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パラリンピックってどういう見方をするのが正しいんですか?

「あー、あの人足が1本無いのにめちゃ頑張ってるなあ。私は足が2本あるから頑張らないとなあ」

みたいな感じで見るのが正しいんでしょうか?

スポーツを見て

「勇気をもらった。夢をもらった」とか言う人いるじゃないですか。

あの感覚が分からないんですよね。

テレビで障害者が走ってるの見て勇気とか夢とかもらえる人の感覚ってどういうことなんでしょうか?

たぶんそういう事言ってる人も明日から普通に会社通勤して仕事して家に帰って寝てるんでしょうから、夢とか勇気ってあっても無くてもどっちでもいいんじゃないかと思いますね。

勇気もらって何をするんですか?

パラリンピックってどういう見方をするのが正しいんですかね?


障害者に関しても「足が一本ないのはあなたの自己責任ですよね」って感情が先に来るので、足が1本無いとかアピールされても知らんがなそんなもんって感じです。


先天性とか自分ではどうにもならないことだとか主張されても

私自身就職氷河期に大学卒業して就職できずに非正規雇用で苦労しましたが、それに対しても自己責任で片付けられてきたので、障害者にも同じような感情しかないですね。

苦しい状況は自己責任、日本はそういう国ですし、日本人はそういう国民性です。

苦労するのは自己責任です。

パラリンピックで障害者が運動してるのを見て勇気もらったとか言ってる人は、それもらって何に使うんですかね

A 回答 (10件)

勇気をもらったと言っていれば


障害者のことを理解したような気持ちになれるからでしょう。

ま、あまり本気で突っ込まないほうがいいような事ですけどね。
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障害者とか関係なく単純に、


頑張って活躍している姿、困難を乗り越えていく姿勢がカッコいいから。
パラリンピック見ただけで、就職氷河期も自己責任で乗り越えてきてどうのこうの思う人もいるんですね。
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健常者ではなく、同じ障害を持った方に勇気を与えるんだと思いますよ。

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車椅子ラグビーでは、障害の軽い人が重い人を助けるが、逆に障害の重い人も軽い人が動きやすいように敵をブロックしたりします。

これは深いですし、面白いとも思いました。
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足がないと聞いてこの動画を思い出しました。



この方は、足がない、腕がないと言うことに同情は求めてないですね。むしろ同情を拒否して、自分も他の人たちと同じように頑張れるんだって生き方をしてるんですね。
パラリンピックの選手も同じじゃないですか同情は求めていない。

質問者さんは、「就職氷河期に大学卒業して就職できずに非正規雇用で苦労」という経験を他人から可哀想だと同情して欲しいですか。同情されたらむしろ腹が立つでしょ。

①ハンディを背負った人たちにとって、それを背負っていない人たちから可哀想だね、頑張れよと同情されても、ハンディを背負っていない人の上から目線に不快になるだけ。
一方、
②誰かが一生懸命に努力して成果を上げて、素直にその努力を認めて、凄いね、私も頑張らなきゃと感じることも大事

①の上から目線の評価と、②の対等の評価は全く違うんですが、一緒くたにされることが多いんですね。報道の仕方にも問題はあると思います。パラリンピックの選手について普通の人たちと違う可哀想な人たちだと、お涙ちょうだいの感動を誘おうとしますね。

だけど、基本はハンディがあるなし関係なく①と②は区別すべきだと思います。

もう一つ気になるのが
>日本はそういう国ですし、日本人はそういう国民性です。
全ての人が①と②を混同しているわけでは無いと思います素直選手の努力をたたえている人もいるんじゃないでしょうか
>苦労するのは自己責任です。
みんな多かれ少なかれいろいろな苦労を背負っています。苦労する事が自己責任ではなく、苦労を背負った上で、どんな生き方をするのかが自己責任です。
引用した動画で言うと、右腕と右足を失った後、社会に背を向けて引きこもるか、バイクに見切りを付けて別の生き方を探すか、バイクに拘る生き方をするか、どんな選択肢を選ぶかが自己責任です。
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お前の好きなように見ればいいやん


誰もお前に勇気を持つために見ろなんて言ってないだろうが
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障碍者が頑張ってるのを見ると、自分は五体満足でよかった


ラッキーだと潜在意識では喜んでいるんです
それが顕在意識に「元気をもらった」という形で
現れるんでしょう
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人は皆心に闇を持っています。

ですから表向きは貴方が言うように「勇気をもらった..」と人には言うでしょう。しかし、内面ではどう思っているのかは他人にはわかりませよね? どう持ってるか書くと削除の対象にあってしまうので書きませんがご想像願います。

>苦しい状況は自己責任、日本はそういう国ですし、日本人はそういう国民性です。苦労するのは自己責任です。

人生は自身で選ぶものですから正論です。しかし日本はまだ恵まれている国だと思いますよ。

わたしはそもそもオリンピックとパラリンピックを別に開催すること自体、障碍者に対する最大の差別ではないかと思います。
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どういう味方をするのかは人それぞれだとおもいます。

それに対してパラリンピックに出場されている方々への批判的な物はいかがなものかと。
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うーん。

なんて言うのでしょう。
あなたの苦労は目に見て分かりませんよね。
でも足が1歩ないことは目に見て分かります。だから勇気貰うんだと思います。
私は足が1歩ない人が走ってて勇気貰えます。
歩き疲れた時にふと思います。
あの人は1歩で頑張ってた。私は2本あるんだからこんなんで疲れちゃダメだ!!と。
しかし障害者の方を見るのがあまり好きではありません。
可哀想と思ってしまうのです。彼らは幸せに笑顔で生きててもやっぱり心のどこかで可哀想って気持ちに、、、
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