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自分を犠牲にして人に尽くすということは良いことですか。

質問者からの補足コメント

  • 自分より他人のほうが大切ってことですか。

      補足日時:2021/09/01 13:42

A 回答 (6件)

当人がそれで一点の曇りもなく納得できてるんなら、良いことだと思います。


ですが、「なんで私ばっかり」「どうして、尽くすばかりで、私に尽くしてくれる人はいないのだろう」等と思ってしまうのなら、良くないことですね。
人に尽くすのと同じくらい、自分自身も大切にしてあげないと、自分の身体や心が可哀想。
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あまりいいこととは思いません。



よく勘違いされたりしますけれど、人に尽くすのが好き、又は、得意な人というのは、あれらが本能(自らの心の声)に根ざした行動であるからこそ、何ら苦労も感じることなく続けられるのです。

だから世間ではよく、自分の好きなことをして生きていきましょう、なんてことが言われたりもしますが、私でもキリスト様でもそれが誰であったとしても、心の声に基づいた行動であるからこそ、尽くして苦しむのではなく、やりたいことをした結果としての、それらが単に人の役に立っているというだけなのです。

なのでボランティアをしている人だとか社会福祉活動等を率先して行っているような方達を見ていてもわかる通り、ある人にはそれらを続けることが苦痛に感じられ、ある人にはそれらを続けることが喜びや生きがいに感じられるのです。

じゃあ、他の人達は何もしなくてもいいのか、というと、そうではなく、他の自分の興味・関心等に根ざした、趣味や仕事などを通じて、みなさん、間接的に誰かの役に立っていたりするのです。

人間を体内の細胞に例えて考えてみるととても分かりやすいのですが、人を助けたり尽したりする人をもし免疫細胞だと例えるならば、他にも臓器を構成する細胞だとか、血液を輸送する血管を構成している細胞だとか、妊娠などに関わる生殖細胞だとか、外界からの刺激を受け取り体を守っている皮膚の細胞だとか、色々な細胞がいるわけですね、、、。

それら全体で、一人の人間としてうまく機能をしているのです、、、。
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人に尽くす~お国に尽くす、危険な思想です。

戦前戦中の考えでしょう。
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自分には善悪の基準が無いので分かりません。

自分は社会の善悪のラインに合わせて生活しているだけです。「人を56してはいけないんですか?」みたいな話がありますが、戦争の時は沢山56しているわけなので善悪のラインは状況によって変わります。善悪という言葉自体が間違っているのですよ。世の中のことの殆どは善と悪で判断すべきではありません。例えば不倫は良くないってなっていますが、一夫多妻制の国とかはあります。それは文化が決めることであって善悪ではありません。大衆が良い悪いと感じるものはあります。例えば同性愛は国によっては違法ですし、マリ〇ナOKな国もタバコ・酒・チューインガム禁止の国だってあるわけです。チューインガム禁止な国においては、チューインガムは悪なんですよ。ただそれを悪と考えるか法律上の違法行為と考えて善悪とは別かって考えると、別に善悪の話じゃないのです。キリスト教の話をすると、善と悪というのは神様が決めた基準なんですよ。なのでチューインガムが良いか悪いかっていうのは単に人間が決めた法なので善悪とは関係ありません。善悪が何なのかを冷静に考えていくと、殆ど社会的な合意で決められているので実質的な善悪で決まることは殆どありません。本当に善か悪かっていうので基準を決めることって実は人間社会で殆どなく、社会が決めているだけです。なので個人が善悪の基準を持っていてもしょうがないんですよ。自分の中でこれは良くないと思うことはありますが、それを善悪では説明しません。結果的にこういう形になって社会や自分にとって損だからやめて欲しいという言い方をします。
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自分を犠牲にし過ぎて、疲れはててしまったら


意味がないのでは?と思います。。

下記構図が理想形だと思いますね。

人に尽くす
→その人から感謝される存在になって、尽くし尽くされの関係になる
→あなたもその人も幸せになる。
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良いことだよ。

決まってるじゃん。
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