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春宮と東宮は意味が同じというのに、なぜ「春」であり「東」であるのですか。

A 回答 (3件)

こちらのサイトを参考にしてください。


http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_mikado …

参考URL:http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_mikado …
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古代中国の五行思想で、つぎのような対応があると考えたところがもとです。



┌水┐  ┌黒┐  ┌北┐  ┌冬┐
金土木  白黄青  西中東  秋○春
└火┘  └赤┘  └南┘  └夏┘   
                   ○は土用、四季に配分

木=青=東=春
火=赤=南=夏
土=黄=中央=土用
金=白=西=秋
水=黒=北=冬

No.405751の回答、特に#2もごらんください。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=405751
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 参考になるかどうか分かりませんが、東宮と春宮は現在は同じものを指しますが、昔は東宮は皇太子の教育を担当し、春宮は皇太子の生活上の世話を担当していたのだと思います。



 皇太子に奉仕する職員の確実なる初見は、697年持統天皇が軽皇子(文武天皇)の立太子に当たって任命した東宮大傳(ふ)、東宮大夫(だいぶ)、春宮亮(すけ)であるが、律令では、東宮傳・東宮学士および春宮坊が置かれた。傳・学士は皇太子の補導教育を任とし、春宮坊は皇太子の家政機関である。春宮坊には、大夫・亮・進・属の4等官を置き、舎人・主膳・主蔵の三監(げん)および主殿以下六署を管轄した。また、光仁天皇の宝亀七年(776)初めて春宮坊に帯刀(たちはき)舎人十名を置いたが、後増員して三十名を定員とした。東宮に侍衛し、非常を警備するのを任とし、後には武士を選任することも多くなった。
 
 明治維新後の新官制では、春宮坊に傳・学士および大夫・亮などを置くことを規定したが、明治二十二年嘉仁(よしひと)親王(大正天皇)の立太子に当たり、東宮職官制を定め、東宮職に東宮大夫・東宮亮および東宮侍従長・東宮侍従・東宮武官などの職員を置き、更に二十九年東宮侍講を任じ、三十三年皇太子成婚後は東宮女官を置いた。

 (参考)帝国学士院編『帝室制度史』第三巻(皇位継承)。

 
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