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徳川幕府の歴代将軍はどれほど実質的権限を持っていたのですか?将軍は儀礼的な権限しか行使しておらず実際上の国政は将軍以下のものが行なっていたと聞いたことがあるのですがどうでしょうか?

A 回答 (5件)

教科書でもお馴染みの「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」を考えれば分かりやすいと思います。

享保の改革は将軍が行っていますが、後の二つは将軍ではなく老中が行っています。他の回答にも少し書かれてあるように「将軍の意向や実力次第」と言う事になります。7代将軍家継は今なら「幼児」と呼ばれる年齢で将軍職に就いて満7歳になる前に他界したので、このような場合は実権もヘッタクレもないでしょう。
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個人のパーソナリティーの違いにより、老中に丸投げの人から何でも自分に具申させて決裁しないとすまないのまでピンキリです。


カチッと制度として権限が決まっていたのではなく、なんとなく前例踏襲ですから、将軍の政治意欲次第です。
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三代目の家光のとき、家光が病気に


なり、政治に支障が出ました。

それで、老中という制度を作り
以後は、この老中が実際の政治を仕切って
いました。

じゃあ、将軍は何の権限も無いか、といえば
そうではなく、将軍がダメといえば
どんな政策も通すことは出来ませんでした。

将軍はそうした権限を持っていました。

例外的に、8代将軍吉宗は、幕藩体制に
危機感を抱き、享保の改革など、自ら政治を
推し進めました。

他は徳川慶喜ですか。

つまり、初代家康から三代目まで、
また、8代、15代は大きな権限を
持ってそれを行使していました。
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家康、吉宗は、絶対的な権限をもってました。


5代の綱吉も、生類憐みの令を強行したことから、強い権限を持っていたと推察。
二代の秀忠や三代の家光あたりは、先代が生きていて大御所として上にいましたから、その間は権限も半分ぐらい。
田沼、松平定信、水野忠邦などの知名度が高い時期は、権限ほとんどを下に一任だったでしょう。
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吉宗のように独裁色の強かった将軍もいるしさっぱり目立たない将軍もいるし。


一つ確かなのは、最終決定権は間違いなく持っていたということ。

いくら老中が満場一致で議決しても、将軍が「不可」とすれば政策にはならない。
そういう決定権を握ることが権力を握るということであり、逆にそれさえ握っていれば他のことはお飾りでも天下人として立派に君臨できる。

ただし、それを行使するにはそれなりの熱意と責任感と能力とカリスマがなければならない。
何しろ引退するまで日本の命運を左右し続けるのである。

熱意がなければ「よきに計らえ」となる。
責任感がなければ行き当たりばったりの政治になる。
能力がなければ正しい判断ができない。
カリスマがないと老中たちに操られる。

そういうものが将軍によって違っていた、ということ。
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