だ。

今現在の日本は、世銀の5大出資国のひとつであり、理事も送り込んでいる。
つまり借りる側から貸す側になったということだ。
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> 当時としては世界銀行から借りるという選択が適切だった‥と言う解釈でいいのでしょうか?



というよりも、国内では事実上資金の捻出ができないし、資金を貸してくれそうなのは、世銀以外になかったのではないでしょうか。
巨額の借り入れをしなければ、事実上経済が破綻してしまうので、それ以外には道はないと、政府、大蔵省は考えたのでしょう。
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わかっていて聞いている感が強いが。


戦争直後には、日本の都市の殆どがアメリカ軍によって爆撃を受け、廃墟と化した。
食べるものもないという状態のために、飢えて死ぬ人が後を絶たないという状態だった。
こうなると天皇は何を食べていると言うことになり、政府や天皇に向かって食べるものをよこせというデモが連日続くと言うことになった。
今なら考えられないことだが、たくさんの人が天皇家の住まいである御所になだれこんで、食事内容を調べて公開した。
そして天皇が驚くほどに豪華な食事をしていることが発覚し、天皇の戦争責任と併せて天皇に対する不満が増大すると言うことになり、とにかく飢えているやつに食わせないとだめだと言うことになって、アメリカに頼んで援助物資を送ってもらうようにすると同時に、復興のための資金を世銀に依頼したのだ。
その後世銀から借りたお金を使って投資を行うと同時に、朝鮮戦争という特需が起こった。これが起爆剤となって高度経済成長ということが起こり、短期間で経済は戦前を超えるまでに回復した。
飢えることがなくなれば、天皇に対する戦争責任も曖昧になり、今は、借りていたお金の全てを返済し、逆に世銀に出資しているという状態だ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。戦後日本がそのような状況だったので、インフレ率の高さも関係して世界銀行から借りたという解釈は間違いでしょか?

お礼日時:2021/07/30 17:25

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gooドクター

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