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キリスト教は、よく
「信じるものは救われる」と言いますが、逆にいうと、
「信じないものは救わない」って事でしょうか ?
仏教だろうが、私自身が救う立場になった時、信じなくても救うのですが。

こういうはっきりと線を引いてカテゴライズする宗教が道徳心の根底にあるら、
差別を生みやすい宗教ではないかと思っています。

だから、人種差別、 LGBT なんちゃら、ハラスメントしかり、差別されてる状況から抜け出したい。
日本人には到底理解できないものが根底にありそうで、結局のところこれらは日本人にあてはまらない、当てはめる必要のない気もします。

こういう言葉を押し付けながら、裏に裏にキリスト教を広めてるんだろうという気もします。

「信じないものは救わない」って変な宗教だと思いませんか ?

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A 回答 (7件)

こんにちは。


おもしろい議論ですね。私も混ぜてください。
宗教における「救う」にもいろいろな意味があるところ、質問者さんの趣旨がうまく理解できていない可能性があり、また、
各宗教にも宗派での差があるうえ、それぞれも深遠なのでテキトーに答えるのもいかがかと思いますが、次のような
説明ではいかがでしょう。

ポイントは「実はキリスト教は、信じる「だけ」で救われる・・という甘い宗教・・・」

まず、宗教での「救われる」には大きく次のように分けられますね。
・生きている間に精神的に安らかでいられるになること。
・死んだ後につらい思いをしなくてすむこと。

各宗教の方向をざっと示してみましょう。(各宗教者のみなさん、すみません)
まずは「生きている間のやすらかさ」(あとでオマケも)

仏教;
 基本的には修行。思い切りつらい思いをしてそれを信仰(教え。信じること)を利用して耐えきってみると安らかになれる。
 これが基本(小乗仏教)だが、ちょっときつすぎたので、大乗仏教としてだれか修行した人が指導してくれさえすれば、その他の人は最小限の行為(南無阿弥陀仏の連呼など単純儀式行為と、普通の道徳的生活)だけで安らかになれるとする。
キリスト教;
 基本的には信仰。とにかく神の存在を自分に言い聞かせれば安らかになれるという単純さ。これが「信じる者は救われる」。
 ただし、実はそれを実現するためには「祈り」や「聖書」を学ぶことになり、単純儀式行為と道徳的な規範にしたがうことに誘導される。
(それでも、道徳に反して犯罪を繰り返しても、最期に神の存在を前提にして謙虚になれば許される・・という甘さがある)
イスラム教;
 基本的には信仰だが、コーラン(クルアン)に定めた道徳的規範を守ってこそ安らかになれるとする。
 全体に規範を破ることに厳しいので、原理主義的になった際に制裁に走りやすい。

次に「死んだ後につらい思いをしない」

仏教;
 基本的には誰でも安らか。とにかく無になって自然に還る。(逆にちょっと残酷(後述)。天国・地獄の死後の世界も描かれるが、ちょっと後付け的)
キリスト教;
 基本的には信仰。とにかく信仰があった者は死後も安らか。生前の行動も考慮されるが扱いは軽い。この点でも「信じる者は救われる」
イスラム教;
 信仰と生きていた間の道徳的行動。コーランの規範を守っていた者は安らかだが破った者はつらい思いをする。

・・・ということで、全体に甘いのはキリスト教だが、死んでから甘いのは仏教・・・というところでしょうか。

でも、もうひとつオマケを。
 生きている間の「死に対する恐怖」からいかに安らかになれるか・・・をちょっと見ておきましょう。
 人間には「死」に対する恐怖心があり、これ自体が複雑な要素を含んでいますが、基本的には自分の「意識・記憶が失われて無になってしまう」ことへの恐怖であり、ひとたびこれに囚われると深刻な悩みになるのでこれを解決することも宗教の大きな役割ですね。

仏教;
 とにかく忙しい行動で恐怖をまぎらわせる。死後が無であることを否定しない(その意味では最も残酷)一方、厳しい修行や南無阿弥陀仏等の単純行為を繰り返してこれについて考え込むことを阻止する。(ヒマだと死の恐怖にとらわれてしまう。なお、天国・地獄の死後の世界も描かれるが副次的)
キリスト教;
 死後の世界があり意識が失われないとする。その希望を信仰という形で自分に言い聞かせる。これで恐怖が軽減される。
・・・というか、本当に信じられればその恐怖からてきめんに開放される。
(「信じる者は救われる」の真骨頂。もちろん、祈りや聖書暗唱等の行為の繰り返しによるまぎらわし効果もあるが副次的)
イスラム教;
死後にも意識は失われないとする点でキリスト教と同じ。さらに加えて行動規範が厳しくこれを守ろうとすると忙しくて恐怖もまぎれる。

 ちなみに、私も一時、深刻な死の恐怖にとらわれましたが、試行錯誤の上ひとまず脱しました。そのおかげというわけではないですが、理系(技術者)ながらうっすらと神なる存在は信じられるようになりました。
その宗教は・・・機会があればまたいずれ。

 さらに質問者さんは「差別」もあげておられますところ、少しコメントを。
 やはり宗教ではどの宗教も「信者」と「信仰のない者や異教徒」については差別は生じることは問題でしょうね。
 基本的には「救われていないかわいそうな人」という哀れみだけのはずなのですが、他に利害関係などがあると「敵対」する根拠を宗教が与えてしまうことがある点大いに問題がありますね。
 しかし、他方で、上記の宗教ではいずれも「神」や「自然」の前で平等を強く義務付けています。
 LGBTなどは考えられなかった時代なので、行き届かないところはありますが、例えば「ライ病」(ハンセン病。強くはないが感染性があり、顔などの隠しにくい部分に変形が生じるので本当に最近までひどい差別の対象だった)について上記のどの宗教も当時としては「果敢に」平等に扱うべきとする教義が含まれているくらいですので、ある意味、本当に信仰に立てれば差別心も相当に軽減できるでしょう。

さてさて、すっかり長くなってしまいましたが、いかがでしょうか。
お役に立てば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/09/11 22:20

追記。

仏教の例を盛んに挙げておられますが、仏教も「無条件に救う」としているものは私の知る限り一つもありません。元々仏教は「修行して悟りを開かなければ救われない」と言うキリスト教以上に「救われるのが難しい宗教」でしたが、いわゆる大乗仏教になってからも「南無阿弥陀仏と唱える」「南無妙法蓮華経と唱える」など「これをしてくれないと救ってあげられない」と言うものはあります。
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この回答へのお礼

いいえ、無条件です。

お礼日時:2021/09/10 09:06

思いません。

どんな宗教も「こうしなければ救われない」と言うものは必ず出て来ます。キリスト教の場合は「イエスをキリストとして受け入れる」と言うのが絶対条件ですから、それをしてくれなければ神様でも救いようがありません。
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この回答へのお礼

差別を生む発端だと思います。

お礼日時:2021/09/10 09:05

宗教なんだから、信ずるのが基本だろ



信じないんだから、聖書も牧師の話も無視する
救われる訳ねえっだろう
それは
仏教だってイスラム教だって同じだよ

差別してるのは、お前じゃねえか
宗教のイロハも分からん奴が、よくゆうよ
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この回答へのお礼

仏教は信じなくても救うでしょう。

お礼日時:2021/09/09 19:02

古今東西、いかなる宗教も「信じないものは救わない」がポリシーです。


ですからイスラムやイラン周辺では戦争が絶えないんです。
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この回答へのお礼

仏教は救うでしょう。

お礼日時:2021/09/09 19:01

「信じないものは救わ〈れ〉ない」だと思いますけど。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

どちらも似てますね。

お礼日時:2021/09/09 19:00

概念だからそれ。

信じる心が、自らを安寧な心に自然と導く。新興宗教だって、創価学会だっておなじっしょ。
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この回答へのお礼

仏教だと信じなくても救ってくれそう。

お礼日時:2021/09/09 19:00

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